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イエズス会のモットーが書いてある本を持つ聖イグナチオ
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教会の歴史において、それぞれの修道会の創立者は、教会に、また社会に、神からのすばらしい宝物、霊的な財産を残しました。
毎年7月31日にカトリック教会は一人の創立者を記念します。スペインのバスク地方生まれのロヨラの聖イグナチオ。この聖人は、イエズス会、(オリジナルスペイン語でCompania de Jesus(コンパニヤ・デ・ヘスス)、イエスの同僚会)、ラテン語でSocietasJesu(S.J.)という修道会を創立しました。
この会は、まさにイグナチオが書いた有名な書物「霊操」の実りであると言ってもよいでしょう。「霊操」はイグナチオが世に出して以来、現在に至るまで、世界のカトリック教会の中で広く知られ、重宝がられてきた書物です。
イグナチオご自身の言葉で言えば、
「霊操とは、良心の糾明、黙想、観想、口祷と念祷のあらゆる方法を意味する。霊操は、また後に述べるように、他の霊的な修業も意味する。散歩したり歩いたり走ったりするのを体操というのが、同じように、霊魂を準備し整えるあらゆる方法を霊操というのである。その目的は、まず、乱れたあらゆる愛着を棄てることであり、その後、霊魂のたすかりのために、自分の生活をどのように整えるか、ということについて神のみ旨を探し、確かめることである」(霊操1)。
霊操の本に従って指導を受けて、人は1カ月や8日間でも、祈り深くイエス・キリストの姿をながめて、その教えを黙想して、だんだんイエスという方に惚れてしまっていく。 |
それで、主イエスから呼びかけや招きがあれば、霊操者はそれに応じて、イエスと共に、またイエスのように、教会の中で、神の国の建設のために「ベスト」(magis)を尽くそうとする。その「ベスト」(magis)を見つけるためにいろいろと識別して、霊動弁別も行う。こういうすべてにおいて「ベスト」(magis)の追求は、昔からイエズス会を特徴づけるものと見られました。イグナチオご自身が何回も、会憲にも手紙にも使った表現[Ad Maiorem Dei Gloriam](AMDG)[よりよく神の栄光]は、それを表しています。
たぶんそのために、“jesuit”(イエズス会員)という単語の解説で、何か[怪しい]人、何かを企んでいるというイメージを呼び起こしたのでしょう。
私の子供のときの話です。私の育ったSan Sebastianというスペインのバスク地方の町では、ひとつのケーキは“jesuita”「ヘスイタ」(スペイン語の「イエズス会員」)と呼ばれていました。あるとき私は聞きました。
「どうして“jesuita”なの」。返事は面白いなと思いました。「中身が分からないから」。
確かに、「ベスト」(magis)を見つけるために、よく考える、探す、考察する、識別する必要があります。よい意味の[企み]でしょう。
そして創立者がすべてにおいて求めていたのは、つまり聖イグナチオのモットーである[よりよく神の栄光](AMDG)でした。
ヘネロソ・フローレス
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教会バザーで頒布金2,368,280円
6月3日(日)に献堂記念として開催された信徒行事「教会バザー」の収益金(頒布金)が、2,368,280円にのぼったことが報告された。全額が、南スーダンの難民救済に充てるため、現地で難民支援活動を行う「イエスのカリタス修道女会」日本管区本部(杉並区)に贈呈される。
教会建物の営繕・保守業務報告
財務委員会で決定し、主任司祭の承認を得た2011年度末現在「営繕・保守関連部門業務報告書」について財務委員から報告があった。この中で、東日本大震災で損壊した鐘楼十字架の交換修復の経緯に関しても簡単な説明が行われた。取りはずされた元の十字架(ステンレス製、400kg)は廃棄するとの司祭団の方針が了承された。
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「いのちを守る緊急アピール小委員会」は存続
