「言論問題」について
佐藤 優氏の “『公明党50年の歩み』 を読む” の四回目は、〔「言論問題」 に真正面から向き合った党史〕 であります。
佐藤氏は、以前からしばしば “創価学会の問題点の一つは、自分たちの力を過小評価している” という趣旨の発言をされています。この点に関連して、この 『公明党50年の歩み』 では、画期的な点として、
① 党創立者である 池田 SGI(創価学会インタナショナル)会長の貢献をきちんと位置づけたこと、
② 「言論問題」 と 「政教一致批判」 に真正面から向き合ったこと―― の二点を挙げています。
佐藤氏は、この 「言論問題」 の “後遺症” として、結果的に 「過度の政教分離」 になってしまったと。そして、このような状況は、“創価学会員ではない人々から見ると、「公明党が創価学会との関係を隠そうとしている」 かのような 「うさんくさい印象」 を与えていた。つまり、公明党の イメージを大きく毀損(きそん)していた マイナスポイントであったのだ” と。
しかし、『50年史』 は、そうならなかった。同書は第6章で 「言論問題」 に言及し、第14章で 「政教一致批判」 を論破していることによって、党史としての価値は格段に上がった と言われています。 (第三文明・2016-5月・53P)
〔「言論問題」の経緯と本質を若い学会員も知るべき〕 という項目に、
「言論問題」 は、“今なお学会・公明党の ネガティブな イメージの一因にもなっているのだから、若い学会員もことの経緯と本質について知っておくべきであろう” と言われ、問題の要点が述べられています。
「言論問題」 とは、1969年に政治評論家の藤原弘達氏が、『創価学会を斬る』 という本を出版するに当たり、学会側が著者の藤原氏に対して 「事実でない中傷をするのはやめてほしい」 と要望したことを指す。そのことが 「言論・出版の自由」 を侵した 「弾圧」 に当たると見なされ、国会や マスコミを巻き込んだ騒動に発展していったのだ。ちなみに、「言論問題」 は学会・公明党側からの呼称であり、一般には 「言論・出版妨害事件」 の名で知られている。 (同誌・54P)
そもそも、「弾圧」とは、統治者や国家機関によって行われるもので、民間団体である創価学会に対し 「弾圧した」 という言葉を用いること自体がおかしいのである。
この 『創価学会を斬る』 という書物は、事実に基づかない ヘイトスピーチ(憎悪表現)的な誹謗中傷に満ちたひどいものであった。大学教授で有名な政治評論家ともあろう者が、このような本しか書けないのかと、みんな呆れるほどの代物である。
それは同年の12月に衆議院の解散・総選挙が行われたが、明らかに公明党に対する選挙妨害を意図したものであった。ヘイトスピーチ的な内容が、電車の中吊りに予告された時、学会側は “事実ではない中傷はやめてほしい” と、当然の要望をしただけである。
学会側の秋谷総務(当時)との話し合いの場で、藤原氏は机の下に隠しマイクを設置し、これを収録するという、じつに意図的・悪質的なものであった。
これを証拠にして 「脅された」 「買収工作を受けた」 と主張していたが、後になって、収録テープの全容が発表されたが、そこには “脅しや買収” に当たる発言は無かった。
この 「言論問題」 において、学会はむしろ 「言論の暴力」 の被害者であったのに、あたかも加害者であるかのように扱われてきたのである。
〔「戦術的退却」 の見本のような 池田会長の講演〕 の項目には、
1970(昭和45)年5月3日の学会本部総会において、池田先生は 「言論問題」 について言及され、“世論の動きをふまえ、苦渋の選択として謝罪の講演を行い、「戦術的退却」 をする道を選んだのである” と述べられている。
会長講演の一部です。
「今度の問題は「正しく理解してほしい」という、極めて単純な動機から発したものであり、個人の熱情からの交渉であったと思う。ゆえに言論妨害というような陰険な意図は全くなかったのでありますが、結果として、これらの言動が全て言論妨害と受け取られ、関係者の方々に圧力を感じさせ、世間にも迷惑をおかけしてしまったことは、まことに申しわけなく、残念でなりません。
たしかにこれは、それ自体として法律に抵触するものではなかったと思う。しかし私は、法に触れないから、かまわないというような独善的な姿勢ですまされる問題ではなく、まさに道義的に考えなければならない、最も大切な問題だと思うのであります。
