【青森ダービー】津軽と南部はなんちゃってではなくわりとガチです



こんな感じでどうして同じ青森県なのに津軽と南部は仲が悪いのか。という話を書こうと思ったのですが滅茶苦茶長くなりそうなので、他県の方にもわかりやすいようにできるだけ短くさらっとまとめてあるサイトを拝見したところ

【歴史】
1…「津軽と南部の文化」とは、言い換えれば「旧津軽藩と旧南部藩の文化」である。

2…津軽の人が話す言葉が「津軽弁」。南部の人が話すのは「南部弁」。

3…おおまかに言って「津軽」は青森市、弘前市を含む青森県の西半分、「南部」は八戸市、南部町を含む東半分である。

4…私の故郷「南部町」は、その名の通り、南部藩発祥の地である。

5…最終的にその殿様が今の岩手県盛岡市に城を構えたため、南部藩の中心は盛岡となった。

6…長く対立姿勢を続けてきた南部藩と津軽藩は戊辰戦争においても、南部藩は幕府軍を津軽藩は新政府軍をそれぞれ支持し、敵対関係となる。
1868年、現在の青森県野辺地町で勃発した野辺地戦争では、津軽軍と南部軍が交戦し津軽軍の兵士27名、南部軍の兵士6名が戦死。
戊辰戦争においては、周知の通り新政府軍が勝利。よって津軽藩は官軍、南部藩は賊軍となった。

7…1871年、廃藩置県。紆余曲折を経て、津軽藩と「南部藩の一部」が青森県となる。これがこの後のドラマの始まり。

8…県庁所在地選定時、旧津軽藩サイドは青森市を、旧南部藩サイドは八戸市をプッシュ。
結局青森市に決定するのだが、それに納得しなかった南部の人間は、青森県庁に対抗して市役所を「八戸市庁」とした。
この「市庁」という言い方をするのは全国で八戸市のみ、と教わっていたのだが、調べてみると奈良県奈良市も「奈良市庁」という言い方をしていた。
他にもあるのかも知れないが、どちらにしろその数は少ない。


【事実】
1…僕は1992年にデビューするまで青森市に行った事がほとんどなかった。

2…さらに、弘前に至っては2003年の弾き語りツアーが初体験。

3…青森の「ねぶた」は2009年が初体験。弘前の「ねぷた」は一度も見た事がない。

4…うちの実家もそうなのだが、南部で岩手県に近い場所に住む人々の中には、アンテナを盛岡(岩手県の県庁所在地)に向けて立て、岩手のテレビ番組も見れるようにしている人が意外に多い。
ちなみに青森県の「方言丸出しCM」で使用される方言はほとんどが「津軽弁」、岩手県の方は「南部弁」である。

5…青森県の2大都市である青森市と八戸市の道路を使った場合のアクセスの悪さは、ある意味異常である。


【言語】
津軽と南部の最大の違いはこの言語である。
イントネーションどころか単語自体が違っている事も多く、それにより様々なドラマが生まれる。
ここで紹介するのは、僕や家族の実体験である。

1…それぞれの土地にその土地の方言を使ったローカルCMが存在すると思われるが、青森県の場合、そんなCMで使用されるのは90%以上が津軽弁である。
南部弁を話す人々にとって、自分達が普段使っている言葉とは異なった方言があたかも「青森県のオフィシャル方言CM」として流れていることが、どれほどしっくりこないかを想像して欲しい。

再録&加筆修正「津軽と南部」|坂本サトルオフィシャルブログ「日々の営み public」Powered by Ameba

もちろん「津軽の者と南部の者は結婚させない」というようなことがまかり通っていた頃と比べれば、今は隔世の感がある。
「津軽と南部の確執?…昔はあったけどね」という人がほとんどだろう。
僕も「こんなもんは所詮過去の事」と切り捨てようとするのだが、油断してきた頃に、その確執の根深さを目の当たりにするような事に出くわして、僕はその度にカウンターパンチを食らってしまうのである。

数年前、津軽地方にあるショッピングストアでイベントライブをやった時の事。
客入りは上々、ライブ自体も非常に盛り上がって、僕は良い気分で控え室に戻って来た。
と、そこであるスタッフがこんな話をしてくれた。
実は僕を呼ぼうとしたのはこれが2度目のことだったと。
1度目に呼ぼうとした時に、当時の店長のこのひと言で僕のライブは却下されたのだという。
「南部出身のやつにはうちの店ではやらせない」
当然、この店長は津軽の人であった。
店長が替わり、ようやくそのライブが実現したというわけだ。