信仰の有無を問わず生存・生活困難者に支援の手をさしのべることを目的とする主任司祭直属「2009いのちを守る緊急アピール小委員会」(所属団体=カレーの会・生活相談室・献米プロジェクト等)の活動状況及び会計報告が行われた。この小委員会の名称については、活動の由来を意味する重要性が残っているとして存続させる方針が佐々木良晴主任司祭から示された。同小委員会に新たにオブザーバーを信徒評議員から送ることが了承され、岡安邦彦氏が指名された。
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今年は、「イエスのカリタス修道女会」の南スーダン支部にお送りいたします。
日本のカリタス修道女会及び、南スーダン&ドイツ支部のシスター方より「日本からこんなにもたくさんの寄付を頂くことができ、このような応援に勇気を頂きました。また、修道女会の75周年の節目に大きな励ましを頂く機会となり、教会関係者の皆様、信徒の皆様に心より感謝申し上げます」というお言葉を頂いております。ドイツからの支援が難しいとわかった矢先のことでしたので大変お喜びでした。
バザーの準備から当日までの長い期間、皆様の深いご理解とご協力に感謝いたします。 |

本年度のバザー頒布金は下記の通りです。
《内訳》
収益金 = 2,210,027円
献 金 = 158,253円
合 計 = 2,368,280円
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評議員総務 木嶋真理
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里帰り・感謝・初心
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6月9日(日)、雨にもかかわらず、小さいお子様を連れて、たくさんの家族がイグナチオ教会に「里帰り」しました。うれしいことです。
この「結婚感謝ミサと集い」に参加する家族は、明るい雰囲気の中で、互いに「ありがとう、ごめんね」と呟きながら、家族を初心に戻そうとしています。「神にも、悩んでいる人にも、開かれている幸せな家庭」という初心に戻りたいと望んでいます。 |


自分の「心」にも「里帰り」して、心から生まれる言葉でもって、互いにコミュニケーションを保つという初心に、家庭を戻そうと願っています。
この教会行事は、結婚講座修了者のみならず、すべての家族にも、カトリックではない方にも開かれています。次回もぜひいらしてください。
ハビエル・ガラルダ
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マザー・テレサのことば
『マザー・テレサ日々のことば』 (女子パウロ会) |
私は、両親と私たち兄弟が毎晩一緒に祈っていたことを覚えています。
祈りは、私たち家族への神からのいちばんすばらしい贈り物です。
祈りは家族をひとつにしてくれます。
ですから、家族の祈りに戻りましょう。
そしてあなたの子どもたちに祈りを教え、一緒に祈りましょう。
祈りを通して、あなたは神があなたにしてほしいと望まれることを見つけるでしょう。
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昨年の9月に行われた「家庭の日」において、みごと抽選に当たってから早8カ月。私たちは、仕事の関係で1日半遅れの5月31日深夜にイタリア・ミラノに向け出発。現地でヴィタリ神父様を団長とする巡礼団と合流し、一緒に世界家庭大会に参加しました。
世界家庭大会は3年毎に開催されており、今回はイタリア・ミラノで5月30日〜6月3日の5日間開催されました。イタリアはカトリックの中心であり、またミラノ教区は、教区内に
一千以上の教会がある世界最大の教区ということで、街を上げての大会となっていました。

今回の家庭大会のテーマは「家庭:仕事と祝祭」で、見本市センターをメイン会場として全体会議が開催されたほか、市内の各教会で分科会の会議及びイベントが開催されました。会議
はすべてイタリア語で行われていましたので、私たちは英語の同時通訳サービスのある全体会議に出席しました。またヴィタリ神父様が内容の要旨を日本語で通訳してくださいましたので、
