パートナー企業「TECH::CAMP」から、プログラミングを学ぶ意義を感じることができるインタビュー記事を掲載。熱いです。



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父親が8歳の時にガンでなくなり、母子家庭に。

家計を支えるために13歳の時に近所の家からもらってきたPC1台でアフィリエイトで数百万円を稼ぎだし、21歳という若さで5000万の資金調達を成し遂げました。

しかしその後事業に失敗し、仲間、信頼、お金のすべてを失いました。

その後再起しわずか6ヶ月で事業売却。

そんな壮絶なエピソードをお持ちの金田卓也さんに失敗から学んだエピソードを伺いました。

プロフィール:ベルフェイス株式会社 最高マーケティング責任者 金田卓也さん

1992年9月18日京都府舞鶴市生。

慶応義塾大学経済学部在学中。

小学3年生の時に、父親の病死により、母子家庭となる。

家計を支えるため中学1年からアフィリエイトを始める。

18歳当時日本最年少でのGoogleAdwordsの認定パートナーとなる。

2013年にミチシルベ㈱を創業。

2015年に事業売却し、更なる飛躍のためにベルフェイス株式会社に参画。


21歳で5000万円の資金調達を成功させ、有頂天に


──起業された経緯を教えてください。


小学生の時に、父親をガンでなくして以降母子家庭として貧しい生活の中で生き抜いてきました。

中学生の時に家族を支えるために近所のおばさんからもらったPCでアフィリエイトを始めて、お金を稼げた経験がとても衝撃的で、同時に、自分が尊敬する、学研創業者の古岡さんという方が母子家庭から成り上がった起業家だったということもあり、中学生の時からビジネスの道に進みたいという気持ちがありました。


高校は国立の工業高専に入学しましたが、ハードウェアのエンジニアリングには興味が持つことができず、その後やはりビジネスがしたいという思いが捨てきれずに、高校3年生の夏に奮起。

半年間勉強し慶應大学の経済学部に入学しました。

母子家庭だったため学費、生活費を自分で払わなければならなかったことはもちろん、自分が学んだWebマーケティングの知識が活かせるフリーランスのビジネスが楽しくて20歳の時には自分の会社を立ち上げました。

起業した理由としてビジネスが楽しかったこともありますが、大きなビジネスを立ち上げて、ゆくゆくはIPO(株式公開)して、キャピタルゲインで母子家庭を支援する財団を作ることも一つの目標でした。


──その後、大きな資金調達をし会社を立ちあげあげられましたがそれはどんな事業でしたか?


日本中のアイドルを集めてAKB総選挙のようなことが行えるプラットフォームを作り、課金をして応援ができるというソーシャルゲーム的なサービスでした。

今、同じ分野でDMM.yellやCheerzというサービスが人気ですが、それの先駆けとなるようなサービスでした。

2014年6月の開始当初は競合もいなく、コンセプトがおもしろかったこともあり、事業は急成長しました。


その中で、ある上場企業の社長に僕の夢と可能性を見込んで頂き、5000万円という大金を投資いただけることになったんです。

周りの仲間が数百万円の資金で地道に頑張っている中、ケタ違いの大金が会社に入り、優秀な仲間も揃って、事業は右肩上がり。。。。

当時は全てが上手くいきすぎていて、完全に浮かれていました。

まるですべてが自分の実力で成し遂げられたかのように勘違いしてしまったのはもちろん、これまで大きな挫折もなく順風満帆に進めてきた全てが裏目に出て、「自分は天才だ、絶対に成功する」と思い込んでしまったんです。

今考えると本当に恥ずかしい話ですが、当時は天狗になってとても傲慢な最低の人間になってしまっていました。


大手企業が業界に進出し、実力不足で事業が失敗。「お金」も「仲間」も全て失った。


──その後、その事業は順調に推移したのでしょうか?


いえ、人生そんな甘くはありませんでした。

しばらく競合不在で事業は急速に伸びていましたがその年の冬には大手が全く同じUI、コンセプトで参入してきて、あっという間にサービスの顧客が流れてしまったんです。

本当に優秀な経営者ならば、競合が参入することだって事前に予期して先手を打っておくものです。

当時の僕は、慢心と自らの驕りで経営者としてそんな当たり前のことに対する備えもできていませんでした。


同時に、多額の資金があるからと金に物を言わせて人材を大量に採用し、4月に5人だった会社が秋には27人ほどの規模にまで膨れ上がってしまい、マネージメントがうまくいかず組織が機能不全に陥ってしまいました。

思うようにサービスの開発も進まず、バグだらけでユーザーの不満も大きくなり、あっという間にサービスのユーザーがいなくなってしまいました。


自分たちが半年かけて築き上げてきたものがいとも簡単に大手に模倣されて、そしてユーザーもいなくなってしまった。

これは会社のメンバー全員にとってすさまじいショックでした。

責任の所在を追求する話から、今まで溜まってきた不平、不満が爆発し、心を病む社員も出てきました。

何より、僕自身も自分の失敗が認められず、会社に来てはいつも大きなホラを吹いて強がっているだけの有様でした。


そんな状況に嫌気が刺した社員が一人また一人と会社を去って行き、年が明けた3月ごろには会社にはほとんど誰も残っていませんでした。

投資された5000万円はほとんどなくなってしまって、次の事業も見つからない、会社に行ってもメンバーに強がることしかできない。


すべて自分が招いた状況だったにもかかわらず、自分の弱さを認められなかった僕は、最後まで残ってくれていた仲間のことも信用できなくなり、「お前と一緒にやれない」と自ら相手をクビにして傷つけてしまいました。

