哲人は言い切る。「自分の人生は、自分で選ぶことができる」

「自分の人生は、日々の行いは、すべて自分で決定するものなのだと教えること。そして決めるにあたって必要な材料――たとえば知識や経験――があれば、それを提供していくこと。それが教育者のあるべき姿なのです。」100万部を突破したベストセラー『嫌われる勇気』待望の続編『幸せになる勇気』の特別掲載、最終回です。

自分の人生は、自分で選ぶことができる

青年 じゃあ先生のご提案を受け入れて、𠮟ることもせず、原因も問わず、生徒たちに「これからどうするか」を聞いたとしましょう。それでどうなるか? ……考えるまでもありません。出てくる言葉は「もうしません」とか「これからはちゃんとやる」とかいった、口先だけの反省ですよ。

哲人 反省の言葉を強要したところで、なにも生まれない。それはそのとおりです。よく、謝罪文や反省文を書かせる人がありますが、これらの文書は「許してもらうこと」だけを目的に書かれたものであって、なんら反省にはつながらない。書かせる側の自己満足以上のものにはならないでしょう。そうではなく、ここで問いたいのは、その人の生き方なのです。

青年 生き方?

哲人 カントの言葉を紹介しましょう。彼は自立について、こんなふうに語っています。「人間が未成年の状態にあるのは、理性が欠けているのではない。他者の指示を仰がないと自分の理性を使う決意も勇気も持てないからなのだ。つまり人間は自らの責任において未成年の状態にとどまっていることになる」

青年 ……未成年の状態?

哲人 ええ、真の自立に至らない状態です。なお、彼の使う「理性」という言葉は、知性から感性までを含めた「能力」全般のことだと考えればいいでしょう。

青年 われわれは能力が足りないのではなく、能力を使う勇気が足りていない。だから未成年の状態から抜け出せないのだと?

哲人 そうです。さらに彼はこう断言します。「自分の理性を使う勇気を持て」と。

青年 ほほう、まるでアドラーじゃありませんか。

哲人 それではなぜ、人は自らを「未成年の状態」に置こうとするのか。もっと端的に言うなら、なぜ人は自立を拒絶するのか。あなたの見解はいかがですか?

青年 ……臆病だから、ですか?

哲人 それもあるでしょう。ただ、カントの言葉をもう一度思いだしてください。われわれは「他者の指示」を仰いで生きていたほうが、楽なのです。むずかしいことを考えなくてもいいし、失敗の責任をとらなくてもいい。一定の忠誠さえ誓っていれば、面倒事はすべて誰かが引き受けてくれる。家庭や学校の子どもたちも、企業や役所で働く社会人も、カウンセリングにやってくる相談者も。そうでしょう?

青年 ま、まあ……。

哲人 しかも、周囲の大人たちは、子どもたちを「未成年の状態」に置いておくべく、自立がいかに危険なことであるか、そのリスク、恐ろしさについて、あの手この手を使って吹き込んでいきます。

青年 なんのために?

哲人 自分の支配下においておくために。

青年 なぜ、そんなことをするのです?

哲人 これはあなた自身、胸に手をあてて自問するといいでしょう。あなたも自分では気づかないうちに生徒たちの自立を妨げているのですから。

青年 わたしが!?

哲人 ええ、間違いありません。親、そして教育者は、どうしても子どもたちに過干渉になり、過保護になる。その結果、何事についても他者の指示を仰ぐような、「自分ではなにも決められない子ども」を育ててしまう。年齢だけは大人になっても、心は子どものままで、他者の指示がないとなにもできない人間を育ててしまう。これでは自立どころではありません。

青年 いや、少なくともわたしは生徒たちの自立を願っていますよ! なぜ、わざわざ自立を阻害しなきゃならんのです。

哲人 わかりませんか? あなたは生徒たちに自立されることが恐いのです。

青年 ど、どうして!?

哲人 もしも生徒たちが自立してしまったら、あなたと対等な立場に立ってしまったら、あなたの権威は崩れ去ってしまう。あなたはいま、生徒たちと「縦の関係」を築いており、その関係を崩されることが恐いのです。これは教育者だけでなく、多くの親が潜在的に抱える恐怖です。

青年 い、いや、わたしは……。

哲人 さらにもうひとつ。子どもたちが失敗したとき、特に他者に迷惑をかけたとき、当然あなたもその責任を問われます。教育者としての責任、監督者としての責任、親であれば親としての責任。そうですね?

青年 ええ、それはもちろん。

哲人 どうすればその責任を回避することができるか? 答えは簡単です。子どもを支配することです。子どもたちに冒険を許さず、無難で、怪我をしないような道ばかりを歩かせる。可能な限りコントロール下に置く。子どもたちを心配して、そうするのではありません。すべては自らの保身のためです。

青年 子どもたちの失敗によって、責任を問われたくないから?

哲人 そうなります。だからこそ、教育する立場にある人間、そして組織の運営を任されたリーダーは、常に「自立」という目標を掲げておかねばならないのです。

青年 ……保身に走らないように。

哲人 カウンセリングも同じです。われわれはカウンセリングをするとき、相談者を「依存」と「無責任」の地位に置かないことに細心の注意を払います。たとえば、相談者に「先生のおかげで治りました」と言わせるカウンセリングは、なにも解決していません。言葉を返せば、これは「わたしひとりではなにもできない」という意味なのですから。

青年 カウンセラーに依存していると?

