一般的に、ぼっちや孤立はよくないこととされます。
まわりと違うことをすれば白い目で見られ、孤立することそのものが悪という認識は強いです。
しかし、時と場合によっては孤立が必要となることもあります。
今いるコミュニティと比べて、自分の向かおうとしている方向が違うのであれば、孤立することも考えるべきです。
スキルを身に着けたい、稼げるようになりたいという場合には、人付き合いというものについて考えなければなりません。
自分の属する環境で切磋琢磨できるのならいいですが、そうでなければ今いるグループに染まらないことを考えましょう。
付き合う人間が自分を作る
朱に交われば赤くなるというように、付き合う人間によって自分というものも変わってきます。
ネガティヴなひとと付き合えば自分もネガティヴになりますし、ポジティヴなひとと付き合えば自分もポジティヴになるものです。
自分が将来どのようになりたいかを考える場合、付き合うひとや属するコミュニティというのは無視できません。
それらは思考回路に大きく作用しますので、真剣に考えるべきところです。
今自分のまわりにいるひとは、あなたから見てどのようなひとでしょうか?
時間をむだ遣いするだとか、ネガティヴな考え方だとかであれば、注意が必要でしょう。
将来的に活躍できるようになりたければ、そのようなひとたちとは距離を置くべきです。
バリバリ活躍して稼げるようになるには、資本主義や合理主義をベースとした考え方にならなければなりません。
時間やお金に対してシビアだとか、自分なりの考えを持って行動できるだとかは必須事項。経済的に成功したいのなら、今いるコミュニティが社会主義的である場合、孤立するというのは選択肢としてありでしょう。
社会主義的な空気に晒されれば、思考そのものも社会主義的になってしまいます。
将来、自分はどのようになりたいのか?
それと比較して今の自分や今いる組織はどうか?
これらを考えた場合、まわりに合わせるということが必ずしも正しいわけではありません。目指す場所とかけ離れているのであれば、同調してはならないのです。
孤立もひとつの在り方
今いるグループと合わなくて、別の環境に行きたい。
このように思っているのであれば、環境が変わるまでのあいだ、孤立状態には耐えなければなりません。
資本主義で成功するにあたり、社会主義的なものからは逃げる必要があります。
力を付けて成功するにはある程度まとまった時間なりお金なりが必要で、社会主義的な組織にいては成功が遠のいていくばかりです。
そのような場合、孤立するのは悪いことではありません。
思考が染まらないようにするためには、孤立したり距離をとったりということが必要になります。
農村型村社会において、孤立するというのには勇気がいるもの。
みんなとちがうことをすれば同調圧力がかかり、出る杭は打たれます。
しかし成功したいというのならば、叩かれるのは避けられないでしょう。
やりたいこと、なりたい自分がいるというのなら、時として孤立すべきです。
孤立すれば、もれなくイジメや冷やかしにあいます。
しかしそこは耐えて、自分の信じる道をひたすら突き進むしかありません。
コツコツ教やゲマインシャフト的な空気にとらわれているヒマはないのです。
我が道を行くことの重要性
孤立して我が道を行くというのは、必ずしもやさしいことばかりではありません。
今いる組織の人間がネガティヴなひとばかりで、組織が傷の舐め合いサークルと化しているのなら、孤高を持するというのもありです。
将来的に資本主義での成功を目指すのであれば、遊んでばかりの人間とソリが合わなくて当たり前です。あっちはあっちで目指す方向がちがうのですから、ムリに合わせる必要性はありません。
そこで自分にウソをついて無理に合わせてしまうと、やりたいことがやれないという結果につながるでしょう。
自分に正直になるというのは、悪いことではないのです。
我が道を行くというのは、叩かれることがほとんどです。
しかし叩かれたからといって、自分の主張や考えを曲げなくてもよいのです。
自分の生き方をするにあたり、他人の言うことにしたがってばかりでは後悔だけが残ってしまいます。
まとめ
組織のなかで孤立を維持するのには忍耐がいります。
大半のひとは途中で折れてしまい、主張や考え方を変えてしまうもの。
しかしなりたい自分とコミュニティの空気に差がある場合、自分の軸を持たなければなりません。
孤立状態というのは精神的につらいです。
しかしそこを耐えなければ、将来の成功はありません。
場合によっては誰も賛同してくれないということもあるでしょう。
そこであきらめず、自分の道を選び続けた人間が成功するのです。
目指すものはどこなのか。
社会主義的な組織で生きたいのか、資本主義で成功したいのか。
孤立というのは完全な悪ではなく、時として自分を助けてくれます。
孤高のひととなり我が道を行くことは覚悟がいるものですが、目標の実現には自分を信じてひた走ることも必要なのです。
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