「いつまでも昔の事を」とはもちろん僕も思う。
しかし、142年前の戦争はある人々にとっては「たった142年前のこと」なのかも知れない。


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南部氏は戦国時代には現在の岩手県中部ならび北部と青森県全域を所領としており、南部一族である大浦氏は津軽地域に基盤を置く土豪であったが、大浦為信は1571年に津軽にいた同じ南部系豪族を滅ぼし、津軽、外ヶ浜、糠部郡の一部を支配下に置き、南部一族より独立した。 その際に南部氏重臣で、盛岡藩初代藩主となる南部利直の祖父にあたる石川高信らが討たれている。
その後の中央工作によって大浦氏が津軽氏と名乗り豊臣政権から大名として認められた。 徳川家康の時代に入ってから為信は家康に属して関ヶ原の戦いに参陣し、津軽氏は江戸時代も大名弘前藩として生き抜いた。
以降、弘前藩と南部氏盛岡藩は犬猿の仲となり、双方の対立が始まった。 江戸時代にはヒノキ材の伐採目当てで越境した領民を捉えて殺した檜山騒動が起こっている。(詳細は檜山騒動を参照) また江戸後期には相馬大作事件の様に、盛岡藩の藩士が弘前藩主津軽寧親を暗殺しようとした事件も起きている。(詳細は相馬大作事件を参照)
また戊辰戦争では互いに奥羽越列藩同盟に加盟していたが、弘前藩が先に新政府軍に恭順する。 その後、盛岡藩が降伏するが、降伏が受け入れられた後に弘前藩が盛岡藩に出兵する野辺地戦争でも遺恨を残している。(詳細は野辺地戦争を参照)
明治2年、戊辰戦争の戦後処理として、南部盛岡藩は津軽藩取締下に置くべきことが決定した。これが新政府より盛岡に伝えられるや、領民は猛然と反発し、取り消されなければ自ら陸奥三郡を焼き払うと新政府に嘆願した。さらに南部藩士に不穏の動きがあり、もはや津軽藩による南部藩取締は実現しないと判断された。 結局、明治3年2月、大関藩取締となることで決着した[1]。(詳細は盛岡藩#明治維新を参照)
明治4年9月、府県統合のため、弘前、黒石、七戸、八戸、斗南の5県が統合し、弘前県となる。敵対的関係の旧南部藩の旧津軽藩への統合であるが、その陰には旧斗南藩による中央政庁への工作があった。斗南藩は酷寒の下北半島を領地としていたが経済状態は著しく悪く、入植した藩士は領民が口にしない野草まで食ったために「毛虫のごとし」と蔑まれるほどであった。このために、比較的経済状態の良い旧津軽藩との統合を目指したものである。また、斗南藩はもともと会津の者であり、津軽と南部の確執には無関係であったことも、統合を推進するのに好都合であった[2]。

津軽と南部 - Wikipedia

という感じですかね。とりあえず歴史的に昔からガチで仲が悪いということです。もう今時そんなのねーよって思っている人も多いでしょうし、実際極端にその対立を感じることは少ないかもしれません。しかし今でも突然そういうのが現れることは、あります。本当に。言葉も違えば気候もまったく違い、読んでいる新聞も違えばほか弁の味付けも全然違います。

まあざっくり言うと長野と松本の対立のような感じだと思っていただければ。どちらの対立が根深いとかそういうのはわかりませんが、あんな感じですたぶん。というわけで両者の対立構図が少しだけわかってきたところでサッカーのお話を。



両チームこれまでの今季JFLの成績ですが

八戸は5勝2分2敗の4位
青森は2勝2分5敗の13位

となっています。八戸は前節、首位のFC大阪相手に勝利すれば勝点で並べるという重要な試合でしたが残念ながら惜しくも敗れてしまいました。前半に2失点したところから後半1点取って猛追するも惜しくも及ばず。優勝争いに踏みとどまるためにも次節は絶対勝たなくては。青森はよくわかりません。


八戸対青森の過去の対戦成績はというと

八戸 4-2 青森 2009年全社青森県代表決定戦
八戸 1-0 青森 2009年東北リーグ2部北
八戸 3-1 青森 2009年東北リーグ2部北
八戸 4-1 青森 2010年東北リーグ2部北
八戸 6-0 青森 2010年東北リーグ2部北
八戸 2-0 青森 2011年東北リーグ2部
八戸 5-0 青森 2012年東北リーグ2部北
八戸 2-1 青森 2012年東北リーグ2部北
八戸 2-1 青森 2013年全社東北予選
八戸 1-0 青森 2014年天皇杯青森予選決勝

八戸の10勝0分0敗と今まで一度も青森に対して負けたことがありません。そして今回は初めてのJFLという舞台での対決。たぶん日本中のサッカークラブのなかで一番負けてはいけない相手。絶対にここにだけは負けるわけにいかないですね。



この試合は5月3日14時から青森朝日放送で生中継されます。そして解説はあの松木安太郎さん。もちろんスタジアムへ足を運んで観戦いただきたいところではありますが、もし都合によりこの一戦を現地で応援できないかたでも是非テレビの前から熱い応援をよろしくお願いいたします。



ここまでのホーム戦当日は毎回のように雨が降って悪天候でしたが、青森ダービー当日は晴れそうです。やっと天候の良さそうな日に試合ができますね。前節はホッカイロを持参するくらい寒かったのですが、明日は逆に熱中症対策をしたほうがよさそうです。急に気温が上がりそうですので、こまめな水分補給や日よけ対策をお忘れなく。



最後に。自分たちのおじいちゃん、おばあちゃん世代は本当にまだ遺恨が残っていて本気で対立していたと思います。そういう話をちいさいころに聞かされたりもしました。その対立も自分たちの両親世代になると少し希薄になっていたかもしれません。

そして我々の世代。世界中で行われている「ダービー」と呼ばれるような対決は、元々あったこのような昔の対立をいまだに煽ることで盛り上がりをみせています。スパーズとアーセナルの対立も100年以上前のイザコザが原因ですし。津軽と南部という日本でも数少ないこの対立構図をひとつの「盛り上がり要素」としてサッカーを楽しむのも面白いかもしれませんね。


JFLファーストステージ第10節
【日時】 5月3日(火・祝) 14:00キックオフ(開門12:30予定)
【対戦相手】ラインメール青森
【会場】 八戸市東運動公園陸上競技場

【ホームゲーム情報】5.3(祝・火)ラインメール青森戦 | ヴァンラーレ八戸FCオフィシャルサイト
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