ロクなことにならないと知りながらも、面倒なことは後回ししてしまう。これは人類共通の性質なので仕方がないが、人によって程度の差はあるようだ。
『ヒトはなぜ先延ばしをしてしまうのか』にはチェックリストが付いているので、興味あれば点数をつけてほしい。僕はというと、中程度〜重度の先延ばし度であった。
《目次》
ミー・リサーチ
研究者にとってリサーチ(=research)とは、「ミー・リサーチ(=me-research)」である場合が多い。科学者はたいてい、ミー(自分)に関する問題をサーチ(調査)するために研究に取り組む。私が先延ばし癖の持ち主の気持ちを理解できるのは、それが自分も身に覚えのある悩みだからだ。
人間が一番興味があるのは自分のことだ。そして一番興味あることに対して人間は力を発揮し、成果を残すことができる。そう考えれば当然、対象にすべき調査対象は自分についてだ。これは一般化できることなので、僕もあなたも同じはずだ。
著者の場合、自分が先延ばしのプロフェッショナルであることに気づいていた。だから先延ばし研究に人生の一時期を捧げた。そして成果を出した。
「先延ばし」の定義
先延ばしとは、「自分にとって好ましくない結果を招くと知りながら、自発的にものごとを延期すること」と定義できる。自分の首を絞めると承知の上で、という点がミソだ。
このブログでは何度も繰り返し書いているが、何事も深堀りするためには言葉の「定義」からはじめるのが定石だ。
「先延ばし」の場合は、「好ましくない結果を招くと知りながら」が第一のポイントだ。例えば、仕事をなかなかしない同僚がいたとする。しかし、彼が2、3日経てばそのプロジェクトが打ち切りになって仕事が無駄になると予想していたとしたら、彼の行動は「先延ばし」ではない。同じく、遅らせれば追加の情報が入るとか、切羽詰まると質の高い仕事ができると確信している人の遅延行動は「先延ばし」ではない。
もう1つは見逃しがちだが「自発的に」というポイントだ。不可抗力のある遅延は「先延ばし」ではない。これは当たり前のことなので、すっと理解しやすい。
先延ばしの方程式
期待 X 価値 / 衝動性 X 遅れ
これが先延ばしの方程式だ。
期待
どうせ失敗すると決めつけるタイプは、先延ばしをしやすい。「期待」をしていなければ、当然やる気は起こらない。どうせやってもうまくいかないのであれば、やらなくても同じだ。うまくいかないのが真実であればやらなくて良いが、自己肯定感が低くて期待値が下がっているのであればもったいないことだ。
価値
課題が退屈でたまらないタイプは、先延ばしをしやすい。つまり、やるべきことへの「価値」が低過ぎる人だ。押し付けられると人はやる気を失う。自分から進んで課題をこなすよう、自ら工夫していきたい。再考してみて本当に無価値ならやる必要はないので切り捨てれば良い。
衝動性
目の前の誘惑に勝てない「衝動性」の高いタイプは、先延ばしをしやすい。長く待たないと得られないご褒美より、すぐ手に入るご褒美をはるかに魅力的だと感じてしまう。まずは冷静になることが必要だが、こういう人は言ってもなかなか聞かないだろう。
遅れ
ある意味「衝動性」の裏返しなのが「遅れ」。「価値」を得るタイミングが遅ければ、先延ばしをしやすくなる。長く待った方がトータル的なメリットは大きいはずなのに、待てない。人は不合理に長期の利益を無視して目の前の利益につられるというのは、行動経済学の多くの研究者が口を同じくして言っている抗いがたい人類の共通項だ。
先延ばしの方程式に屈しない
先延ばしをしないためには、方程式を構成する大きく3つの要素(「衝動性」と「遅れ」は1つにまとめられる)に1つずつ対抗していけば良い。
先延ばししやすいジャンルとして本著では「健康」「キャリア」「教育」をトップ3に挙げている。これらに対して「価値は本当にないのか?あるのであればどれほどの価値があるのか?」「達成できる期待値は本当に低いのか?高めるためにはどうすれば良いのか?」「価値と期待を考えた上でも、まだ目の前の誘惑を優先するのか?その結果どうなるか予想できるか?」を考え直すべきだ。
人間はすぐにバカになる。短絡的に目の前の今やることを判断してしまう。冷静に、自問自答してから行動することが人生を豊かにする。
さて、残りのGWをどう過ごそうか?