より理解が深まりました。
3日目の夕方には、教皇様がミラノに到着されるということで、私たちもミラノ大聖堂前広場で6万人の大群集の中でもみくちゃになりながら教皇様をお迎えしました。

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4日目は、午後8時から郊外の公園において教皇様との分かち合いの会が開催されましたが、数十万人が集まるため、周辺は交通規制が敷かれ、およそ3キロの道のりを歩いての参加となりました。

そして5日目の最終日は、いよいよ今回のメインイベント、教皇様によるミサです。午前10時の開始でしたが、朝7時過ぎにホテルを出発し、前日と同じ3キロの道のりを歩いて会場に到着。私たち会議参加者は、前方正面の席に座ることができ、一生に一度与ることができるかできないかの教皇様のミサに間近で(といってもかなり離れているが)与ることができ、大いに感激しました。
後ほど見たニュースによれば、このミサには百万人もの人が参加したとのことです。
3泊5日の強行日程でしたが、空いた時間にはヴィタリ神父様のご案内により、ミラノ大聖堂をはじめとする市内の歴史的教会でミサに与るなど、非常に充実した旅で、貴重な経験をさ
せていただき、一生忘れられない銀婚式のプレゼントとなりました。
最後に、今回同行していただいたヴィタリ神父様はじめ教会関係の皆様、JTBの浅野様にこの場をお借りし感謝申し上げます。
神に感謝。
谷口央樹・予里
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このたび、イグナチオ教会で企画した、ヴィタリ神父様(前主任)引率によるミラノでの第7回世界家庭大会ツアーに、私ども夫婦も全行程ではあませんが、19名のメンバーの一員として参加しました。日本からは、公式代表団もなく、唯一の参加グループのようでした。こうした機会に恵まれたことを感謝しつつ、大会の
印象など大まかなご報告をします。
世界家庭大会は、1994年にヨハネ・パウロ二世教皇が始められたもので、その後3年ごとに実行され、ミラノは前回のメキシコ・シティーにつぐものです。次回2015年は米国フィラデルフィアです。
大会の目的は、小さな教会ともよばれる世界の「家庭」が、大きな家庭である「教会」として集い・出会い、現代社会でカトリック信者の「家庭」が直面する問題と担うべき霊的・社会
的使命について学び・分かち合い・共感し・祈ること、と思えました。
今回のテーマは 「家庭:仕事と祝祭」 (The family : work and feast) でした。
5日間の大会イベントは前後2部に分かれ、前半3日間は、ミラノの国際会議場で全体会が、そして分科会はいくつかの小教区・大学でも催されました。午前の全体会は祈りとテーマに
沿った講話(2つ)、午後の分科会はテーマを深めるスピーチやパネルディスカッションなど専門的な色彩の強いものという構成でした。
150カ国からの参加があり、大会参加者だけでも7000名に達したと伝えられます。ヨーロッパ以外からは、南北アメリカ、アフリカからの参加者が多く、アジアからの人数は少なかった
ようですが、会場はカトリック教会の豊かさを感じさせる多様性で満ちていました。休憩時にタイの司教様、バングラデッシュとフィリピンの神父様と立ち話をする機会があったのですが、
日本からも来たと喜んでくださいました。
講話はイタリア語がメインで、英語、フランス語、スペイン語などの同時通訳も入っていました。ただ、イタリア語以外で聞き取ることがやや難しく、私たちの場合、神父様が、要点を
日本語で解説してくださり助かりました。
大会運営はミラノ大司教区とヴァチカン家庭評議会が担当し、2010年の秋に来日し、イグナチオ教会や上智大学で講演をされた、家庭評議会局長のラフィット司教も中心的な役割を担っていました。加えて、ミラノ教区を中心とした幅広い年齢の、膨大な数の男女信徒がボランティアとして支え、外国からの参加者をホームステイで迎えた家庭も多かったようです。

「世界家庭大会」で展示された聖家族
