2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会は25日、新しい大会公式エンブレムとして、江戸時代に広まったチェック柄の「市松模様」と伝統色の藍色で粋な日本らしさを描いた作品A「組市松紋(くみいちまつもん)」を発表した。作者は東京都のアーティスト、野老朝雄(ところ・あさお)さん(46)。昨年7月に発表したエンブレムは盗用疑惑が拡大し白紙撤回。異例の選び直しを経て決定した。

 約8カ月に及ぶ議論の末、大会の象徴がようやく決まった。旧エンブレムは、盗作疑惑から騒動が拡大。選考の閉鎖性から、五輪自体にまで批判が広がった。新エンブレムの選考には、この混乱の収拾も求められた。

 委員会の議論は白熱。宮田亮平委員長(文化庁長官)は「色々な世界からの委員がいて、会議は必ず紛糾した」と舞台裏を明かした。

 これをまとめたのが世界の王、プロ野球ソフトバンクの王貞治球団会長だった。宮田委員長は「収拾がつかなくなると王さんに振るんです。そうすると必ずホームラン。まとまった」と感謝。国民の選考への不信を払拭するために招かれた王委員だったが、当然のことながら、組織委が期待した以上の存在感を発揮した。

 王委員は発表会見にも登壇。「公明正大に野老さんが選ばれたと、胸を張ってお伝えできる。日本というイメージにぴったりの作品」と自信を持って語り、「思いがけず委員に選んでいただき、今までにない素晴らしい体験をさせていただいた。色々な議論が出た中で決定できたこと、その席に同席できたことを新たな喜びとして、残りの人生、胸の中に秘めてまいりたい」と振り返った。

 一方、作者の野老さんは「以前から五輪への憧れがあった」と喜びの表情。形の異なる3種類の45個の四角形を組み合わせたデザインについて「同じピースを使うことにこだわった。それが平等の精神、大会の精神とも合うのではないかと思った」と説明した。

 1992年に東京造形大学デザイン学科(建築専攻)を卒業。定規やコンパスを使って描ける図形の組み合わせで、平面や立体のアート作品を制作している。今作は10年以上前から温めてきたといい「ずっとおなかの中で育ててきた双子の娘が、やっと生まれたような気分です」と目を輝かせた。

東京五輪・パラリンピック組織委員会・森喜朗会長「朝から緊張とわくわく感でいっぱいだった。理事会では満場一致で承認された。このエンブレムが2020年大会のシンボルとして多くの皆さまに親しまれることを祈りたい」

★選考は

 エンブレム委員21人の投票は、1回目で作品Aが過半数の13票を獲得。輪をデザインした作品Bが1票、「風神雷神」がモチーフの作品Cが2票、朝顔をイメージした作品Dは5票だった。共同通信のアンケートやネット検索大手ヤフーの意識調査ではBとDが人気を集めていたが、広告代理店の関係者は「Aが最も商業的に展開しやすい」との見方を示していた。会場の装飾やグッズ展開など、昨今はデザインの汎用(はんよう)性が重視される。「絵」ではなく「模様」に近いAは、その点が高く評価されたようだ。

★選手は

 競泳男子でリオデジャネイロ五輪代表の萩野公介(東洋大)は「4種類の中で一番好きで、とてもうれしい。日本らしさが素直に表れている」と喜んだ。21歳の日本のエースは「リオで、そして東京で活躍できるよう精進していく」と刺激を受けたようだった。萩野と同学年でライバルの瀬戸大也(JSS毛呂山)も「すごくシンプルでいい」と感想を述べ「まずはリオ五輪でしっかりと結果を出し、東京でさらに飛躍したい」と将来への思いを語った。

★専門家は

 美術評論家の暮沢剛巳氏は「シンプルで分かりやすい。一色しか使っていないことが、力強さにつながっている。単色のデザインは、近年の五輪やパラリンピックでは記憶にない」とその新しさを評価した。一方、広告デザイン批評家の河尻亨一氏は「最終候補は全体的に存在感が希薄。(選ばれたデザインは)完成度が高いが、スポーツ感を表現できているのか疑問がある。その意味で五輪のエンブレムとしては、(佐野氏の)前回のエンブレムの方がふさわしい」としている。

★街の声は

 京都市の自営業、浅田和義さん(70)は「いろいろあったから、シンプルなものが一番と思っていた」と評価。神奈川県小田原市の主婦、長崎清子さん(68)も「粋な感じがする」と好感を示した。一方、大阪市の会社員、森田夕貴さん(24)は「カラフルで華やかなデザインのB案に選ばれてほしかった」。野老さんが外装を手掛けた名古屋市の「大名古屋ビルヂング」に勤務先がある男性(43)も「チャレンジ精神に欠け、海外受けがいいかどうか心配だ」と語った。

★佐野氏は

 旧エンブレムをデザインしたアートディレクター、佐野研二郎氏(43)の東京・神宮前にある事務所は、窓に白いスクリーンが下ろされ、内部の様子をうかがうことはできなかった。インターホン越しにスタッフとみられる男性が「コメントはしておりません」とだけ応答した。旧エンブレムの白紙撤回後、佐野氏は公の場から姿を消した。教授を務めていた多摩美術大では、4月から1年間の休職扱いとなっている。