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自己啓発書を読んだだけで満足するのは何故か

100万部以上売れたという「嫌われる勇気」とその続編を読んでいる。何度も「本書は劇薬だ」みたいなことが書いてある。確かに割りと厳しめなことも書いてある。ただ、これを読んで実践できている人間というのはどれくらい居るものなのだろうか。100万部売れてて、amazonのレビューが4.3。80~90%が満足しているのだろう。それを元に、50%くらいは最後まで読み切って満足してるんじゃないかと甘めに予想する。50万人がその理念なり書いてあることに何かしらいい印象を受けたら、社会的に何かしら変わっても良いはずだ。50万人が変わるって結構エライことじゃないの。でも、現状そんなに変わっていない。実際、自分もこの本が出て半年くらいした時に買って、最後まで読んだけど、先週くらいまでは読んでそれ以降本棚にしまったままだった。レビューで言うところの最低評価をつける気はないし、手放さなかったくらいなのだからまたもう1度読みたいとか何かしら考えていたんだろう。書いてあった内容はおろか、何で持ち続けていたのかも忘れた。

自己啓発書を何冊も読んで何冊も持ってるくせにこのザマ、つまり無職だ。別にこの本に限ったことでもないし、自分に限ったことでもないと思う。読んで満足して終わり、というケースは多いんじゃないだろうか。買っただけで満足するときすらある。

否定の肯定は肯定なのだ

自己啓発書は全て実践的だ。抽象的なことが書いてあっても、それは読者が実生活にその考え方を落としこんで読むべきものだ。実生活を満足させたいから自己啓発書を読むのだ。だから全ての自己啓発書は、抽象的なことしか書いてなかろうが、実生活に落としこんだ例まで書いてあろうが、それがどのレベルであっても実践的なはずだ。けど、実践しない。多分実践しないから自己啓発書があふれる。自己啓発「書」じゃなくても、自己啓発ブログなり動画なりがあふれる。

何故実践せずに満足してしまうのだろう。三日坊主という言葉があるように、新たな習慣なり考え方を身につけるのは難しくて、3日も経てば飽きたり忘れたりするということもあるだろう。ただ、せっかくお金出して買ったのに、3日で忘れてしまうもんなのか。いや、たしかに自分の場合は3日と待たず忘れている。そんなもんなのか。

嫌われる勇気を読んでいて、たしかにこれは劇薬のように自分の痛いところをグサグサとついてくるなぁと思った。劇薬と自称するのもうなずける。その時に思った。劇薬だから実践しないんじゃないのだろうか。

自己啓発書を読むのは何故か。大なり小なり現状に満足していないから。そして自己啓発書はそういう人をターゲットにする。普通、自己啓発書はそんな問題を抱えていたり現状に満足していない人を否定する。お前そのままじゃダメだ、みたいなことが書いてある。そこがグサッと来る。当然といえば当然かも知れない。特定の問題抱えてる人向けに書かれた本を、その問題抱えてる人が読むんだから。ぐさっと来るというか、その読者の現状が否定されてるのは当然だ。で、その読者は現状を否定されるのを納得しながら読む。確かにそう思ってたんだよ、これじゃダメなんだと思ってたんだよ、だからこの本を買ったんだよ、と思う。で、そこで満足しちゃうんじゃないのかと考えた。

読者はかねてから現状がダメだと思っている。だからその分野の自己啓発書を読む。そうすると、その中には「あなたはこんな問題を抱えてますね、いけませんね」と書かれている。読者もそうなんだよ、そう思ってたんだよ!とその読者の現状否定部分に同意する。現状否定については、読者もかねてから思っていたことだし、本の中でも同じようなことが指摘される。なので読者が考えが肯定される。肯定というか同意というか合意というか、とにかく読者の「今のままじゃダメだ」という思考と、著者の「今のままじゃあなたはダメですね」という意見が一致する。そこで現状の否定とともに、自分の「今のままじゃダメだ」という意見に対しての肯定感が得られる。その否定への肯定感が満足を生み出してるんじゃないのかと思った。

肯定と今この瞬間への安心感

自分の「今」抱いている危機感が肯定されているのだ。今が肯定されているなら危機感は薄れる。問題がどうとかそういうことじゃなくて、「今」危機感と言うか胸に支えのようなものがあって、それをどうにかしたいという思いがある。で、それが現状否定というか問題指摘部分として書かれていて、「このままじゃダメだ」という危機感を抱くというその行動に対しての肯定が行われる。その「今」危機感を抱くという行動が肯定されれば、その行動の方向性が肯定されているわけだから、もう問題解決への方向性が分かったみたいな早合点をしてすこしばかりの安心感が得られる。そして大抵の自己啓発書はここがダメですねと言ったあとに、それに対する処方箋というか解決策を提示してくれる。本来はここを求めて、これを実践するはずなのに、読んで満足してしまう。方向性が合っているという安心感へのダメ押しと、問題解決策があるのでそのゴールがあるという安心感を得られる。

方向性というか、問題がわかった時点で「今」抱えている胸のつっかえはほとんどなくなったも同然なんじゃないのかと思う。問題が分かれば、その本を読んでいるその瞬間に解決しなくてもいいという安心感が得られて、危機感は薄れる。問題の原因とか対策とか以前に、そもそも何が問題なのかすら全くわからない超不安な状態にいるのだ。何か不安なんだけど、その不安の正体がよく分からないのでそれがいつ自分に危機を及ぼすか分からなくて更に不安、とにかく一刻も早くどうにかしたい、みたいな状態に居る。だからその不安をどうにかするために、自己啓発書を買う。なんとなくでも、これが問題なんじゃないかというあたりをつけた方向性の自己啓発書を買う。そこで「あなたはこういう問題を抱えていますね」と言って肯定してもらえるのだから、その自分のつけたあたりが肯定されて、問題が明らかになったように見える。実際にそれが本当の問題なのかどうかはわからないけど。それでもその不安の正体が分かった気がして、ちょっとだけ安心する。不安の原因が分かったので、いつ自分に危害を及ぼすか全くもってわからないものではなくなる。だからちょっと先延ばししてもいいやみたいな気分になる。で、満足するんじゃないかとか考えてみた。

単純に新たな習慣を作るのが難しいとか、モチベーションとかそういう理由もあって、実践出来ず読んで満足するという理屈もあるのだろうけど、どのような形であっても、それが「お前はダメなんだ」という否定であったとしても、とりあえずその否定している現状それ自体を肯定されているということが安心感に繋がって、それが満足感に繋がるんじゃないのかなぁなんて思ったりした。今日もそんなことを考えて満足してしまったので、もう数年「嫌われる勇気」は実践されること無く本棚に戻るような気がする…