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社説
5月1日付  憲法(上)表現の自由  民主主義の根幹守りたい  
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 憲法が施行されてから、3日で69年になる。戦後、日本の平和主義、民主主義を支えてきた、その憲法が大きな岐路にある。

 集団的自衛権の行使を解禁する安全保障関連法が3月に施行された。日本の安保政策の基本理念である専守防衛を変容させるもので、憲法違反との批判が根強い。

 集団的自衛権の行使は、歴代内閣が憲法9条で禁じられているとし、長年にわたって国会で議論を積み上げて定着した解釈だった。ところが2014年、安倍晋三首相は閣議決定で解釈を変更し、容認に踏み切った。

 多くの国民が反発したのは当然であり、私たちも警鐘を鳴らしてきた。

 首相は在任中の憲法改正に意欲を示している。これを踏まえ、自民党は夏の参院選後に開かれる秋の臨時国会で、改憲項目を絞り込みたい考えのようだ。

 「改憲ありき」の姿勢には強い懸念を抱く。改正の必要性も含めて、慎重に論議を尽くすべきだ。

 今年は、憲法が公布されてから70年の節目でもある。憲法が国家権力を縛る規範であることを、いま一度肝に銘じたい。

 時の権力の暴走に待ったをかけ、多様で自由な議論によって、より良いものを見いだしていくという観点で、最も重要なのは「言論・表現の自由」である。

 民主主義の基盤となる原則であり、憲法21条は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と定めている。

 自民党が12年にまとめた憲法改正草案も「一切の表現の自由は保障する」としている。問題は、公益や公の秩序を害することを目的とした活動、結社を認めないとの規定を設けたことだ。

 公益や公の秩序の範囲は、誰がどう判断するのか。恣意(しい)的な運用がなされる恐れはないのか。政府の圧力や検閲などで表現の自由が守られなかったことが、日本を戦争へと導いた。その反省を忘れてはならない。

 表現の自由を巡っては、放送局に対して「圧力」とも取られかねない注文や発言が政権与党から相次いでいる。

 14年末の衆院選を控え、自民党は在京各局に対して、街頭インタビューなどでの選挙報道の公平中立を求める文書を出した。

 昨年には、高市早苗総務相が、「クローズアップ現代」の過剰演出で、NHKに文書で厳重注意した。これに対し、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会は、放送局の「自律」を侵害し、極めて遺憾だと非難している。

 さらに、高市氏は今年2月にも、放送局が政治的な公平性を欠く放送法違反を繰り返した場合には、電波停止を命じる可能性に言及した。「極めて限定的な状況のみで行う」としているが、言論・表現の自由を軽視する発言ではないか。

 放送局が罰則を恐れて、政府を批判しづらくなるのであれば重大な問題である。

 もとより、放送局が「政治的に公平であること」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」などと定めた放送法4条を順守するのは当然のことだ。

 日本の言論・表現の自由の現状は、国連の特別報告者の調査結果で、深刻な脅威に直面していると警告された。

 政府、与党によるメディアへの介入に、厳しい目を向けていかなければならない。

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