今回の問題をめぐって幾多の新聞・雑誌に、フランスの ボルテールの次の言葉が引用されておりました。それは 「私は、お前のいうことに反対だ。だが、お前がそれをいう権利を、私は命にかけて守る」 という有名な言葉であります。私は、これこそ言論の自由の根本だと思う。
かくも言論の自由が尊重されるゆえんは、それが人間の権利の欠くべからざる要素であり、あらゆる人が自己の主義・主張をなんら拘束されることなく、表現できることが、民主主義の基盤であるからであります。
その点からいえば、今回の問題は、あまりにも配慮が足りなかったと思う。また、名誉を守るためとはいえ、これまでは批判に対して、あまりにも神経過敏になりすぎた体質があり、それが寛容さを欠き、わざわざ社会と断絶をつくってしまったことも認めなければならない。今後は二度と、同じ轍(てつ)を踏んではならぬ、と猛省したいのであります。
私は、私の良心として、いかなる理由やいいぶんがあったにせよ、関係者をはじめ、国民の皆さんに多大のご迷惑をおかけしたことを率直におわび申し上げるものであります。もしできうれば、いつの日か関係者の方におわびしたい気持ちであります」
この日、池田先生は、熱のあるお体で一時間以上にもわたる、立ちっぱなしのご講演であったとのことです。私たち弟子の至らぬ行動のために、関係者並びに、国民の皆さんに対しておわびしたのであります。まことに申し訳なく思っています。
佐藤氏は、“池田氏のこれまでの歩みを振り返ると、「一度は戦術的退却をするものの、態勢を立て直して二度目に勝利する」 という パターンがたびたびあることに気づく” と述べられている。
たとえば、「大阪事件」 においては、一度は戸田先生を護るため罪を認めるが、二度目の法廷闘争で、見事に無罪を勝ち取った。
「宗門事件」 においても、一度目の第一次宗門事件では会長辞任という形をとったが、第二次宗門事件では言論闘争で挑み、宗門に勝利して決別を果たした。
しかし、「言論問題」 だけは、明確な 「二度目の勝利」 は訪れていない と述べられている。
しかし、『50年史』 が 「言論問題」 を真正面から取り上げ、“われわれこそが 「言論の暴力」 の被害者だったのだ” と主張することによって、公明党は長年の懸案事項に決着をつけようとした。当時は学会に対する世間の偏見があまりに強く、戦術的退却をせざるを得なかったが、四十数年を経て学会・公明党への理解も進み、決着できるだけの土壌が整ったのだ。
そして、『50年史』 における 「言論問題」 の記述について、政界や マスコミからの表立った批判は皆無に等しい。そのことによって、ようやく池田氏にとっての 「二度目の勝利」 が訪れたのだと、私は思う。 (同誌・56P)
佐藤氏は “ 『50年史』 が 「言論問題」 を真正面から取り上げたことにより、「二度目の勝利」 が訪れたのだ” との見解を述べられています。
このような 「言論問題」 が起きた背景にあるのは、日本社会にある根強い 「政教分離主義」 である。その主義・思想による 「宗教団体は政治に口を出すべきではない」 という考え方が、知識人・マスコミ人を含む多くの日本人に共有されている。
より一層これからは、“宗教人は政治に口を出すな” ではなく、宗教こそ、政治・経済・文化など全てのものの基礎であり、ひいては、世界人類の平和と幸福にとって肝心要なものであることを、強く訴えて行かなければならない。
5・3 「創価学会の日」 第17回 本部幹部会における、原田会長の講演を一部引用いたします。
カトリックの信徒団体の クァットルッチ事務総長は宗教と政治の関係性を、こう論じています。
「政治家の良心を保つための薬こそ、『宗教』 であることを断言したい」 「日本では、いまだに、“宗教家は政治に口出しするな” ということを言う人がいるようですが、それは、国家の成長を妨げる浅薄な言論です。宗教的思想を根本に、自らを律し、正義の信念に生きる者こそ、より積極的に政治に関わるべきです」 「その意味においても、学会には、一層、政治に積極的に関わっていただきたい」 と。
学会の在り方は、まさに世界宗教にふさわしい 「世界基準」 の前進なのであります。
私どもは、正々堂々と政治に参加し、断じて勝利してまいりましょう(拍手)。
(聖教・2016-4/22・4面)
原田会長は、“宗教的思想を根本に、自らを律し、正義の信念に生きる者こそ、より積極的に政治に関わるべきです” また “正々堂々と政治に参加し、断じて勝利してまいりましょう” と指導されています。
来る大法戦は、「言論問題」 における 「二度目の勝利」 を確実にし、名実ともに、この問題の決着をつける戦いであると思います。
