人は充実感を求めるものだ。
やみくもに活動して、成果を求めても何も得られなければ、最後は虚無感しか残らない。

何も高尚な話をしようとしているのではない。
日常の雑事だ。
しかもきれいな話でもない。

人は自分の匂いが大好きだ。
排泄物しかり。

人為的に自ら取り除いた自分の断片も大好きだ。

ここに一本の耳掻きがある。
たいていの人は、当面の急用がない限り、やおらそれを耳の中に入れ、耳掃除をはじめることだろう。
気持ちいい。
しかも、小さなスコップに自分の耳垢がこんもり乗っているなんとも言えない充実感。
じっと見つめる。
そのとき、‘’こんなにとれました‘’と思い、深い充実感に充たされるのだ。
「実感」と言い換えてもいいかもしれない。

ティッシュの上に耳垢を置く。
しばし眺めた後、おもむろにくるみ、ゴミ箱にポイする。

それはまるで「夏の終わりのハーモニー」のように切なく、「大阪で生まれた女」の歌詞のようにこれで青春も終わりかなと思って泣けてくるのだ。いささかたいそうだが。

充実感の前では、人はかなりのことが我慢できる。





こんなことをGWの日曜日の朝に、耳掃除をしながら考えている自分は何者だろうか?とふと思う。

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