近頃ときどき
「それは思考停止だから」
とか
「思考停止なんじゃないの?」
みたいな文章を目にすることがある。
こう、だいたい「それは、良くない!」っていうような感じで。
私も、【思考停止】という単語を、使った事がある。と思う。
でもね、【思考停止】って言う事自体が、
すべて間違った行為や愚かな行為とは限らないと思うんです。
今の自分の、手に負えないもの。
人は、成長だとか変化だとか、するとかしないとか、言われます。
私は、するんじゃないかと思う。成長したり、変化したり。
例えば、とても辛く苦しい体験をしたとき、
すぐに、その事実を受け入れる事が出来ない。なんていう事は、
誰にでも、起きる事なんじゃないかと思うんです。大なり、小なり。
私の知人は、10年間、大切な人の死を受け入れる事が出来なかったし
私から見た印象は、直視する事すら、出来ていなかった(余りにも過酷な現実だった)
で、それで、自然だと思う。
この場合は、それで当然なんだ。
すぐに直視できる人間も居る。
でも、10年間という時間を、必要とする場合もある。
その人が、その事実に直面する事が脅威になる段階では、
事実から意識をそらす事は、
非常に有効な、実は前向きな手段なんじゃないかと思います。
いま現時点では。
いつか体力と、自分の心を支える力がついた時、
そのとき、向き合えばいいじゃんか!
で、そういう時、やっぱり恐怖にとらわれそうになったら
「あ、だめ。思考停止!」で、いいんですよ!
まだ、準備足らずだった。また次のチャンスって!
何度でもトライ。周りの人たちの力、借りてでも良いんだから。
※もっと、軽い例で言ったらね、たとえば小学校一年生に「微分積分」の問題をいきなり出しても、フリーズしちゃいますよね!?もしも、非常に優秀な子が居たとしても、いきなり解いちゃうワケじゃなくて、多分、その前段階に「基礎解析」を学んでいますよね!物事には、段階ってもんがあって、無理なものは無理なんです。それは、他の人は出来るのにどうして?とか、そーいうもんでもないし、他の人が出来ないから大丈夫ってワケでもない。
よくね、「逃げちゃいけない」とかね、言うけどね。
私は「全然、逃げていい」と思います。
ここ、繰り返しますよお!
「全然、逃げていい」です。
逃げることの出来ない事っていうのが、あります。自分自身です。
それは残念ながら一生逃げられないから、いつでも対決できます(笑)
成長して、視力も良くなって、本当の事がもっとよく見えるようになったら、どこまで逃げた所で、結局、自分自身とは向き合う事になるから、大丈夫。
安心していい。自分からは逃げ切れない。いつも一緒に居るんだから。
だからこそ。
戦えるときに、戦うしかない。
でも逃げる必要の在る、むしろ、逃げなきゃいけない危機もあるから。
「逃げる必要があるかどうかは、自分で選択する」
自分が心から思ったら、怖いと感じたら、逃げていい。
逃げるという選択肢は、あることだけ。知っていて。
逃げる事は、全然、卑怯な事じゃない。
むしろ、必要な時だって、たくさんあるんだから。
ネガティブに捕らわれそうになった時。
ネガティブになる時は、基本的に体調やら何らかの刺激やら、あるものだと思う。
つまりなにか、引き金になるもの、きっかけになるものがある。
で、ネガティブな事やドス黒い事を考えると、人間は悪循環みたいなスパイラルになっちゃって、どんどこどんどこ、いろんな要素もくっついてきちゃう。
最初のきっかけなんて些細であっても、カンケーない。
どんどん終わりなき悪のスパイラル曲線。最初のきっかけすら、忘れたり。
普段なら、気にならないことにも過敏になったり。
他者の何気ない一言にも、反応しちゃったり。
偶然起きた、たまたまのアクシデントも、必要以上に重荷に感じたり。
で、それも、多分、思考が、関連付けて来るんだと思う。
感情に合うように、思考は連想させてくるから。
だから、そういう時も、思考停止。
ネガティブはネガティブを呼ぶし、ネガティブのせいで嫌な気持ちが終わらないなら、そういう気分が膨らんでいくならば、それは日常生活の大敵です。
美容にも大敵です。お肌に悪い。
速攻で、瞬殺で、ネガティブな考えを、思考停止!
よく「人の事より、自分の心配をしなさい!」とか言う台詞がありますけれど、
「ネガティブより、ポジティブの心配をしなさい!」と言いたい。
自分の優先順位の低い事は【思考停止】にしないと、時間が足りない。
人生を掛けて継続的に、真剣に、考え続けなくてはならない問題もあるし。
あ、わたし以前、内向的や消極的は悪い事じゃない、という記事を書きました。
【内向的、消極的】と【ネガティブ】は、全く性質の違うものです!
少なくとも、私の定義では。
私は(基本的に)アンチ・ネガティブ派です。あんま、いいこと無いよ。
だいたい【ネガティブ】って場合には、必要の無い事まで「ネガティブ」に考えがちだから、事実よりも悪く考えやすいんだって。ほんとほんと。
事実のほうをきちんと見る方が、大事だから。ぜったい。
では、どうやって思考停止に、するか?
単純に、思考は、脳が過剰活動している状態なので、
- カラダの方を必死で動かさなきゃいけないこと。
- 感覚器が、否応なしに集中してしまうようなこと。
をすると、停止します。
具体的に例を挙げるなら、
1:カラダ
- 全身運動する
- スポーツで試合する
- 負荷の高い筋トレをする
- 家中、大掃除する
- 合唱曲を歌う
まあ、俗に言うストレス発散みたいなやつですね。
集中して、カラダを動かすと、思考は一新されます。
2:感覚器
- 食べる
- 音楽を聴く
- お風呂に入る
- エステに行く
- マッサージに行く
- お香を焚く
「会社で嫌な事があったから、食べすぎちゃって・・・」みたいな悪い事のように受け取られるけど、味覚を満たしてあげること、幸せな刺激を与える事は、良い事です!
太ったら、また痩せればいいんだから。
気をつけなくてはいけないのは、感覚の場合は受身のものなので、
機械的にやらないことです!気持ち良い刺激に対して、
自覚的に、真剣に、前のめりで、能動的に集中することが、重要です。
とはいえ、思考停止という言葉の使用法は・・・
冒頭に戻るけど、だいたい、「思考停止」という言葉を使って、他者を揶揄することって言うのは、基本的にはあんまり良くない事なんじゃないのかな・・・と思う。
そもそも思考が停止する場合、私は【理由がある】と思っているんです。
おおむね。
検証は出来る場合と、出来ない場合と、あるけど。
で、問題は停止している理由の内容、コレ次第で変わってくると思う。
その理由次第で、批判されるにふさわしい場合もあれば、
許容できる場合も、あるんじゃないか!?
それについては長くなるので、続きはまた次にします。