黒田節(民謡) 名槍・日本号 とは・・・


  黒田節の由来〜
 
 「酒は飲め飲め 飲むならば 日の本一のこの槍を・・・」。ご存知、『黒田節』の歌い出しの一節であります。
 今日では福岡県の民謡として歌い継がれるこの黒田節。もともとは、福岡黒田藩で歌われていた藩の歌、
 藩歌でありました。

 この歌の由来には、福岡黒田藩藩主、黒田長政の家来、母里(ぼり又はもり)太兵衛の武勇伝があります。
長政: 「ああ、母里太兵衛、そちを呼んだのは他でもない。広島の福島正則殿のもとへ使いに行って
もらいたい」
母里: 「ははっ、かしこまりましてございます」
長政: 「そちも存知ている通り、福島殿は加藤清正殿と並ぶ槍の名手。加えて大酒飲みの豪傑である。
太兵衛、そちも酒が好きであったな。しかし、酒を酌み交わし、何か間違いがあっては大事。
福島殿とは、決して酒を飲むでないぞ」

 御意と受け止めた母里太兵衛、福島正則の元へやって来るなるほど朝から飲んでいたらしく、ご機嫌
福島: 「そちが黒田藩屈指の家来と噂の母里太兵衛か。用件は後でよい、まずは一杯やれ」
母里: 「恐れながら福島様、拙者は下戸にございます。そればかりはご勘弁くださいませ」
福島: 「なに? わしを誰だと思っておる。一度口に出したら後へは引かぬ福島正則じゃ。口を割っても
そちに酒を飲ませるぞ」
母里: 「たとえ八つ裂きにされても飲めぬものは飲めぬのです」
福島: 「ハッハッハッハッ、黒田殿は良い家来をお持ちだ。酒も飲めぬ男が黒田藩屈指の家来とは
聞いて呆れるわ
!」
母里: 「なんですと!拙者の事ならともかく、主黒田長政の名に関わるとあらば聞き捨てなりませぬ。ならば飲みましょう」
福島: 「おう、よくぞ申した。さすがは母里太兵衛じゃ。さあ飲め。この大盃(おおさかずき)に注いでやる」
母里: 「お待ちくだされ福島様、飲まぬ酒を飲むからには、ただでは飲めませぬ。なにか肴を所望いたします」
福島: 「ほう、肴か。構わぬ、望みの物をくれてやるわ」
母里: 「間違いございませんね」
福島: 「武士に二言は無い。何でもやろう。さあ、ぐっといけ」

 さあ、母里太兵衛にしてみれば飲みたいのに我慢していた酒。それも上等な三原の酒であります。浪波と注が
 れた大盃を、グイッ、グイッ、グイッと、息もつかずに平らげ、もう一杯、さらにもう一杯と、三杯立て続けに飲み
 します。
福島: 「見事じゃ。さあ、約束通りそちの望む物を肴に使わす。なんなりと申せ」
母里: 「では、恐れながら、あの槍を戴きとう存じます」
福島: 「なんだと! そちはこの槍が何か知っておるのか。恐れ多くも織田信長公が正親町(おおぎまち)天皇より賜り、信長公から秀吉公に、さらにこの福島へと授けられた日本号であるぞ」
母里: 「もちろん存知ております。だからこそ所望いたしましたのでございます」
福島: 弱気な様子で「母里、これだけは勘弁してくれ。この槍を酒の肴に取られたとあっては、太閤秀吉様に申し訳が立たぬ」
母里: 「武士に二言は無いとおっしゃったのは、どなたでございますか。それとも福島様は、武士ではござりませぬのか!」
福島: 「なんだと! え〜い、う〜ん、う〜ん、も、もって行け!その槍は呉れてやる!それで良いのであろう!」
母里: 「さすがは福島様、たいそうな太っ腹に おわしまする」
福島: 「なあ、母里よ」
母里: 「はつ、なんでござりますか?」
福島: 「えぇい、なんでもないわ! 持ってけ持ってけ! その日本号は、そちの物じゃ。」と、号泣・・・

 泣きはしなかったでしょうが、こうして日の本一の槍といわれた日本号は、黒田藩の家来、母里太兵衛の手に
 渡ったのであります。「酒は飲め飲め飲むならば」この黒田節には、こんな歌詞が続いています。
 
「日の本一のこの槍を 飲みとるほどに 飲むならば これぞ まことの黒田武士」




      日本で初めて黒田節を唄った人物 とは・・・

当時 日本を一世風靡した芸者の赤坂小梅姐さん (あかさか こうめ ねえさん) 参照1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
 

    民謡「黒田節」(出典:ウィキペディア)

   雅楽の越天楽のメロディーにさまざまな歌詞を当てはめて歌う越天楽今様が元になっている。元々は筑前今様と呼ばれた。

   福岡藩の武士たちに歌われていたものが全国に広まり、黒田長政公家臣・武将母里太兵衛が福島正則邸で歌った事でも知られる。

   酒豪で知られる黒田氏の武士に殿様が酒を勧め、見事飲み干してしまい、褒美に殿様自慢の槍を貰うという逸話に基づいている。

   戦前に市丸、小唄勝太郎、藤本二三吉と並び称された人気芸者歌手の赤坂小梅によってレコード化され、1942年(昭和17年)5月20日にコロムビアレコードから発売され有名になった。 戦前は「黒田武士」というタイトルで吹込む。戦時下の為、歌詞は戦意高揚の内容であった。

  戦後1950年(昭和25年)5月20日に歌詞を一部変えて再発売された。吹込んだものは総て
「黒田節」の題である。彼女の十八番であり 「黒田節の小梅か、小梅の黒田節か」と言われたものである。 ☆☆2009年紅白歌合戦で人物像を紹介

黒田節 歌詞(1〜5番)   

酒は飲め飲め 飲むならば日の本一の(ひのもといちの) この槍(やり)を飲み取るほどに 飲むならばこれぞまことの黒田武士
峰の嵐か 松風か訪ぬる人の 琴の音か駒ひきとめて 聞くほどに爪音(つまおと)頻き(しるき)想夫恋(そうふれん)
すめら御国の もののふはいかなることをか つとむべき ただ身にもてる 真心を君と親とにつくすまで
花より明るく 三芳野(みよしの)の春のあけぼの 見わたせば唐人(もろこしびと)も 高麗人(こまびと)も大和心(やまとごころ)になりぬべし
古き都に 来てみれば浅茅が原(あさじがはら)とぞ なりにける月の光は くまなきて秋風のみぞ身にはしむ