地震、火事、水害――。これまでいくつもの災害に見舞われてきた墨田区。それを昔の話と思うなかれ。今でもこの土地は、都内有数の災害危険地帯なのだ。そんな街でそろそろ向き合いたい、災害のこと。(本記事は『TOmagazine墨田区特集号』に掲載された記事「そろそろちゃんと向き合いたい 災害のこと。」を再構成したものです)なおトップイメージに使用した画像は、1923年の関東大震災についての調査報告を地図に落とし込んだ「東京市火災動態地図」。『震災予防調査会報告 第百号』全6巻の火災篇に収められており、震災による焼失地域・火元・飛火などの詳細な情報が地図上に記録されている。現在、その全文と図版の高細密画像は、防災専門図書館のWebサイト上で公開されている。関東大震災の第一級資料。(震災豫防調査會『震災予防調査会報告 第百号(戊)関東大地震調査報文 火災篇』所収「東京市火災動態地圖」/(公社)全国市有物件災害共済会 防災専門図書館所蔵)
そもそも、荒川と隅田川に挟まれた三角地帯にあって海抜も低く、津波や高潮などの水害に幾度となく悩まされてきた土地である墨田区。さらに、江戸一帯が焼け野原になった明暦の大火や、関東大震災、東京大空襲といった災害・戦災では、現在の墨田区にあたる土地の多くが焼失。そのたびに復興してきた歴史がある。しかし、災害の危険が身近だったのは過去だけの話ではない。
1657年に起こり、江戸の大半が焼失した明暦の大火(振袖火事)。その様子を描いた田代幸春による絵(1814年)
地震の跡、陸軍本所被服廠跡地(現・横網町公園)で起こった火災旋風による避難民たちの遺体。火災による被害は全犠牲者中、約9割にのぼったといわれる。
1945年3月10日にあった大空襲の後、本所区松坂町、元町(現・墨田区両国)付近で撮影された写真。右側に見えるのは隅田川。
海抜高度が低く、水害の危険性と隣合わせなのは、今も昔も同じ。また、関東大震災後にバラックが建てられ、東京大空襲の戦災を免れた墨田区の一部地域では、インフラ整備もままならないまま、細い道沿いに木造建築が密集しており、老朽化による倒壊、火災による延焼の可能性が懸念されている。
つまり墨田は、今までも、そしてこれからも、常に災害の危険と隣り合わせで生きていかねばならない、「災害都市」と呼ぶにふさわしい地域なのだ。そのことを踏まえ、それでもこの土地で暮らす上で、知っておくべき情報、持っておきたい心構えとは何か。本稿ではそれを前後編でひも解いていきたい。
*3日間総雨量548mm(200年に1回程度の確率で起こる大雨を想定した浸水想定(墨田区「墨田区洪水・都市型水害ハザードマップ」2014年6月を基に作成)
**都内5,133町丁目における町丁目ごとの建物の倒壊および火災危険性の度合いを5つのランクに分け、相対的に評価したもの(東京都都市整備局「地震に関する地域危険度測定調査(第7回)」2013年9月を基に作成)