「家庭:仕事と祝祭」というテーマにそった具体的内容ですが、大会への招請状で「現代の仕事のあり方は、残念なことに市場競争と利益の最大化を前提として組立て進められています。休日はともすれば(仕事から)逃げ出し、消費する機会となりがちです。仕事も休日も家庭や共同体を結びつけるよりは分散させ、個人主義的な生活スタイルを広げる傾向があります。仕事の必要性とこれにとられる時間、そして家庭のニーズとこれに割くべき時間の調和を考え直し、実生活で活かすことが大切です。そうすれば、(家族を結びつける)祝いの真の意味を再発見できるのです。週ごとの復活祭、主の日、人の日であり、共同体と連帯の日である日曜日の意義を見いだすのです」と教皇は呼びかけていました。
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全体として、そうした考えが基調になったと思います。一例ですが、米国のオマリー枢機卿(カプチン会)は講話で、アイルランド系の移民家族が日曜日をいかに大事にしていたか、自分もそうした家庭で主を祝うことを身につけたと。そして、主日に宣(のべ)られる御言葉の力と、ご聖体を中心に形作られる共同体、そこでの兄弟姉妹の証し、そうした支えなしに人が
キリストの弟子であり続けるのは難しい、と言い切られました。
こうした講話や会議が終わった3日目の夕刻にベネディクト16世教皇がミラノに到着し、ドゥオモ大聖堂の前の広場で歓迎式典があり、大変盛り上がりました。目の前を、教皇様がゆっくりとパパモビルという特殊車で通られ、大感激のメンバーも。夜には大聖堂で、御言葉の朗読、沈黙の祈り、賛美に続く聖体礼拝が行
われ、魂の深いところに語りかけられたようで、後半2日の行事へと移行する節目となりました。そこでも歌われた今大会の公式賛歌は、家庭をくださった神様の愛を称え感謝する歌でありながら、それに応えきれていない私どもの回心を促すような響きがあり、うたれました。
4日目午前は各言語グループのミサで、予定の聖ロレンゾ聖堂が使えず、近くの聖エウステルジオ教会で日本語のミサが捧げられ、有難かったです。説教で、ヴィタリ神父様は「皆さんは、ドゥオモ大聖堂を見たでしょう。何世紀もかけて、何世代もの家族が、神様を祝うために築きあげたものです。教会共同体も、努力を重ねてもすぐに実りがなく、なかなか完成されないとしても、希望と忍耐を持って進んでいきましょう」と。
その夜は、ブレッソ飛行場で教皇様を囲んだ「証しの祭典」の夕べです。バスなどで近づけるのは、会場から3キロの地点。歩いてたどり着いたところ、すでに相当の人数が来ていたが(報道では35万人とか)、大会前半の参加者にはいす席が用意されて、ほっとしたとか。私どもは、宿舎のテレビで拝見しました。
教皇様は、ベトナム(7歳の子供が教皇の家庭体験を尋ねた)、マダガスカル(若い婚約者がもつ結婚の永続性についての期待と不安)、ギリシャ(厳しい不況の中でいかに希望をもつ
か)、ブラジル(カトリックの離婚家族のケアをしている臨床医師の証し)、アメリカ(子供が多い若いカップルの仕事と家庭の時間のやりくり)の家族やカップルの質問、疑問にじっと
耳を傾け、ご自分の体験も織り交ぜて励まし、共感し具体的アドバイスを与えながら答える、細やかで丁寧な対応をされ感動的でした。
最後の5日目は、三位一体の祝日に当たる日曜日で、ベネディクト16世司式による教皇ミサ。結果的にミラノ教区や周辺の教区からも大勢の信者が参加し、100万人をこす規模になった由。ミラノとヴァチカンは、大阪と東京ほどの距離ですが、この世界一大きい教区を教皇が訪問するのはヨハネ・パウロ2世以来の28年ぶりだそうで、大変な歓迎でした。私どもは、ホテルの近くの修道院でミサに与ったあと、テレビ中継で拝見しました。
イタリア語でされたミサのお説教は、ヴァチカンのホームページで英語やフランス語の翻訳も出ていますが、「親愛なるご夫婦の皆さん、婚姻を生きるということは、互いに自分や自分
の活動の一部を相手に与えるのではなく、互いに自分の全体を与えるものですよ」、「結婚という召し出しを生きるのは容易なことでなく、特に現代はそうです。しかし、愛を生きるという
召し出しは素晴らしい実存であり、それは宇宙、世界を変えうる唯一の力なのです」といった言葉や、教会の教えを分かち合っていながら、結婚の挫折を体験した人たちに対する「私や教会
が苦しみにある彼らを支えたいと願っていることを知ってほしい。できるだけ、教会の共同体につながっていてください。教区における適切なケアを期待したい」といった発言が、翌日の
