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ぜひ御参考にして下さい。2015年1月30日の会則の教義条項改正に関する解説(下)の一文です。
「これまで日寛上人の教学に基づいて、「一大秘法」や「六大秘法」ということを使用してきたが、「一大秘法」が「本門の本尊」であるという日寛上人の解釈は、御書にはない。」と明言しております。
その解釈の説明として、御書P1032を挙げていますが、ところがどっこいというべきか、とんでもない邪義というべきか・・・・
ぜひ御書P1030の14行目をご覧ください。少し引用します。
「大覚世尊仏眼を以って末法を鑒知(かんち)し此の逆・謗の二罪を対治せしめんが為に一大秘法を留め置きたもう」とあります。
この後に、その儀式として霊鷺山虚空会の姿が記されています。この事からも御本尊の相妙は虚空会の儀式を記したものですから、ここでいう一大秘法とは御本尊のことと考えられます。
つまり、「御書にはない」のでなく、「御書にある」のです。この事からも、いかにいいかげんかがわかろうというものです。
もう一つ言いますと、確かに御書には六大秘法の文字は無いかもしれません。しかし学会員が普段何をしているかを考えると、
開目抄を(人本尊)開顕の書、勧心本尊抄を(法本尊)開顕の書として学び、御本尊を信じ(信の題目)活動(行の題目)し、各家庭にあるお仏壇(義の戒壇)に勤行し、大誓堂(事の戒壇)に参詣することを勧めるという、やってることは六大秘法のままと変わりがないことはどういうことでしょうか?
仮に例えてみましょう。もしA製薬がなにかの特効薬を発明したとして、B製薬が同じ成分で名前のみ変えて販売したとしたらどうなるでしょう。
A製薬はB製薬を訴えて勝訴するでしょう。六大秘法という言葉は使わないが、やってることはその義をふまえている。これを法盗人といいます。
この事も小生が会則改正を「非」とする理由でもあります。
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