学生時代や、会社員時代と違って、
自由気ままな主婦業ともなると、
友達が少ない事も特別悲しくも不便でもないのだけど、
楽しい時間をくれるのはやはり心許せる友達であることは間違いない。
こんな理屈っぽい変わり者な私にも、ありがたい事に友達はいる。
その存在について深く定義した事はなかったのだけれど、
最近、息子の人間関係にちょっとした変化があった事で、
定義の答えに何となく気が付いたので書いてみる。
友達って何だろう。
クラス替えや部活のレギュラー対補欠なんかで、
男子でもやっぱり友達関係で悩むんだね。
この3月まで本当に毎日のように一緒にいた友達から、
突然の拒絶LINEスタンプとともに、既読がつかない事態が発生した。
その子とは、クラスはずっと違うのだけど、
同じ部活で、毎日行動を共にしていた。
我が家にも毎日のように居たし。
ひとつ変わった事と言えば、
その子は体調を崩したのもあり、部活を休部する事になった。
息子を含む部活を続けている友達との間に、ひとつの接点を失ったようにその子は感じたみたい。
同じ空間で過ごす時間が急に減ったことで、
息子のちょっとした言葉を勘違いされてしまった。
「打ち上げに行くから遊べないよ。」
息子が言ったこの言葉は、息子の2年時クラスでの打ち上げを言ったものだったのに、
イツメン(いつものメンツ)で打ち上げをするのに自分だけハブられたと思ったらしい。
そこで彼はショックを受けちゃって、
真相を何も確認しないまま、さっき書いたようにLINEで拒絶してきたのだ。
拒絶された息子たちは、全く意味が分からずとまどっていた。
当たり前、イツメンからハブろうなんて考えても居なくて、
部活での時間が減ってもなお、その子を仲間だと大事に思って、
その子が居ない場所でも、いつも「あいつも居ればいいのにね。」って言っていたから。
結局この件は、LINEの理由を直接聞きに行ったことで誤解と分かり、
「仲違い」はあっという間に終わったので私もホッとしたんだけれど、
何とも言えない悲しさ?虚しさ?が息子に残った事を私は肌で感じた。
息子たちが彼を仲間だと信じていたのに、
その絆を信じてもらえず疑われてしまった事。
休部状態でも一緒に卒業アルバムに写ろうと言っていたのに・・・。
疑われた事に怒りを覚えず、息子は悲しいと言った。
ここで私は気が付いた。
友達とは?
信じてもらえなくて、
怒りがこみ上げるか、悲しみがこみ上げるかの違いで判断がつきそうだと。
もし、自分に同じように誤解される出来事が起こったとして、
それを悲しいと思えたら、自分にとって大事な友達なんじゃないかな。
信じないなんてムカつくわ、もうどうでもいいわって思うのなら、
それまでの関係だったんじゃないかな。
逆もしかり。
メールの返事が来ないとか、最近そっけないとか、
何となく変な空気を感じた時も、それを振り払い、絆を信じられるか否か。
人間関係の微妙な空気って、だいたい取り越し苦労な事も多いんだよね。
単にタイミングが合わなっっただけや、相手が疲れていただけ、なんて事も多いはず。
その場限りの言葉のあややちょっとした連絡ミスに心乱されて、
長い時間をかけて築いた信頼をあっけなく手放してしまわないようにしなければ。
結局は信じ、信じられる事でしか、友情は成り立たないのだ。
息子たちと彼は、ひとつのコブでお互いが転んだけれど、
手をつないで一緒に立ち上がった。
お互いについた心の小さな傷は、
また一緒に過ごす時間が、綺麗に治してくれるだろう。
純粋さと柔軟さを持つ息子たち世代からまたひとつ学んだ出来事だった。
凪
関連記事