水俣病60年 救済は終わっていない
「公害の原点」と言われる水俣病の公式確認から昨日で60年を迎えた。しかし、今なお多くの被害者がさまざまな症状に苦しんでいる。新たに患者認定を求める動きも続く。水俣病は終わっていない。政府や原因企業チッソには、被害者を全面救済する体制づくりが求められる。
1956年5月1日、新日本窒素肥料(現チッソ)水俣工場(熊本県水俣市)の付属病院長が、「原因不明の脳症状の患者が発生した」と県水俣保健所に届け出た。これが水俣病の公式確認とされている。
プラスチックなどの原料となるアセトアルデヒドを製造する過程で生じたメチル水銀が原因だった。工場排水に含まれた水銀が魚介類を汚染し、それを食べた人々が中毒性の神経疾患を発症した。
だが、政府がチッソの責任を認めたのは12年後だ。日本の高度経済成長の一角を担う企業の規制に、行政は及び腰だった。その結果、新潟水俣病の発生も防げなかった。
政府がこれまでとってきた水俣病救済策は場当たり的で、救済内容も非常に複雑になっている。
水俣病患者は、公害健康被害補償法(公健法)に基づき認定される。認定者数は熊本、鹿児島、新潟の3県で約3000人。さらに2000人以上が認定を求めて申請中だ。
救済が進まないのは認定基準が厳しすぎるためだ。政府は77年、感覚障害を中心に複数の症状があることを原則とした。2013年の最高裁判決を踏まえ、感覚障害だけでも患者と認める通知を出したが、メチル水銀摂取の証明を患者側に求めたため、認定は広がっていない。
未認定患者について政府は、95年の政治決着と09年の水俣病被害者救済特別措置法(特措法)制定の2度にわたり、救済策を実施した。
認定患者には1600万〜1800万円の一時金が支給されるが、政治決着では260万円、特措法では210万円にとどまる。
認定基準は事実上、患者を切り捨てる道具となってきた。特措法で救済対象外となった人ら1000人以上が、国などを相手取って損害賠償請求訴訟を起こした背景には、そんな現実がある。
そもそも、国が実態調査を怠ってきたために、水銀被害が生じた範囲や、水銀摂取に応じた症状など、水俣病被害の全体像は不明なままだ。
水俣病の被害者団体は3月、国やチッソに対し、水俣市を中心とする不知火海沿岸住民の健康調査や認定基準の見直しを求めた。60年を経ての切実な要求である。
被害の実態を究明し、現状に即して認定基準を見直す。それなしに、水俣病の救済は終わらない。