報道でも取り上げられていました。
世界家庭大会への参加は、日本の教会では例のないことのようで、私ども自身準備不足や情報不足があり、戸惑うことも多かったのですが、イグナチオ教会の今年度のテーマが、「主の
日・家庭の日」─共に集い、共に喜ぶ日曜日─であることを思うと、この大会のメッセージとつながるものがあり、世界の教会と結ばれていることと聖霊の導きを感じます。
与謝野 達
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キリスト者の家庭は福音を受け入れ信仰を深めるにつれて、福音を告げる共同体となります。パウロ六世のことばを再び聞きましょう。「家庭は、教会のように、福音が伝えられる場であり、またそこから福音が照らし出される場でもあります。そこでこの使命を意識している家庭では、全員が福音化を行い、また同時に福音化されているのです。両親は子どもに福音を伝えるだけではなく、子どもからも、彼らが生活の中で深く生きている福音を受け取ることができます。そしてそのような家庭は、他の多くの家庭の福音宣教者となります」。
わたしがプエブラで訴えたことをシノドスも繰り返しているように、福音宣教の未来は「家庭教会」にかかっています。家庭のこの使徒的使命は、洗礼に基づくもので、結婚の秘跡の恵みから新しい力を受けて、神の計画にそって信仰を伝え、社会を聖化し変容させていくのです。
とくに今日、キリスト者の家庭は、確かな希望と愛の喜びをたえず輝かすことによって、キリストの過越の契約をあかしする特別な召命をもっています。「キリスト者の家庭は神の国のもつ力と幸福な生命への希望とを高らかに宣言します」。
家庭における信仰教育は絶対に必要です。とりわけ教会がある地域で経験している不幸な状況下ではとくに必要です。「反宗教的立法によって信仰教育そのものが阻害されているところ、不信仰またはいわゆる世俗主義の波及に伴い、信仰の真の成長が実際に不可能になっているところでは、この『家庭教会』が児童と若者が真の要理教育を受けることのできる唯一の場です」。
教皇ヨハネ・パウロ二世使徒的勧告『家庭─愛といのちのきずな』より
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家族は、司法的・経済的・社会的・財政的分野において、何らの差別も受けずに、公共機関による相応の家族政策に頼る権利がある。
1. 家族は、その尊厳を保ちその発展を全うするために、ふさわしい生活水準を保証する経済状態に置かれる権利がある。安定した家庭生活を営むために私有財産を獲得し、それを維持することを妨げてはならない。資産の相続または譲渡に関する法則は、家族の必要と権利を尊重するものでなければならない。
2. 家族は、特に片親または両親が早逝するとか、夫婦のいずれかが家庭を破棄するとか、事故に遭うとか、病気にかかるとか、虚弱であるとか、失業するとか、あるいは家族の中に老人や身体障害者または知恵遅れの者がいるとか、子供の教育のためとかでよけいな出費を負担しなければならない場合に、その必要を考慮する社会福祉機関で善後策を講じてもらう権利がある。
3. 老人は、家庭の中で、あるいはそれが不可能な場合は適当な施設で、年齢に応じた活動を通して社会生活に参加しながら晩年を安らかに送る権利がある。
4. 家族の権利と必要と、特に家族の一致の価値は、刑法が適用される場合にも考慮に入れなければならない。つまり、抑留者と家族の者との接触を保てるように図り、家族のものは身内の抑留
期間中、適宜に援助しなければならない。
カトリック教会による『家庭の権利憲章』第9条
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[左] モンセラットへの道:聖イグナチオは、神への愛ゆえにやり遂げようとした偉大な業績のことを考えながら、
モンセラットへの旅を続けた。
[右] ラ・ストルタの聖堂:ローマから数キロ離れたこの教会で、聖イグナチオは有名な示現を受けた。
聖イグナチオ自叙伝『ロヨラの巡礼者』より
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