視点 オバマ戦略 誰がISを育てたか=論説委員・布施広
オバマ米大統領の中東・欧州歴訪で注目したのは、サウジアラビアのサルマン国王が4月20日、他の首脳を空港で出迎えながらオバマ大統領を出迎えなかったこと。同大統領が25日、ドイツでの演説で「強くて団結した欧州」に期待する一方、緊迫するシリアへの対応で相変わらず及び腰と見えたことだ。
米国と湾岸アラブ諸国の関係冷却化は明らかだ。米国のシェール革命が中東外交を変えたと言う識者もいるが、オバマ大統領は産油国サウジのほか中東政策の要としてきたエジプトやイスラエルとの関係も良くない。
では核問題解決を機にイランに軸足を移したのか。大統領はサウジなどスンニ派イスラム教の国と反米テロの関係に注目しているともいう。だが、イランかサウジかの選択ではあるまい。大統領は同盟国イスラエルも含めた中東全体から距離を置きたがっているように見える。
問題の多い地域から手を引きたい。それは戦争で消耗した米国の本音だろう。だが、「米国は世界の警察官ではない」とオバマ大統領が言ったのは軽率だった。世界の多極化をにらみ米国の負担軽減を図るのはいいとして「警察官」の一方的な辞任は混乱を招く。辞めるにも新しい秩序を築いてからだろう。
辞められるのかという疑問もある。かつてイラクのサダム・フセイン独裁政権への米国の過去の支援が問題視され、「だれがサダムを育てたか」と言われた。同様に、猛威を振るう過激派組織「イスラム国」(IS)は、米ブッシュ政権の乱暴なイラク戦争とオバマ政権の拙速な撤退の落とし子だとして、米国の責任を問う声は小さくない。
そんな批判をよそにオバマ政権は米軍の関与を極力抑える「軽い足跡」戦略を取ってきた。ドイツでの演説でシリアへの250人規模の米兵増派を発表したのもその一環だが、いかにも小出しである。IS対策に限らず、ウクライナや南シナ海、北朝鮮情勢でも、深入りを恐れる米国の姿勢が透けて、事態をより複雑にしている側面もある。
1999年、同じ民主党のクリントン大統領は「多くの罪なき市民が殺されそうな時、そして米国にそれを止める力がある時、我々は止める」と演説し(クリントン・ドクトリン)、種々の人道危機に取り組んだ。
これがお手本とは言わないが、人権重視は米外交の伝統だ。停戦崩壊が懸念されるシリアでの政治仲介も含めて米国にできることは多い。危機への関与を渋る指導者は結局、米国史にも人類史にも好ましい「足跡」を残せないのではなかろうか。