「ムハンマド副皇太子」に揺れたサウジの1年
あれから1年になるのか、と感慨深い。昨年の4月29日、サウジアラビアの政権・王宮の中枢で、突如大幅な人事刷新があった。同年1月23日にアブドッラー前国王が死去したのを受けて弟のサルマーン皇太子が国王に就任していたが、当初は先代が決めた路線の通りに末弟のムクリン王子(第2副首相)を皇太子・第1副首相に任命していた。サウジでは国王自身が首相を務め、皇太子が第1副首相、次の皇太子が第2副首相を務めるのが慣例になっていた。
しかし昨年4月29日に、国王は電撃的にムクリン皇太子を解任、第2副首相だったムハンマド・ビン・ナーイフ内相を皇太子に昇格させた。
ムクリン前皇太子は母親がイエメン人(父・アブドルアジーズ初代国王の18番目の妻とされる)であることからもともと立場が弱い。さらにその前月の3月26日から、サウジが主導してイエメン内戦に軍事介入していた。そのことからイエメンの血を引くムクリン前皇太子が外された、あるいは元来実権が乏しく国王への就任が疑問視されていたムクリンをこの機会に外した、と解釈された。
しかし皇太子をすげ替えるだけなら、そして実力者だった父ナーイフ元皇太子・内相(国王に就任する前に死去)の実子であるムハンマド・ビン・ナーイフ皇太子が就任するだけなら話は分かりやすかったが、ここから急展開が生じた。
ムハンマド・ビン・ナーイフ内相が皇太子に就任するだけでなく、副皇太子(私は第2皇太子と訳した方が分かりやすいとも思うが)なるポストが新設され、サルマーン国王の実子のムハンマド・ビン・サルマーン国防相がこれに就任したというのだ。
同時に長年外相を務めてきたサウジの外向けの顔ともいうべきサウード・ビン・ファイサル王子も退任し、後任には駐米大使などを務めた平民のアーディル・ジュベイルが就任した。
当初は、「2人のムハンマド」すなわち、ムハンマド・ビン・ナーイフ皇太子・内相と、ムハンマド・ビン・サルマーン副皇太子・国防相は、初代アブドルアジーズ王のお気に入りのスダイリ王妃から生まれた同腹の兄弟の子息であることから、2人が結束して王族内の権力を掌握するとも予測された。2人はサウジの初代国王の孫の世代すなわち「第3世代王子」で初めて皇太子・副皇太子の座に就いた。懸案の王室「世代交代」を安定的に進める知恵とも考えられた。
国防だけでなく経済政策も
しかしムハンマド・ビン・サルマーン副皇太子はその後急速に台頭し、権力の集中を進めた。1985年生まれとされる年若の副皇太子が国防だけでなく経済政策も握るようになり、ナーイフ皇太子の存在はすっかり霞んでしまった。
この2人をいちいちフルネームで書いて区別するのは面倒なので、ムハンマド・ビン・ナーイフ(Muhammad bin Naif)を「MbN」、 ムハンマド・ビン・サルマーン(Muhammad bin Salman)を「MbS」と呼ぶのが専門業界の隠語のようになっている。
父サルマーン国王の厚い信頼・溺愛を受け、急激に権力を拡大したムハンマド副皇太子は、欧米での留学経験もなく素性が知られないことから、欧米から危険視されることも多々ある。それに対して、ムハンマド副皇太子はニューヨーク・タイムズのトマス・フリードマンへの会見や、エコノミストへのインタビュー、あるいはブルームバーグへのインタビューなど英・米の有力メディアへの露出を通じて、不安の払拭を試みてきた。
1年がたって、表面上は、ムハンマド副皇太子の権力掌握は既成事実とされ、本心かどうかはともかく、期待を込めた論評もされるようになっている。
4月25日の会見では、ムハンマド副皇太子は、ここのところメディアを通じて様々に流されてきた経済改革のパッケージを改めて列挙し、石油価格低迷を背景に、石油依存の時代を終えてサウジが投資立国に転じるとのバラ色の未来を描いて見せた(Saudi Vision 2030の全文)。これに対しては、サウジのメディアはもちろんだが、米ニューヨーク・タイムズ社説も好意的な論評を載せた。
しかし、英米人のコンサルタントに作らせた改革プランが、サウジの王族内の不和や、政治的権利を手放す代わりにばら撒き福祉を得てきた一般市民に受け入れられるものなのか、未知数である。イエメン内戦への介入が不首尾に終われば、直接これを主導し、手腕を喧伝されてきたムハンマド副皇太子に傷がつく。今年の夏にもムハンマド副皇太子(MbS)がムハンマド皇太子(MbN)を置き換えて皇太子に就任する、それどころかサルマーン国王が譲位して実子のムハンマド副皇太子を国王に就任させるとの噂も流れている。もしこれが実際に行われれば、王族内の紛争を招きかねない。
目まぐるしい変化と、将来への不透明感、そしてまだ定かではないが将来への期待が兆したサウジの1年間を振り返ってみた。
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