気がつけば友人たちとは絶縁し、会社は5000万円以上の赤字、あれだけ大ボラを吹いていた株主からの信頼もうしない、わずか1年で一文無しのどん底の状況に落ちてしまったんです。



ゼロからの再出発。ひとりでサービスを立ち上げられるスキルの重要性を痛感。


──そんな辛い思いをしながら、まだ会社を続けようと思ったのはなぜでしょうか。


仲間とお金、個人の財産もすべて失い、自分の人生も完全に行き詰まってどん底状態でした。

正直、逃げたい気持ちしかなくて、大手に就職して拾ってもらおうと転職活動をしたこともありました。

ですが、株主に土下座をしにいったときに「君のことを僕はまだ信じたい」と言ってくれた一言で、「なんとしても恩返しをしたい」と首の皮一枚でやる気をつなぎ留めて、もう一度事業をはじめようと決心しました。


──そんな絶望状況から新しい事業は生まれたと思うのですが、なぜキュレーションメディアを選ばれたのですか?


株主への恩返しをしたいという気持ちから、当時、会社に投資してもらった資金をなんとか最短で返すことを目標にしていました。

そうなると事業や会社を買収してもらうのが最も現実的な出口となります。

短期で売却を狙うにあたり、当時キュレーションメディアがまだブームだったこともあり、大手が未参入だった分野を作ろうと思い立ちました。

特に、マーケット規模が大きく、需要想起できるメディアが強く求められていた車という分野に目をつけ、自分が過去に培ったスキルであるSEOやアフィリエイトの技術を最大限発揮できる領域としてキュレーションメディアなら戦えると判断しました。


──事業は順調に伸びましたか?


もちろん、2度目の挑戦ということもありましたから、前回よりは遥かにうまくすすめることができ、事業も伸びていました。

ですが、同時に僕の精神も限界寸前でした。

前の事業に関する紛争なども勃発しており、頭からは常に「裁判」の二文字が離れなかったことや、自分が車の免許も持っていないなかで、売却するためだけに中身のないような記事を量産してばかりで、ユーザー本意のメディアをやっていなかった自責の念も追い打ちをかけました。

もちろん、買収される確約があるわけでもなく、ひたすら頂上の見えない登山を続けているような感覚でした。


──考え方が変わった契機があったと聞きました


はい。夏にはうつ病寸前になり、毎日死ぬことを考えながら、地獄のような状況でメディアを続ける中で、父親の命日で実家に帰る機会がありました。

その時、自分の人生を改めて振り返って、自分がどれだけの人に支えられていたのか、どれだけ多くの人の善意で生かされてきたのかに気づき、深く反省しました。

今の事業も「株主への恩返し」と口先ではいいながら、実は株主にすら見捨てられたくなくて頑張っているだけ、本当は自分が可愛くてやっているだけだったんだとはっきり認められるようになりました。

その上で、他人の善意を貪るようなことばかりしてきた自分の生き方を悔い改めて、お金を返すことはもちろん重要だけど、これから少しでもお世話になった人に自分の”生き方”で報いていきたいという気持ちになりました。


そんな中でちょうど23歳の誕生日を迎えたこともあり、今までの懺悔ということもあり、Facebookに自分のすべてを打ち明けることにしたんです。

そして、それがきっかけとなって、志を継いでいただける起業家の方と出会い、事業を買いたいというオファーをいただけました。

創業から半年、ちょうど12月には目標としていた事業売却に無事に成功して長かった2年間の起業に一旦幕を下ろすことができました。


起業は想像より遥かに険しい道。最後に自分を救うのは”自分が培った技術”だけ。


──これから起業をしようとする人がいればどんなアドバイスをしますか。


正直僕は気軽に起業をオススメはしません。

起業は想像するよりはるかに厳しく険しい道です。

でも、一方で大きな夢を見られるし、普通に生きていたら見られない世界を見られる。

だから、もしどうしても起業したい、リスクをとってチャレンジしたいという気持ちがあるなら、成功確度をあげられるために必要最低限、”自分はこれができる”というスキルを身につけてから、起業に挑むことをオススメします。


その一例がプログラミングスキルですね。

創業期に一番大事なことは「最小投資で、いかにスピード感を持ってPDCAサイクルを回し続けられるか」です。

そう考えた時に、プログラミングスキルがない=自分でサービスを作れないことは成功確度を下げる大きな要因となります。

立ち上げ期には、お金と時間がかかるので外注するわけにはいかず、自分たちでプロダクトを作って仮説検証を繰り返していくしかありません。

エンジニアが実装をするにしても、彼らの立場にたって自分のアイディアを正確に伝え要件定義をしたり改善主導をしていかなければならない。

プログラミングスキルは今何ももたない若者が起業するには必須のスキルであると断言できます。

できなければ失敗する確率は何倍にもアップすると思います。


金田さん貴重なお話ありがとうございました。

(聴き手:澤田皇汰)



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