「社会」とはどのようなものか。私達が生きるこの「社会」において、様々な自己啓発の手段が求められ、消費されていくこの社会で自分自身の位置を見定めるために必要な知識とものの見方を提示する一冊。
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1. 社会学は「現代社会を見るためのレンズ」
第一にそれ(社会学)は、さまざまな現象を人と人との関係のあり方に即して分析し、理解しようとする学問です。第二に人と人との関係のあり方には一定の型があります。ですから、社会学とはこの関係の型に注目する学問であるともいえます。型というとやや抽象的すぎますので、ほかの言葉におき換えてみれば、例えば文化、価値観、ライフスタイルなどがそれにあたるでしょうか(P.7-8)。
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社会とは、人と人との関係が絡まり合い、積み重なったその全体です。社会の見通しにくさもそのような絡まり合い、積み重なりの結果として生み出されてくるわけですから、それを読み解くために社会学はうってつけの学問ということになるわけです(P.8)。
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2. 「私」という存在
「自分を探したい、あるいは探さずにはいられないと感じる人々」が相当数あらわれてくるような社会に、私たちは生きているらしいということです。そのことを前提にしたときに私たちがとり得る態度には次の二つのものがあります。一つは、社会の要請に応じて「自分とは何か」についてまじめに考えてみること。もう一つは「『自分とは何か』についてまじめに考えたい」と人に思わせる社会のあり方、それ自体について考えてみることです。前者が社会の推奨するゲームに乗ることだとすると、後者はゲームのルールを理解することだといい表すことができます(P.28)。
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「自分」や「自己」とは二つの種類の関係からできています。一つは他者との関係、もう一つは自分自身との関係です。(中略)自分は何者なのかという問いに答えようとすると、私たちはどうしても他者の視点を経由しないわけにはいかないということに気づかされます。(中略)つまりどのような自己も何らかの他者との関係の中ではじめて意味や実感のあるものとなっているのです(P.31-32)。
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そうだとすると「自己」というのは各人の内側にある何かではなく、それぞれの人を含んで成り立っているネットワーク全体に広がっていると考えるほうがよさそうです。今ここにいる「私」は、「私」を中心に延び広がっているネットワークの一部分として成り立っていると考えるのです。(中略)自分自身への関係を持つということは、この延び広がりのどこかに区切りを入れ、自分というものに明確な輪郭を与えるということを意味しているのです。輪郭のはっきりした自分自身を切りとったと思えるときに人はアイデンティティを確立したと表現したりします。自分探しというのは、そのような意味でのアイデンティティを探し求める営みであるということができるかもしれません(P.34)。
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著者紹介
浅野 智彦(あさの ともひこ)-1964年生まれ。東京学芸大学教育学部准教授。専門は、自己論・アイデンティティ論・物語論。著者に『自己への物語論的接近』『検証・若者の変貌』がある。
この本を読んで一言
情報化社会・グローバリゼーション・高齢化社会などと言われるこの世において、それらの現象が私たちにどういう影響を及ぼしているかを理解することは、自分が今後どのように生きていくかを考える上で大切なことですが、そもそもその現象が発生している「社会」とは何か、どういう動きをしているのか、その社会と私はどういう関係かという根源的な部分をつかめていないと混乱してしまう可能性もあるのではないでしょうか。社会学という学問が提供する、「自分の立ち位置をしっかりと見定めた上で、『社会』を”眺められる”視点」。常に変動していくこの世を生きる上で必要な視点なのではないでしょうか。
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