生まれ持った頭の良さというのはとても繊細な題材であるが、今回は思い切って考えていることを述べる。
頭が良いことを表す言葉
賢い、知的、利口、あざとい、聡(さと)い、怜悧、頭脳明晰、利発、一を聞いて十を知る
などなど。
色々とあるが、よく「地頭」という言葉を用いるサイトを目にする。調べてみたところ、広辞苑第6版では
「じ‐あたま」:かつらを用いない頭
「じ‐かしら」:能の地謡の統率者 など
「じ‐とう」:平安時代、荘園の領主が土地管理に現地に置いた荘官 など
とされており、元の頭の良さを示す言葉ではないことがわかる。
今回、論じるのは「一を聞いて十を知る」が最も近い。有体にいえば「生まれつきの頭の良さ」のことである。
職場にて
仕事上、何かを伝達しようとした時に相手によって楽に伝わる場合とひと工夫必要な場合がある。
例えばAには概要を伝えただけで「こういうことですか?」と先回りに読んでくるとする。この場合は伝達が非常にスムーズで、時間もかからないしフラストレーションもない。
Bは、Aと同様に伝えただけでは高確率で齟齬が発生するであるとか、相手が理解するまでに長時間を要すとする。伝え方の良し悪しも関係してくるだろうが、いつもここで「彼は回転が遅いし、キャパがないから考えないと」という風に情報を飲み込みやすい形で加工せねばならない。
伝える情報の性質によっては、相手が理解しやすい分野であったりそうじゃなかったりというのも影響は大きいだろう。しかしながら、「基本的に」AのほうがBよりも何に対しても飲み込みが早い。だから、その場に両方がいたらAに伝えたほうが効率が良いと考えてしまい、Bへの伝達は避ける傾向にある。
対比ではAのほうが頭の回転が速い。これは努力により培われたものというよりは、CPUでいえばスペックの差なのだろう。Bに対して「お前は生まれつき回転が遅いな」などと伝えるのは人厳正を貶める良くない発言であるが、職場の皆はとうの昔に理解しており、ここで区別をつけていると思う。「Bには大事なことを伝えるのは避けよう」と。差別というより区別がなされている。
努力で頭は良くなるのか?
生まれながらの差を埋めるのはほかでもない、努力だと思う。例えば何らかのテストを受けるにあたり、試験日は1か月後だったとする。Bは一生懸命勉強し、Cはそれなり、Aは無勉強だとして、結果としてはBが一番の成績を収めることもあるかもしれない。
ただ、残酷な見方をすれば全ての人間が同じような勉強の仕方をした場合、やはり元の頭の良さで結果が分かれてしまうのではないかな。ここでいえばAが一番の成績を収めることになるだろう。また、勉強方法を選ばせても、Aは効率よく学習する方法を選択するに違いない。なにせ頭が良いから。
残念ながら、生まれながらにしての頭の良し悪しを機能的に良くする術はない。ある程度の水準まで高めるには、努力をするほかはない。しかし、そこでも同じぶんの努力をしたところで、頭の良い人間には及ばない。これは現実として受け入れるべきだろう。
頭の良さは環境よりも遺伝
「成績の良し悪しには環境よりもDNAが影響している」英大学調査により明らかに
英キングス・カレッジ・ロンドンが、1万1117人(16歳)のGCSE(英国で義務教育終了時にほとんどの中学生が受ける中等教育修了試験)スコアを分析したところ、DNAが生徒の成績に及ぼす影響力は環境要因の約2倍であることがわかった
当然の結果だといえる。頭の良さが遺伝子に左右されないのであれば、学習環境が整った子供が頭角を現し、そうじゃない子供はいつまでたっても伸びてこない、ということになる。富裕層にも中間層にも貧困層にも頭の良い子やそうじゃない子もいる。学習塾に通わせたり家庭教師をあてがうなど、富を利用して子供の教育水準を上げることは可能であるが、それでも元の出来の悪さを覆せるものとは言い難い。
肝心なこと
さて、職場の話に戻ろう。AとBは回転力に明らかな差がある。ここでBをこきおろしたり、冷たい対応をとることに正当性があるかと言えば、全くない。惰性で手抜きしたり悪意を持って仕事に臨むような姿勢があれば話は別。だが、BはBなりに頑張っているのだとしたら、Aと差をつけずに接するべきであろう。ここは人間性が試されるといえるし、周りの人間もその対応を見てあなたの人間性の良し悪しを考試しているに違いない。
問題なのはミスができない場面で仕事を振るときなどである。こういう時は相手の立場や職責を鑑みたうえで、振れる仕事の幅を考慮して渡す必要がある。Aには大抵のことを任せることができる。臨機応変な対応やわからなければ聞いてくるぐらいの柔軟さがあるから安心だ。
しかし、Bに同じことを手放しで伝えてしまうと、物事が良からぬ方向へ進んだり致命的なエラーが発生する場合がある。こういう時はBに仕事を振らない、という選択肢も必要なのかなと思う。干す、というよりはできることをやってもらう、といったところだろうか。
「振る仕事を相手に応じて渡す」ことと「人間らしく接する」ことの境界線が曖昧になった結果、Bが冷遇されて追い詰められていくというような場面を良く目にするが、これは悲しい。別に人間性が良くないわけじゃない、生まれつきの頭の良さが足りないだけなのだから、彼が悲しい思いをする必要はないのである。
物を売ったり業績が数字で弾き出されてしまう部署であれば会社の存亡に直結する部分であるから看過できぬかもしれないが、そうじゃなければみんな同じ人間として和やかなムードを保ち、臨機応変に仕事を進めていきたいものだ。