15年ほど前、私がまだ新人のコンサルタントだった頃の話だ。私がはいった部門は、とにかく教育熱心だった。だが社員教育といっても、研修のようなものではない。社員教育といえば、それは「勉強会」だった。
「勉強会」と聴いて、どのようなものを思い浮かべるだろうか?
課題の発表?
本の読み回し?
たしかにそういったこともやらなくはない。だが、私がよく記憶しているのは、そのような楽しげなものではなかった。
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勉強会は大抵、平日の夜遅くか、土曜日に設定された。平日の昼は皆が客先に出ているので、集まれないからだ。平日の場合はほとんど夜中まで、土曜日は一日中勉強会となる。
コンサルタントは激務なのは、顧客のための準備作業や社内業務、勉強会などの補助業務の影響が大きいからだ。
さて、勉強会のカリキュラムは概ね、以下のようなものだった。
・経営に関する知識(戦略、オペレーション、会計など)
・事例発表
・コンサルティングの標準化
勉強会の始まりは講師、すなわちリーダーからの「知識の確認」から始まる。例えば会計の知識では、
・個別原価計算と総合原価計算の違いは?
・直接労務費を実際原価でやるか、標準原価でやるか、どちらが良いか?理由も述べよ。
と質問される。そして、この質問は一人ひとりにおこなわれる。その場で即答できなければ、「ダメな奴」とみなされる。そして特に簡単な質問、例えば「人事制度とはどのような制度を含むか?」などに答えられない場合、それは記録され、期末に減点評価の対象となる。
これはすさまじい緊張感を我々に強いた。とくにベテランになればなるほど新人の前で無様な姿は見せられないので、質問に答えられないことはすなわち「恥」であった。
だが、ある程度のベテランの中にも質問に答えられない人もいる。
するとリーダーは
「◯◯さん、今何社お客さんを持っているんだ。」ときく。
「は、8社です。」
リーダーは怒鳴る。
「◯◯さん、経営者があなたの言うとおりにしたら、会社が潰れるよ。どうするの?責任取れるの?いい加減にやるなら、コンサルなんて辞めちまいなよ。オレも休日こんなことしたくないんだよ。わかる?」
それはまさしく「吊し上げ」だった。勉強会は、我々にとって恐怖の対象だった。
リーダーは年上の部下に対しても全く容赦しなかった。
「◯◯さん、あなた何年コンサルやってるんですか。今更こんなこと言っているようじゃ、終わってますよ。全然真剣さが足りないよ。何やってるんですか。」
我々は、ひたすらリーダーを恐れ、恥をかかないよう、一生懸命勉強した。前回の勉強会でやったことは次回で必ず聞かれる。だからもう、ひたすら知識を詰め込むしか無かった。
事例発表も容赦無い。
発表者のコンサルティングの資料は全て開示され、現在の状況と今後の方針を皆の前で発表する。それが終わるとリーダーは皆に聞く。
「はい。◯◯さんのやっていることは正しいでしょうか。」
この質問がされるということは、「間違っている」ということだ。指摘できなければこちらが叱責される。皆必死に、彼のコンサルティングの間違いを探す。
次々に容赦無い質問が飛ぶ。
「この第二フェーズですが、これを開始する前に◯◯の質問をしたのですか?」
「資料を見ると、◯◯の要求を満たしていないような気がするのですが、手順として正しいのでしょうか。」
当然、発表者はサンドバッグ状態だ。あの状態でよく、仕事を続けられたと思う。
リーダーのやり方は決してキレイなやり方ではなかった。恐怖によって、人に勉強させた。大企業などで今同じことをやれば、下手をすれば訴訟になるかもしれない。
ただ、今思い返せば、あの頃ほど恥をかかないよう、必死に勉強した時期は無かった。そしてなにより、そのリーダーの「部下を一人前にしたい」という気持ちは、まぎれもない本物だった。
ある研修講師の方が、
「企業が外部に教育研修を依頼する時に最も望むことは「社員を叱ってくれる」こと」と言っていた。
今、多くの企業では、上司が部下を叱ることが出来ないという。その理由は
「すぐ辞めてしまうから」
だそうだ。やめてしまえば、上司の評価も下がる。だから上司は叱らない。恨まれた上、自分の評価も下がるのはアホくさい、と皆が思う時代になった。
だが一流の仕事をしようとすれば、誰でもどこかの時点で必死にやらざるを得ない時が必ずある。
「仕事はカネがもらえれば良い」という方には不要だと思うが、「仕事ができるようになりたい」と強く望むのなら、一度は厳しい上司の元で仕事の質を追求することは、決して無駄ではない。
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(Djibu)