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みゅう厨武 ~ミューチューブ~

昭和生まれの私が平成生まれの若者へ捧ぐ

あなたは何も悪くない 就活は運が9割、実力1割なのだから

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 私が就活を開始したのは平成8年の4月。本来、大学3年の時期に開始するのが通常であるが、意識が低すぎた私は大学4年になってから焦り始め、活動を始めた次第。進学や起業という選択肢は当時の自分には非現実的であった。

 当時は既にバブルは弾け、就職氷河期と言われる時期に突入していたが、結果から言えば私は内定をもらうことができた。それは当時「就活生の就職したい企業トップ5」の常連でもあった、ある大企業であった。

 私は既に社会人になり20年めを迎えている。社会で働くということが厳しくまた辛いことなのは十分経験し、理解しているつもりだ。では、それに比べたら就活などたいしたことではないと言えるだろうか。私はそんなことは全くないと答える。就活は厳しい。社会で働くのと同様か、それ以上に。就活で苦戦を強いられ、今まさに辛い経験をし続けている学生は非常に多いと思うが、それはあなただけでなく、大勢の人がそうであり、また私もそうだった。そんな話をしたい。

 

 

 不採用の結果を受けたとしても、面接で厳しい質問を幾つも浴びせられボロボロになってしまったとしても、自信を失ったり、卑下したりすることはしないで欲しい。あなたは何も悪くないのだから。これがいちばん伝えたいことだ。

 

 

 最近はかなり減ったが、私が入社した平成9年は私を含め新入社員が数千人もいた。同期生の彼らを見て初めて気づいたことだが、採用される人材というのは、何か1つ「これは!」というのを持っている人がほとんどだ。体育会系の部活で実績を残していたり、難関資格を取得していたり、英語が堪能だったり。何か自分をアピールできる「肩書」がある。入社後、どれだけ会社に貢献できる人材になりうるか。結局これは未知数であり判断できない。だから学生時代の実績を入社後の期待値として設定する。

 ところがだ。肝心の私にはそのような「肩書」がない。本当に全くない。それにも関わらず、私が採用された理由は何だったのか。私のどこに期待をしたのか。それを伝えてみたい。なぜなら、私と同じような「肩書」のない平々凡々な就活生が、他にもたくさんいるに違いないからだ。

 

 もう一度やり直したい。私の学生時代は本当にひどかった。学業そっちのけでアーケードゲームにハマり、開店の朝9時から閉店の夜0時まで、ゲームセンターに毎日いりびたるような生活を送った。とあるゲームに熱中し、中毒状態は社会人になっても数年抜けなかったほどだ。部活やサークルには所属せず、アルバイトもほぼ経験しなかった。国立ではあったが地方大学で、学歴としての優位性も特になく、単位はギリギリ揃えて卒業。企業から見れば何の魅力もない学生であった。自分に魅力がない。これに気づけなかった。気づけたのは入社後、光り輝く同期生たちを目の当たりにしたときである。

 

 就活。自分にも他人ごとでない時期がやってきた。とにかく企業へハガキを投函した。250社くらいへ。やみくもに。100社くらいから会社資料が届いた。当時はインターネットによる就活はまだなく、ハガキ投函が第1ステップだった。この約100社の中で、私へ電話をよこした企業が1社だけあった。これが最初の縁であり、後に入社する企業になるとは、その時は微塵も思っていなかった。

「試験を受けにきて欲しい。普段着でいいから。」
そんな言葉を真に受けて、行って待ち構えていたのは試験ではなく面談であった。事前準備なしのぶっつけ本番。志望動機すらまともに説明できなかった。それでもなぜか通過し、本社で行われる最終面談にたどり着く。いわゆる圧迫面接で、あらゆる返答に反論を受ける。帰りの新幹線の中で私は泣いた。帰宅後、両親には全くダメだったことを告げた。

 次の日の夜、帰宅すると、内々定の連絡が電話であったことが父親から知らされる。他の企業は当然全敗だった。中小企業も、地元の企業も。このとき、私が採用に至った理由は全く想像もつかなかった。ここも同様に手ごたえは全くなかったから。

 

 