大勝利して、池田先生にご報告してまいりましょう。
佐藤氏は、以前からしばしば “創価学会の問題点の一つは、自分たちの力を過小評価している” という趣旨の発言をされています。この点に関連して、この 『公明党50年の歩み』 では、画期的な点として、
① 党創立者である 池田 SGI(創価学会インタナショナル)会長の貢献をきちんと位置づけたこと、
② 「言論問題」 と 「政教一致批判」 に真正面から向き合ったこと―― の二点を挙げています。
佐藤氏は、この 「言論問題」 の “後遺症” として、結果的に 「過度の政教分離」 になってしまったと。そして、このような状況は、“創価学会員ではない人々から見ると、「公明党が創価学会との関係を隠そうとしている」 かのような 「うさんくさい印象」 を与えていた。つまり、公明党の イメージを大きく毀損(きそん)していた マイナスポイントであったのだ” と。
しかし、『50年史』 は、そうならなかった。同書は第6章で 「言論問題」 に言及し、第14章で 「政教一致批判」 を論破していることによって、党史としての価値は格段に上がった と言われています。 (第三文明・2016-5月・53P)
〔「言論問題」の経緯と本質を若い学会員も知るべき〕 という項目に、
「言論問題」 は、“今なお学会・公明党の ネガティブな イメージの一因にもなっているのだから、若い学会員もことの経緯と本質について知っておくべきであろう” と言われ、問題の要点が述べられています。
「言論問題」 とは、1969年に政治評論家の藤原弘達氏が、『創価学会を斬る』 という本を出版するに当たり、学会側が著者の藤原氏に対して 「事実でない中傷をするのはやめてほしい」 と要望したことを指す。そのことが 「言論・出版の自由」 を侵した 「弾圧」 に当たると見なされ、国会や マスコミを巻き込んだ騒動に発展していったのだ。ちなみに、「言論問題」 は学会・公明党側からの呼称であり、一般には 「言論・出版妨害事件」 の名で知られている。 (同誌・54P)
そもそも、「弾圧」とは、統治者や国家機関によって行われるもので、民間団体である創価学会に対し 「弾圧した」 という言葉を用いること自体がおかしいのである。
この 『創価学会を斬る』 という書物は、事実に基づかない ヘイトスピーチ(憎悪表現)的な誹謗中傷に満ちたひどいものであった。大学教授で有名な政治評論家ともあろう者が、このような本しか書けないのかと、みんな呆れるほどの代物である。
それは同年の12月に衆議院の解散・総選挙が行われたが、明らかに公明党に対する選挙妨害を意図したものであった。ヘイトスピーチ的な内容が、電車の中吊りに予告された時、学会側は “事実ではない中傷はやめてほしい” と、当然の要望をしただけである。
学会側の秋谷総務(当時)との話し合いの場で、藤原氏は机の下に隠しマイクを設置し、これを収録するという、じつに意図的・悪質的なものであった。
これを証拠にして 「脅された」 「買収工作を受けた」 と主張していたが、後になって、収録テープの全容が発表されたが、そこには “脅しや買収” に当たる発言は無かった。
この 「言論問題」 において、学会はむしろ 「言論の暴力」 の被害者であったのに、あたかも加害者であるかのように扱われてきたのである。
〔「戦術的退却」 の見本のような 池田会長の講演〕 の項目には、
1970(昭和45)年5月3日の学会本部総会において、池田先生は 「言論問題」 について言及され、“世論の動きをふまえ、苦渋の選択として謝罪の講演を行い、「戦術的退却」 をする道を選んだのである” と述べられている。
会長講演の一部です。
「今度の問題は「正しく理解してほしい」という、極めて単純な動機から発したものであり、個人の熱情からの交渉であったと思う。ゆえに言論妨害というような陰険な意図は全くなかったのでありますが、結果として、これらの言動が全て言論妨害と受け取られ、関係者の方々に圧力を感じさせ、世間にも迷惑をおかけしてしまったことは、まことに申しわけなく、残念でなりません。
たしかにこれは、それ自体として法律に抵触するものではなかったと思う。しかし私は、法に触れないから、かまわないというような独善的な姿勢ですまされる問題ではなく、まさに道義的に考えなければならない、最も大切な問題だと思うのであります。
今回の問題をめぐって幾多の新聞・雑誌に、フランスの ボルテールの次の言葉が引用されておりました。それは 「私は、お前のいうことに反対だ。だが、お前がそれをいう権利を、私は命にかけて守る」 という有名な言葉であります。私は、これこそ言論の自由の根本だと思う。
