自分は、常に情報の洪水に埋もれていた。
RSSの登録は数百を超え、Twitterでリストでフォローしているアカウントも300くらいある。自分は、毎日それらを全て1つ逃さず見ていた。
自分を常に「最新」の状態にして置かなければ納得できなかったのだ。
TwitterやRSSでフォローしているアカウントは多岐にわたる。
好きなゲームやサッカーのみならず、経済ニュース、自分のいる業界のニュース、芸能ニュース、一般ニュース、地方ニュース、有名人のアカウントなど、とにかく知りたいと思った情報は何でもぶっこんでいった。
そうして、自分の中の情報に対するステータスを「最新」にしておくことで、世の中から置いていかれないように心がけていた。ただでさえ浮世離れしているオタクなのだ。そうでもしないかぎり世間様とはお付き合いが出来ないと思い込んでいた。
だから、休憩時間などはもうiPhoneにかじりついている。家に帰ってきても、まずはやることと行ったら未読の情報を片付けることだった。
だが、最近はそういう事にこだわらなくなった。
具体的に言うと、その「最近」というのは、娘が出来てからだ。
妻が妊娠してからは、以前ほどiPhoneばかり見ているわけではなくなった。娘が産まれてからは、物理的に見られない量の情報は諦めてすっとばすことが多くなった。取捨選択しているといえば聞こえがいいが、どちらかと言うと面倒くさくなったのだ。
別に全てを知っているステータス「最新」でなくてもいいじゃないか。ある程度端折って「最新」であるということにしても問題ない気がする。むしろ、「最新」に拘る必要すらないのではないか。
そんな感じで、いまはTwitterのタイムラインもあまりにも量が多くて読み切れない場合はすっ飛ばしてしまっている。おかげで流れについていけないことがあるが、それはそれで別にいいかと考えている。
ブログなんかに関しても同じだ。
一日予定があってiPhoneを見る余裕が無い日なんかは、購読ブログだけでも数十件とかになってしまって、とても読み切れない。自分から興味を持って登録しているのだから、全部を読まなければならないと思い込んでいた。
だが、そういう考えがきっとSNS疲れやブログ疲れにつながっていってしまうのだと思う。だから、最近はブログも読めないものはスパっと諦めて、次に進むことにしている。
なんでもそうなんだが、「好きだったものが嫌いになってしまう瞬間」というものが一番つらい。なので、そういう日が来ないために、自分のステータスを「最新」にしておくことにこだわるのをやめた。
それでいいんだと思う。
気は楽になったよ。