 当時を振り返ることは今でもよくある。何が私を採用に導いてくれたのかとよく考える。要因となったと思うことが2つある。

 1つめは、学生寮で4年間過ごしたことを伝えたことだ。学生寮は格安で生活できるよう大学からの負担の元に、基本的には経済的に厳しい人用に開放されている。ただし2人1部屋だったり設備は共同で古かったり壊れていたりと、プライバシーや利便性を気にする人はとてもじゃないけど耐えられない。外観、内観、雰囲気などは京都大学熊野寮に負けないくらいすごい寮だ。私は嫌々入寮した。父が集団生活の重要さを説き、強制収監されたようなものだ。4年間の集団生活の中から協調性やコミュニケーション能力を磨き、炊事部長として寮生全員(約300人)の食事と風呂の管理を仕切り、一生付き合っていけるかけがえのない友人をたくさん構築したことを伝えたのだ。これが、他の学生との差別化、私のアピールポイントになったのではないか。そう思うのだ。内容が本当かと言われれば嘘ではないが、相当大げさには言った。俗にいう0を1にするのはいかんが、1を100にするのはあり、というヤツだ。

 2つめは、最終面談前日にアポなしで営業所に飛び込んだことが伝わっていたことだ。今はインターネットにより様々な情報が容易に集められるようになったが、当時はそうではなく、業界や企業情報を把握するのは非常に骨の折れる作業だった。私はどうしても納得の行く志望動機が考えられず悩んでいた。この会社は何をやっていて自分は何ができるのか、したいのか。それが説明できなかったのだ。志望企業のことが知りたい。土壇場になって私は近隣にあった志望企業の営業所に向かった。生の社員に聞けば何かわかるのではないか。そんな短絡的な考えだった。対応してくれた社員の人は、事情は聞いてくれたが、突然のことに困惑していた。結果的には話すことすらできず、追い返されることになった。しかし、この話が採用担当に伝わっていたのだ。どう評価に影響したかはわからない。行動力のあるヤツだ、と評価されたのではないか。ふと、そう思うのである。

 今、思い起こしても、「肩書」のない私が採用に至る要因は、この2つしか思いつかない。就活に限らず、自分のアピール材料があるというのは非常に重要なことだ。「君は何ができるのか?」「君の持ち味は?」、これらは社会に出てからも問われ続けるだろう。肩書のある人に、ない人は勝てない。魅力のない人にろくな仕事はやってこないだろう。しかし、就活で結果を出す目的での「肩書」をわざわざ作る必要はない。なぜなら、何が「肩書」になるかはわからないから。就活は運なんだ。

 

 私の学生時代の友人にも、就職を有利にすることを目的として体育会系の部活に所属したり、ボランティア活動をしたりしていた人がいた。確かに「肩書」の存在は採用の可能性を上げるだろう。けれどほんの少しだ。受験数を10社を20社にと、数を増やして採用の可能性を上げる行為とやっていることは変わらない。活動を続けていれば、いずれ自分すら気づいていなかった魅力、肩書を、企業側が気づいてくれる。そんな瞬間がきっと来る。この次に来るかはわからない。就活は運だから。

 

 

 私は就活で10数社を受験し、この1社以外すべて不採用という結果を頂戴した。自分を否定されているかのよう苦しみが胸に突き刺さり、夜、風呂に浸かりながら涙したことすらある。しかし、悲しむことなどナンセンス。意味のないことだった。悩むこと自体が無駄である。不採用通知などハズレ馬券と同じだ。馬券がハズレたのは運が悪かっただけだ。あなたは何も悪くない。深刻に考えすぎて時間を無駄にしてはいけない。

 私が今の考え方、経験を持ち合わせたまま、学生時代の当時に戻ることが仮にできたとする。一流大学を卒業見込みだったとする。新卒枠で就活ができたとする。魅力ある人材になるべく研鑽し、学生生活を充実させ、企業の採用候補になるだけのレベルに達したとする。同じ企業に採用されるだろうか。きっと採用されない。なぜなら、就活は運だからだ。あなたは何も悪くない。

 就活で結果が出せるかは、9割が運、1割が実力だ。これは今も昔も変わらない。どんなに有能で自信があっても、企業の求める人材像に合わなければ、面接官と相性が合わなければ、エントリーシートを見てもらえなければ、採用枠(数)が少なすぎれば、逆に志望者が多すぎれば、結果は出ない。そのほとんどが自分ではなく外部に要因がある。自分ではどうにもできない運の部分が大きい。私が社会で働くことより就活の方が厳しいと感じる理由。それは運の要素が占める広さの違いだ。就活は手探りの部分が多すぎる。

 イチローだって全打席でヒットを打つわけじゃない。打てない打席があるから実力不足というわけでは決してない。就活だって全企業で内定が出るわけじゃない。不採用だからといって実力不足というわけでは決してない。イチローはいつか必ずヒットを打つ。あなたも必ず結果を出す。数をこなせばいずれ達成される。それだけだ。イチローが三振したって何も悪くない。あなたが不採用だったからって何も悪くない。立ち止まらず、バットを振り続けてみて欲しい。