「アイドル戦国時代」というバズワードが世間に流布されはじめた2010年頃から、私の心の中にあったのは「怒り」だったと言っていい。
そうしたアイドルブームになる以前から、ライブアイドルシーンは脈々と存在していたのに、まるで無かったことのように語られていたからだ。
「アイドル戦国時代」と呼ばれるまでの期間を「アイドル冬の時代」と一言で片づけられてしまうのなら、私がtoutouやChu!☆Lipsといったアイドルたちを現場で見ていた日々はなんだったのだろうか?
[MV] Perfume「Dream Fighter」
2008年、Perfumeの1stオリジナルアルバム『GAME』がオリコン週間アルバムランキングで1位を獲得し、その熱狂の中で私は彼女たちの全国ツアー「Perfume First Tour 『GAME』」に身を投じた。
中田ヤスタカのプロデュースにより常に音楽的にレベルの高い楽曲群をリリースし、パフォーマンス面でも突出した存在でありながら、長い間辛酸を舐めていたPerfume。彼女たちの晴れの全国ツアーを1公演でも多く見たい、という衝動にもはや理由はなかった。たとえもう握手会はないとしても。
11公演のうち6公演を見たが、それでもまだ足りないという感覚に陥っていたほどだ。
そして、Perfumeが目標としていた武道館公演を2008年11月6日、7日に見届けたことで、私の中では一区切りがついていく。
【MV】 RIVER / AKB48 [公式]
2009年には、AKB48が「RIVER」で初のオリコン週間シングルランキング1位を獲得する。
それ以降の世間の雰囲気は、アイドルファンではない人々もモーニング娘。を話題にしていた2000年前後を思い出させるものになった。
そう、アイドルが再び人々の共通言語になったのだ。
コンビニに行けば、AKB48のメンバーが表紙を飾る雑誌たちが並んでいた。それを見れば、学生たちの間にも自然と会話は生まれる。
AKB48は「CDを積ませる」ことに成功した点が話題になりがちだが、若年層にもアピールする様々な工夫をしていた。秋葉原にあるAKB48劇場では、中学生や高校生のために安いチケットが販売されていた。そう、現在ではマナーの悪いオタクたちを指す「ピンチケ」という言葉のルーツであるピンクのチケットである。
2006年に初めてAKB48劇場で彼女たちを見たときは、気軽に6人で連れだって行けものだ。だが、ミリオンセラーの連発によって、それも遠い過去の記憶になっていった。
でんぱ組.inc「くちづけキボンヌ」6人ver.
でんぱ組.incを初めて見たのは2010年、ミュージシャンのサエキけんぞうが主催していた「TOgether」というイベントだったはずだ。だが、それ以前からでんぱ組.incのセンターである古川未鈴のソロ活動は見ていた。
特に、2009年4月26日に渋谷J-POP CAFEで開催された「Shibuya GIRLS EXPO」で、当時私が追いかけていたtoutouと対バンした日のことを思い出す。その日、出番を終えた古川未鈴は普通にフロアを歩いており、そしてステージ上のtoutouは突然解散を発表したのだ。ショックのあまり、私はその直後しばらくの記憶が欠落している。
その後のでんぱ組.incの勢いは、2011年5月7日に原宿アストロホールで開催されたバンドじゃないもん!とのツーマンライヴ「ASTRO HALL 11th anniversary『PRIVATE LESSON』」で目の当たりにすることになる。
メディアの露出やセールス、動員力からしても、でんぱ組.incはすでに大ブレイクしていると言っていいだろう。
ももいろクローバー/行くぜっ!怪盗少女(MOMOIRO CLOVER/IKUZE! KAITOU SYOUJO)
2012年には、ももいろクローバーZが「NHK紅白歌合戦」に初出場した。
luteで公開されたEpisode2の動画に登場するプロデューサーの田家大知は、当初アイドルに関しては完全な門外漢だったものの、ももいろクローバーZ(当時はももいろクローバー名義)に刺激を受け、2012年にニューウェーブアイドル・ゆるめるモ!をつくった人物だ。
規模こそ違えど、影響を与えた側と影響を受けた側が、すでに同じアイドルシーンにいる状況は面白い。
2015年には乃木坂46が「NHK紅白歌合戦」に初出場しているものの、彼女たちもAKB48グループの公式ライバルという形で縁が深く、事実上アイドルはいよいよ「上がつかえている」状況になっている。
ここまで「アイドル戦国時代」(使いたくない言葉だが便利であることは認めなくてはならない)のトッププレイヤーたちについて書いてきた。
要は、事務所の大小の差こそあれ、どのアイドルもライブアイドル上がりなのだ。
そうしたアイドルブームの一方で、2008年のPerfumeの武道館公演以降、私は現場を放浪する状態になっていた。
当時はテクノポップ系のアイドルが隆盛で、なかでも大阪を拠点にしていたの2人組アイドルユニット・amU、本連載の第1回でインタビューを行ったJulie Wataiも所属していたCutie Pai、現在もSaoriiiiiとしてソロ活動を行っているSaori@destinyのライブによく行っていたことを思い出す。
Perfumeのように熱狂の中で魂を救済されたい。そんな気狂いじみたことを平然と公言し、2009年からは、ウェブメディア「メンズサイゾー」で「私を生まれ変わらせてくれるアイドルを求めて」という連載を始めてしまった。今思い返しても、そういう精神状態だったとしか言いようがない。
そんな私に魂の救済は突然訪れた。BiSである。
そうしたアイドルブームになる以前から、ライブアイドルシーンは脈々と存在していたのに、まるで無かったことのように語られていたからだ。
「アイドル戦国時代」と呼ばれるまでの期間を「アイドル冬の時代」と一言で片づけられてしまうのなら、私がtoutouやChu!☆Lipsといったアイドルたちを現場で見ていた日々はなんだったのだろうか?
