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【芸能・社会】歌丸「笑点」司会を降板 79歳「体力の限界なんです」2016年5月1日 紙面から
落語家の桂歌丸(79)が30日、日本テレビ系人気番組「笑点」の大喜利司会を、22日の生放送をもって降板すると発表した。この日、大喜利メンバーらと東京・水道橋の後楽園ホールで「笑点50周年記念スペシャル」(15日放送)の公開収録に参加。番組最後、「来週の放送を最後に、大喜利の司会を辞めさせていただきたいと思っております」と報告した。「体力の限界なんです」と説明している。 番組収録後の会見で、歌丸は司会引退について「歩くことが今、大変に苦しいです。肺気腫を患ったために、息切れしてしまう」と体力的なキツさ、健康面での不安を理由に挙げた。 1966年5月の初回放送から大喜利メンバーとして出演し、2006年5月、5代目三遊亭円楽さんの後を受けて司会になった歌丸。 過去、脱腸や急性腹膜炎の手術を受けても「笑点」出演を続けたが、08年以降は腰の手術や肺炎、肋骨(ろっこつ)骨折、インフルエンザなどで休演も目立った。昨年6月には背部褥瘡(はいぶじょくそう)の手術のため入院。退院後に腸閉塞(へいそく)で再び入院し、約2カ月に及ぶ長期休養を強いられた。 「夏場に長い入院をして、その時引き際だなと考えていた」という歌丸は昨秋、日テレ側に降板の意向を伝えたが「5月の50周年までは」と慰留されたという。「笑点50周年と、噺(はなし)家になって今年で65年、年は80歳。いろいろな節目も重なって決心した」と振り返る。 今の心境は「正直寂しいです」。一方で「大喜利の司会を辞めても、落語は続けます。まだまだ覚えたい噺(はなし)もあります。落語では負けちゃいられない」と意気軒高だった。 「笑点」に関して「全部が全部思い出」としながらも、「先代の円楽さんに『歌さん、頼む』と言われたことは生涯忘れません。笑点だけじゃなく、ありとあらゆるものを『頼む』と言われたと思います」としみじみ語った。 日テレによると後任は「検討中」。歌丸は「若い方にお譲りして、これから60年、70年と続けていただきたい」と番組の繁栄を願った。 歌丸は「終身名誉司会」に就任し、番組の前に放送されているミニ番組に引き続き出演する。新しい肩書を聞かされた歌丸は、大喜利メンバーに「みんな、来月から上納金持ってきなさいよ」と命じ、場の空気を和らげた。 <桂歌丸(かつら・うたまる)=本名は椎名巌(しいな・いわお)> 1936(昭和11)年8月14日生まれ。横浜市出身。中学生だった51年に5代目古今亭今輔に入門、古今亭今児を名乗る。遊郭や怪談を題材にした落語が得意で、54年に二つ目昇進。61年に4代目桂米丸門下に移籍し、桂米坊に改名、64年に現在の桂歌丸に再改名した。68年に真打昇進。「笑点」には前身番組だった「金曜寄席」(65年)の第1回から出演し、06年から5代目司会者。04年、落語芸術協会5代目会長就任。07年春、旭日小綬章を受章。 <笑点> 1966(昭和41)年5月15日から日曜夕方に放送されている演芸バラエティー番組。大喜利は看板コーナー。しばしば視聴率20%台を記録し、国民的人気を誇る。 PR情報
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