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1994年、多数派民族が集団になって少数派民族の隣人をナタやこん棒で殴り殺したルワンダのジェノサイド(集団虐殺)。
多くの地区で少数派民族が根絶やしにされ、国人口が1〜2割も減ったとされる現場で、私がヘイトスピーチについて考えたこと
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基礎知識。
ルワンダでは多数派民族フツと少数派民族ツチがかつては友好的に暮らしていた。
でも旧宗主国ベルギーが「ツチは鼻が高く西洋人に近い」などの理由から、ツチに多数派のフツを統治させる形で支配を進めたため、双方が憎み合うようになった
独立後の94年、フツ系大統領の飛行機が撃墜されたことを機に、政府軍やフツの民兵組織がツチの虐殺に乗り出した。
使用されたのは原爆でもトマホークでもAK47銃でもなく、市民を扇動するラジオと人々が農作業で使っていた原始的なナタだった
訪れたルワンダは美しい国だった。
国全体が高地にあることから気温も冷涼で、山や丘が多く日本の長野に似ている。
人々は穏やかで、だからなぜ、彼らがわずか100日間で80万人以上もの隣人を殺めてしまったのか、私は理解できなかった
「生存者」を見つけるのは簡単だった。
現地助手にその旨を告げると、彼は「どの集落にもいるよ」といって急に車を止め、通りがかりの人に尋ね、近くにある一件の民家を訪ねた。
女性は助手の申し出に困惑しながらも、私たちの取材に応じてくれた
当時中学生だった女性(35)は、フツに両親と兄弟7人を殺されていた。
大統領の乗った飛行機が落ち、暴動が始まると、家族と教会に逃げ込んだ。
2千人が集まっている教会にフツの民兵がトラックで押し寄せ、「皆殺しだ」とナタで切りつけ始めた
教会を逃げ出して自宅に戻ると、十数人の民兵が押し寄せ、「全員殺す」と父を脅した。
父は全財産を差し出したが、民兵は現金を奪うと家族の前で父の首を切り落とした。
悲鳴を上げた長女はナタで両手両足を切り落とされ、数十分後に死亡した。
姉妹3人と兄弟3人はナタで体を切り刻まれて、近くの深さ11bの穴へと放り込まれた。
女性が明朝、穴の近くに行ってみると、当時3歳だった妹が無数の遺体の中でまだ生きていた。
縄を使って引き上げ、湿地へと逃げて、泥水を飲みながら生き抜いた
当初、「私は何もされなかった」と証言した。
ところが終盤に涙を流し、「私は中学生だったから、隣人たちにレイプされて殺されなかっただけ」と言った。
数カ月後、妊娠していることを知り、自殺を考えたが、「神様が与えてくれた命」と娘を産んだ
当時3歳だった妹と写真に写った。
今は農業を続けながら、虐殺があった同じ家で暮らしている。
娘は寮から大学に通う。
「私は今、家族を殺した隣人たちを必死に彼らを許そうとしている。そうしなければ、ここで生きて行くことができないから」
放牧業の男性は妻と子ども3人をフツに殺された。
息子は民兵に穴を掘ってそこに入るよう命じられ、首から下を地中に埋められたまま、数日間放置されて餓死した。
加害者は自宅から数百b離れた隣人だった。
私は名前を聞いて隣の集落を訪ねた
加害者は応じた。
民兵組織に入り、村の外へと通じる道を封じて、逃げようとするツチの殺害した。
その後逮捕され、13年間服役した。
「仕方がなかったんだ。政府やラジオが『ゴキブリを殺せ』と連呼していたし。一人だけ抵抗するのは難しいんだ」
訪れた「キガリ集団虐殺記念館」では、キガリ市内で殺された約2万9千体の遺体を収容していた。
展示室ではナタや切り刻まれた跡の残る頭蓋骨などを実際に展示し、当時何が起きたのかを来訪者に必死に伝えようとしている
記念館には遺体で埋まった協会の写真が展示されていた。
責任者は「隠すこともできるが、それでは記憶を継承していくことはできない」。
私のその実際にその場所に出向き、そこで何が起きたのかを考えたいと思った
車で訪れたンタラマ村では、虐殺のあった教会が記念館として使われていた。
窓の位置で展示写真と同じ場所であることがわかる。
ここでは5千人が殺された。
撮影は許されなかったが、まだ埋葬できない数百の遺骨がバラック小屋の棚に並べられていた
人が生きたまま焼かれた調理室や、子どもが壁に投げつけて殺された壁(写真)などを案内された。
ガイドは「やがて展示をソフトに変えようとする流れも出てくるかもしれない。でもそうなると、同じことが繰り返される。『ゴキブリを殺せ』と」
今回の取材が極めてショッキングだったのは、人は一緒に生活してきた隣人をナタやこん棒といった自らにも痛みを伴う方法でいとも簡単に、そして大量に殺害することができるのだということだった。
普通ではできない。
ではなぜ彼らはできたのか
そこには全体主義としての流れがあり、それを作り上げるメディアがあった。
「ゴキブリを殺せ」とラジオが叫び、人々もそう口を動かしているうちに、気がつけば本当に殺人鬼になってしまっていた
「ゴキブリを殺せ」。
5千人が虐殺された教会でその言葉を聞き、私はかつての勤務先である新宿の光景を思い浮かた。
たくさんの日章旗を振りかざす人々が一字一句違わない言葉で「ゴキブリを殺せ」と少数派の在日朝鮮人の人々に向かって叫んでいた
ヘイトスピーチを許さないこと。
それは少数派を守ると同時に多数派である加害者を、つまり我々の隣人を殺人者にしないための方策なのだと私は教会に立ちすくみ思った。
ここでは「殺せ」と叫んだ人たちが本当に、無数の幼なじみや隣人を殺害している
「殺せ」と叫ぶ人々は、やがて潮目が変われば本当に殺すだろう。
笑いながら、歌いながら、子どもたちの足を持ち、ぶんぶん振り回して、煉瓦の壁で頭を砕くだろう。
ルワンダの歴史はファンタジーではなく、わずか22年前のノンフィクション
歴史は繰り返す。
例えどんなに科学技術が発達しても、我々人間は本質的に変われないから。
できることは、まず現実を直視し、過去に学び、自らが過つ前に、その歩みをただすこと。
石碑に刻まれる犠牲者の名をこれ以上増やさないためにも(終)


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