text by 宗像明将YouTube上のメディア「lute/ルーテ」にて、ライブ・楽曲・プロデュースという3つの側面から探っていく動画が公開されている。KAI-YOU.netではluteと連動し、彼女たちがどのようにして激しいライブシーンをつくり上げてきたのかを全3回に渡って掲載。
第1回では90年代に活躍したライブアイドル現場を知る方たちにインタビューを敢行し、現在につながるルーツを探った。第2回となる今回は、「アイドル戦国時代」以降、急速に人気を高めていったアイドルたちに迫る。 KAI-YOU編集部
もはや説明不要なアイドル戦国時代の主役たち
中田ヤスタカのプロデュースにより常に音楽的にレベルの高い楽曲群をリリースし、パフォーマンス面でも突出した存在でありながら、長い間辛酸を舐めていたPerfume。彼女たちの晴れの全国ツアーを1公演でも多く見たい、という衝動にもはや理由はなかった。たとえもう握手会はないとしても。
11公演のうち6公演を見たが、それでもまだ足りないという感覚に陥っていたほどだ。
そして、Perfumeが目標としていた武道館公演を2008年11月6日、7日に見届けたことで、私の中では一区切りがついていく。
それ以降の世間の雰囲気は、アイドルファンではない人々もモーニング娘。を話題にしていた2000年前後を思い出させるものになった。
そう、アイドルが再び人々の共通言語になったのだ。
コンビニに行けば、AKB48のメンバーが表紙を飾る雑誌たちが並んでいた。それを見れば、学生たちの間にも自然と会話は生まれる。
AKB48は「CDを積ませる」ことに成功した点が話題になりがちだが、若年層にもアピールする様々な工夫をしていた。秋葉原にあるAKB48劇場では、中学生や高校生のために安いチケットが販売されていた。そう、現在ではマナーの悪いオタクたちを指す「ピンチケ」という言葉のルーツであるピンクのチケットである。
2006年に初めてAKB48劇場で彼女たちを見たときは、気軽に6人で連れだって行けものだ。だが、ミリオンセラーの連発によって、それも遠い過去の記憶になっていった。
特に、2009年4月26日に渋谷J-POP CAFEで開催された「Shibuya GIRLS EXPO」で、当時私が追いかけていたtoutouと対バンした日のことを思い出す。その日、出番を終えた古川未鈴は普通にフロアを歩いており、そしてステージ上のtoutouは突然解散を発表したのだ。ショックのあまり、私はその直後しばらくの記憶が欠落している。
その後のでんぱ組.incの勢いは、2011年5月7日に原宿アストロホールで開催されたバンドじゃないもん!とのツーマンライヴ「ASTRO HALL 11th anniversary『PRIVATE LESSON』」で目の当たりにすることになる。
メディアの露出やセールス、動員力からしても、でんぱ組.incはすでに大ブレイクしていると言っていいだろう。
luteで公開されたEpisode2の動画に登場するプロデューサーの田家大知は、当初アイドルに関しては完全な門外漢だったものの、ももいろクローバーZ(当時はももいろクローバー名義)に刺激を受け、2012年にニューウェーブアイドル・ゆるめるモ!をつくった人物だ。
規模こそ違えど、影響を与えた側と影響を受けた側が、すでに同じアイドルシーンにいる状況は面白い。
2015年には乃木坂46が「NHK紅白歌合戦」に初出場しているものの、彼女たちもAKB48グループの公式ライバルという形で縁が深く、事実上アイドルはいよいよ「上がつかえている」状況になっている。
ここまで「アイドル戦国時代」(使いたくない言葉だが便利であることは認めなくてはならない)のトッププレイヤーたちについて書いてきた。
要は、事務所の大小の差こそあれ、どのアイドルもライブアイドル上がりなのだ。
そうしたアイドルブームの一方で、2008年のPerfumeの武道館公演以降、私は現場を放浪する状態になっていた。
当時はテクノポップ系のアイドルが隆盛で、なかでも大阪を拠点にしていたの2人組アイドルユニット・amU、本連載の第1回でインタビューを行ったJulie Wataiも所属していたCutie Pai、現在もSaoriiiiiとしてソロ活動を行っているSaori@destinyのライブによく行っていたことを思い出す。
Perfumeのように熱狂の中で魂を救済されたい。そんな気狂いじみたことを平然と公言し、2009年からは、ウェブメディア「メンズサイゾー」で「私を生まれ変わらせてくれるアイドルを求めて」という連載を始めてしまった。今思い返しても、そういう精神状態だったとしか言いようがない。
そんな私に魂の救済は突然訪れた。BiSである。
この記事へのコメント(0)