久々に濱田正晴のブログを読んだら、石川さんの訴訟について載っていた。
オリンパス石川善久社員 東京高裁判決・最高裁へ上告関連記事ー週刊金曜日&新宿区公益通報相談 2016-05-01 06:39:00
最高裁へ上告ということは、当然のように敗訴したのである。
この画像を文字に起こせば
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「裁判所はまったく中身を見ずに控訴を棄却した。残念な判決です」
(略)
石川善久さん(53歳)は、控訴審の敗訴判決(4月14日)後の会見でそう述べた。
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とある。
けれども、石川さんが敗訴し、その後それを報道したところはないばかりか、濱田もブログで事実関係を記載していない。
試しに、”オリンパス 石川 敗訴 控訴審”でニュース検索したら、全く出てこないことからも明らかである。
裁判所は中身を見ない。これは私も声を大にして言ってきた。
その事実を知っている人間も大勢いる。
マスコミも当然その事実を知っている。
けれども、その事実を知っている人間が一緒になって、経済を優先するアベノミクスなどではなく、立法の主旨に基づいた司法を優先することこそが、日本政府が憲法を恣意的に変えない抑止力になるのであるし、それこそが圧倒的に平和に繋がるはずである!
・・・と、怒りを爆発させねば、世界は変わらないのである。
ところが、個人個人は弱くて、「自分のことならば裁判所も聴いてくれるのではないか」と思ってしまうらしい。
私もいろいろ書いて訴状を出してみたけれども、裁判所は形式だけで、なにも判断していないことがよくわかった。
そうすると、弁護士はそういう裁判所の体質を痛いほど分かっているだろう?弁護士が率先して主張したらいいのでは?と思う人間がいるかも知れない。
けれども、弁護士って、非常に悪い言い方をしたら、争っている人々に寄生して、争っている人々の生き血を吸うしかない。
軍でいうとお抱えの参謀である。
このような体質の者が、争いを裁く裁判所という仕組み自体がおかしいと主張するのは、自分らの仕事がなくなることを意味しているため、絶対にやらないというパラドックスを抱えている。
だから、日本政府に抗する者達はまず、法律に詳しい弁護士を抱えて、彼に十分な給料を用意して、裁判所のおかしな判決を徹底的に糾弾してもらえばいいのである。
そうすると、司法の一角が崩れる。
”法律に詳しい弁護士を抱えて、彼に十分な給料を用意して、裁判所のおかしな判決を徹底的に糾弾”するような組織があれば、自分も不当な判決を受けたと思う者が、どんどん寄り集まって来るだろう。
こういうのが、火のないところに煙を立てる方法なのである。
そういえば、実務的に弁護士が生きていく道として、離婚調停なんか和解金が必ず入るので最適だそうだが、本当に優しい弁護士は、その夫婦を説得して、離婚させないようにするという笑い話を聞いた。
けど、人間の生きていく上での最適解ってこれじゃないのか?
日本政府だって、いま世界だって、核には核をなんていって、いわば離婚調停の和解金を各国がどんどん吊り上げているようなものであるが、そもそも離婚(この場合はたとえば領土問題)なんてする必要あるの?
という問題に帰結すると思う。
また、人間個々人が本当に自分の労働を考えたとき、それはもう単に単純労働のハナシではなくなって、それが世界の中でどのように役立っているかのハナシにまで拡大せざるを得なくなるため、それは自分の労働の、世界から見たあるべき姿とのギャップを認識することになり、自分の労働に対するさまざまな否定に繋がらざるを得ないのではないか、とも考える。
労働だけでなくあらゆるものに対してそれはいえる。
自分が所属する組織を否定できてはじめて、自分が所属する組織を背負う責任を持つ、ともいえるのだろう。
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