かくも言論の自由が尊重されるゆえんは、それが人間の権利の欠くべからざる要素であり、あらゆる人が自己の主義・主張をなんら拘束されることなく、表現できることが、民主主義の基盤であるからであります。
その点からいえば、今回の問題は、あまりにも配慮が足りなかったと思う。また、名誉を守るためとはいえ、これまでは批判に対して、あまりにも神経過敏になりすぎた体質があり、それが寛容さを欠き、わざわざ社会と断絶をつくってしまったことも認めなければならない。今後は二度と、同じ轍(てつ)を踏んではならぬ、と猛省したいのであります。
私は、私の良心として、いかなる理由やいいぶんがあったにせよ、関係者をはじめ、国民の皆さんに多大のご迷惑をおかけしたことを率直におわび申し上げるものであります。もしできうれば、いつの日か関係者の方におわびしたい気持ちであります」
この日、池田先生は、熱のあるお体で一時間以上にもわたる、立ちっぱなしのご講演であったとのことです。私たち弟子の至らぬ行動のために、関係者並びに、国民の皆さんに対しておわびしたのであります。まことに申し訳なく思っています。
佐藤氏は、“池田氏のこれまでの歩みを振り返ると、「一度は戦術的退却をするものの、態勢を立て直して二度目に勝利する」 という パターンがたびたびあることに気づく” と述べられている。
たとえば、「大阪事件」 においては、一度は戸田先生を護るため罪を認めるが、二度目の法廷闘争で、見事に無罪を勝ち取った。
「宗門事件」 においても、一度目の第一次宗門事件では会長辞任という形をとったが、第二次宗門事件では言論闘争で挑み、宗門に勝利して決別を果たした。
しかし、「言論問題」 だけは、明確な 「二度目の勝利」 は訪れていない と述べられている。
しかし、『50年史』 が 「言論問題」 を真正面から取り上げ、“われわれこそが 「言論の暴力」 の被害者だったのだ” と主張することによって、公明党は長年の懸案事項に決着をつけようとした。当時は学会に対する世間の偏見があまりに強く、戦術的退却をせざるを得なかったが、四十数年を経て学会・公明党への理解も進み、決着できるだけの土壌が整ったのだ。
そして、『50年史』 における 「言論問題」 の記述について、政界や マスコミからの表立った批判は皆無に等しい。そのことによって、ようやく池田氏にとっての 「二度目の勝利」 が訪れたのだと、私は思う。 (同誌・56P)
佐藤氏は “ 『50年史』 が 「言論問題」 を真正面から取り上げたことにより、「二度目の勝利」 が訪れたのだ” との見解を述べられています。
このような 「言論問題」 が起きた背景にあるのは、日本社会にある根強い 「政教分離主義」 である。その主義・思想による 「宗教団体は政治に口を出すべきではない」 という考え方が、知識人・マスコミ人を含む多くの日本人に共有されている。
より一層これからは、“宗教人は政治に口を出すな” ではなく、宗教こそ、政治・経済・文化など全てのものの基礎であり、ひいては、世界人類の平和と幸福にとって肝心要なものであることを、強く訴えて行かなければならない。
5・3 「創価学会の日」 第17回 本部幹部会における、原田会長の講演を一部引用いたします。
カトリックの信徒団体の クァットルッチ事務総長は宗教と政治の関係性を、こう論じています。
「政治家の良心を保つための薬こそ、『宗教』 であることを断言したい」 「日本では、いまだに、“宗教家は政治に口出しするな” ということを言う人がいるようですが、それは、国家の成長を妨げる浅薄な言論です。宗教的思想を根本に、自らを律し、正義の信念に生きる者こそ、より積極的に政治に関わるべきです」 「その意味においても、学会には、一層、政治に積極的に関わっていただきたい」 と。
学会の在り方は、まさに世界宗教にふさわしい 「世界基準」 の前進なのであります。
私どもは、正々堂々と政治に参加し、断じて勝利してまいりましょう(拍手)。
(聖教・2016-4/22・4面)
原田会長は、“宗教的思想を根本に、自らを律し、正義の信念に生きる者こそ、より積極的に政治に関わるべきです” また “正々堂々と政治に参加し、断じて勝利してまいりましょう” と指導されています。
来る大法戦は、「言論問題」 における 「二度目の勝利」 を確実にし、名実ともに、この問題の決着をつける戦いであると思います。
大勝利して、池田先生にご報告してまいりましょう。