哲人 そう。これはあなた、つまり教育者にも同じことがいえます。「先生のおかげで卒業できました」とか「先生のおかげで合格できました」と言わせる教育者は、ほんとうの意味での教育には失敗しています。生徒たちには、自らの力でそれを成し遂げたと感じてもらわなければなりません。

青年 し、しかし……。

哲人 教育者は、孤独な存在です。誰からもほめてもらえず、労をねぎらわれることもなく、みな自力で巣立っていく。感謝すらされることのないままに。

青年 その孤独を受け入れるのですか?

哲人 ええ。生徒からの感謝を期待するのではなく、「自立」という大きな目標に自分は貢献できたのだ、という貢献感を持つ。貢献感のなかに幸せを見出す。それしかありません。

青年 ……貢献感。

哲人 3年前にも申し上げたはずです。幸福の本質は「貢献感」なのだと。もしもあなたが、生徒たちから感謝されたがっているのだとしたら。「先生のおかげで」という言葉を待っているのだとしたら。……それは結果として、生徒たちの自立を妨げているのだと思ってください。

青年 じゃあ具体的に、どうすれば子どもたちを「依存」や「無責任」の地位に置かない教育ができるのです!? どうすればほんとうの自立を援助できるのです!? 観念ではなく、具体の事例でお示しください! そうでなくては、納得できません!

哲人 そうですね。たとえば子どもから「友達のところに遊びに行ってもいい?」と聞かれる。このとき「もちろんいいよ」と許可を与えたり、「宿題をやってからね」と条件をつける親がいます。あるいは、遊びに行くこと自体を禁止する親もいるでしょう。これはいずれも、子どもを「依存」と「無責任」の地位に置く行為です。

 そうではなく、「それは自分で決めていいんだよ」と教えること。自分の人生は、日々の行いは、すべて自分で決定するものなのだと教えること。そして決めるにあたって必要な材料—たとえば知識や経験—があれば、それを提供していくこと。それが教育者のあるべき姿なのです。

青年 自分で決める……。彼らに、それだけの判断力がありますか?

哲人 そこを疑うあなたは、まだ生徒たちへの尊敬が足りていません。ほんとうに尊敬できていれば、すべてを自分で決めさせられるはずです。

青年 取り返しのつかない失敗をするかもしれませんよ!?

哲人 それは親や教師が「選んであげた」道でも同じです。なぜ彼らの選択だけが失敗に終わって、自分の指し示した道なら失敗をしないと言い切れるのです?

青年 しかし、それは……。

哲人 子どもたちが失敗したとき、たしかにあなたは責任を問われるでしょう。でも、それは人生を賭した責任ではない。ほんとうの意味で責任をとらされるのは、本人だけです。だからこそ「課題の分離」という発想が生まれます。つまり、「その選択によってもたらされる結末を、最終的に引き受けるのは誰か」という発想が。最終的な責任を引き受ける立場にいないあなたが、他者の課題に介入してはいけません。

青年 子どもを放置しろと?

哲人 違います。子どもたちの決断を尊重し、その決断を援助するのです。そしていつでも援助する用意があることを伝え、近すぎない、援助ができる距離で、見守るのです。たとえその決断が失敗に終わったとしても、子どもたちは「自分の人生は、自分で選ぶことができる」という事実を学んでくれるでしょう。

青年 自分の人生を、自分で選ぶ……。

哲人 ふふふ。「自分の人生は、自分で選ぶことができる」。これは本日の議論を貫く大テーマですので、しっかりと覚えておいてください。そう、帳面に書き留めて。
 では、このあたりで一度休憩を挟みましょう。ご自分がどんな態度で生徒たちと向き合ってきたか、思い返してみてください。

青年 いや、休憩など必要ありません! 続けましょう!

哲人 ここからの対話には、一層の集中力が必要です。そして集中するには、適度な休憩が必要です。熱いコーヒーを淹れますので、少し落ち着いて頭を整理するといいでしょう。


『幸せになる勇気』の連載は今回で最後になります。
この続きは書籍でお楽しみください。

前作『嫌われる勇気』は、cakesでもこちらからお楽しみいただけます。


人生を再選択せよ!ーー100万部のベストセラー『嫌われる勇気』の続編、ついに登場!

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

--- - "岸見 一郎" - "古賀 史健"
ダイヤモンド社
2016-02-26

この連載について

初回を読む
幸せになる勇気

岸見一郎 / 古賀史健

『嫌われる勇気』から3年後、教師になった青年は再び、哲人のもとを訪ねる。「アドラーを捨てる」という、思ってもみなかった決意を胸にして。本当に「世界はシンプルであり、人生もまたシンプル」なのか。それとも「アドラー心理学」は現...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

mixjuice001 「先生のおかげで卒業できました」とか「先生のおかげで合格できました」と言わせる教育者は、ほんとうの意味での教育には失敗しています。生徒たちには、自らの力でそれを成し遂げたと感じてもらわなければなりません https://t.co/lTG16FHZHl 1日前 replyretweetfavorite

kimurahmmf うん。これを読むと孤独を感じて良かったのかなとさえ思う。 4日前 replyretweetfavorite

uma_klpe 監督者の責任を回避するために、対等になられることを阻むために、思いやりという言葉で相手を支配し、縦の関係を築き続ける。「自分で決めていいんだよ」 アドラー心理学は深い。> 5日前 replyretweetfavorite

amisakana 人は自立することが人生の目標だが、大人は自己保身のために子どもの自立を阻害しがちであることを自覚しなければならないってのは本当にそうだなと思う。 5日前 replyretweetfavorite