|
イーグルスの最新アルバム
「ロングロード・アウト・オブ・エデン」小論 -エデンの園を追われた人類の現在と未来- 佐藤弘弥
1 エ デンの園を追われた人類の現在と未来 アメリカの伝説的なロック・バンド「イーグルス」が13年ぶりに、オリジナルアルバム「Long Road Out Of Eden」(エデンの園からの長い旅路)を発表したというので、これをすぐに購入し、耳を澄ませた・・・。 いい意味で、イーグルスは何も変わっていない。特に彼ら独特のコーラスは年齢的な衰えを少しも感じさせない素晴らしいものだ。 彼らイーグルスは、アメリカンロックの頂点と言われる名盤「ホテル・カリフォルニア」(1976)や 最後のアルバ ム「ロング・ ラン」(1979)の頃のクオリティを保ったまま、歳月を重ね、深みのある歌詞にメロデイを生み出していた。彼らの紡ぎ出す一曲一曲が、とにかく懐かし く、温かいのだ。どこか、故郷に戻ったようなほのぼのとした気 分にさせられた。 私は、メインボーカル、ドン・ヘンリーについて、ボスと呼ばれるブルース・スプリングスティーンと並ぶ、アメリカでも現役最高のロッ ク・ボーカリストと、思ってきた。 アルバムタイトルともなっている「Long Road Out Of
Eden」は10分を越える大作だ。広大な荒野を風が吹きすさぶような効果音から始まって、管楽器が中東風の物静かなメロデイを奏でる。次に電気ピアノと
生ギターが入り、静かにドン・ヘンリーの渋い声が聞こえて来る・・・。 Moon shining down through
the palms ここまで聴きながら、旧約聖書の「エデンの園」のエピソード
を盛り込みながら、現代
のアメリカの苦悩を歌い込んでいる曲だと感じた。 「巡礼者と浪費家」というフレーズの中に、現代のアメリカ社会が過度な消費社会と、世界中の富を、金
融帝国として国内に吸い上げ、実力以上の消費社会を形成している生の姿が見えてきた。 アメリカのブッシュ政権は、環境問題の深刻化も我関せずの格好だ。これまでずっと、京都議定書を 無視する形で、温暖化の原因と見られている二酸化炭素を垂れ流し続けたのである。 また現在でも、サブプライムローンの破綻で、深刻な危機が叫ばれているにも関わらず、クリスマス商戦と見るや、富者も貧者も、両手に抱 えきれないほどのプレゼントを購入する様子は、正直消費に呪われた怪物のようにも見えた。 この曲は、傲慢なアメリカが、エデンの園を追い出された人間が見せる過剰消費症とも言えるようになっている様を冷徹にしかもアイロニカ ルに表現しているのである。 music blasting from an suv エデンから離れた人間は、世界に拡がり、知恵の実であるリンゴを食べた故に、文明を起こし、さまざまな国家を建設していった。自動車と その自動車の 原動力となる石油の発見は、人間の文明に加速度をつけた。人間は、母なる地球に溢れかえるほど、増加し、見方によっては、地球というひとつの星にガン細胞 が増殖しているようでもある。しかしどん欲な人間は、あらゆる生き物を自らの食料として、食い尽くしてしまうかのような勢いだ。「胸肉のバーベキュー」や 「ペカンパイ」を「くれ」とのフレーズは、あらゆる地球資源を我が物顔で、奪い合う人間の業がにじみ出ているかのようだ。 freeways flickering, cell phones
chiming a tune 「安全ベルトにしがみついている時代遅れのキャプテン」とは、ブッシュ大統領のことだろうか。確かに彼は、テロとの戦いについて、アメ
リカの市民と同盟国の市民に「産みの苦しみ」だと忍耐を強いるようなスピーチをした。しかし今テロとの戦いは、暗闇のハイウェイをハイスピードで走る恐怖
がある。 今、アメリカ人で、自国に不安を持っていない人間などいるだろうか。確かに第一次大戦以降、将来の歴史家は、「アメリカの黄金時代」と
いう表現をす
るかもしれない。だが、すでに知恵を持つアメリカ人は、圧倒的な軍事力を背景にした力の外交政策が限界に近づいていることを薄々気付き始めているのであ
る。永遠に続く繁栄など、エジプトだろうと、ローマだろうと、大英帝国だろうと、なかったのである。今「金融工学」という学問が、脚光を浴び、2007年
に破綻をした「サブプライムローン」も、この学問的知恵によって、考えられたひとつのアダ花だった。 アメリカ映画の傑作に「猿の惑星」というものがSF映 画あった。宇宙飛行士が、見知らぬ惑星に不時着してみると、猿が文明を築き、政治を行い、逆に人間が、現代の猿同様に、知恵も言葉もなく、単なる動物とし て、猿にされるがままになっているというものだ。しかし物語が進んでくると実は、この惑星はかつての地球で、ある場所に行くと、破綻したニューヨークの自 由の女神などが、遺跡として見えてくるのである。これは一種の人間の文明の驕りにたいする強烈なメッセージとも言える作品だった。 weaving down the american highway ここまで、聴いてきて、この新曲「Long Road Out Of
Eden」という曲が、旧約聖書にある邪悪な蛇の誘惑によって、最初の人間であるアダムとイブが、神の取り決めた掟を破り、エデンの園を追われてからの壮
大な旅路を思った。知恵を得た人間は、恥ずかしさと苦悩の虜となり、今日まで生きながらえてきたのである。 人間の知が本当
に人間を幸福にするというならば、アメリカという国家とアメリカという政治体制が、もっともっと己を虚しくして謙虚に振る舞う姿勢を見せなければ、自分だ
けが世界の利益と利潤を吸い上げ、過剰なまでの消費を繰り返す傲慢な怪物になってしまっていることを知るべきである。
2 「ホ テル・カリフォルニア」から 「ロング・ロード・アウト・オブ・エデン」へ イーグルスには、アメリカンロックの最高傑作との評判の「ホテル・カリフォルニア」(1976)という曲がある。誰でも知っているような大ヒット曲だ。 その名盤「ホテル・カリフォルニア」から今回の「ロング・ロード・アウト・オブ・エデン」(2007)に至る間に、アメリカという国家が、どのように変貌 しただろう。 このふたつの曲の間には、31年間という歳月が過ぎ去ったことになる。 「ホテル・カリフォルニア」の時代(60年代後半から70年代半ばにかけての時代)、それはアメリカの希望の星だったケネディ大統領が介入したベトナム が、泥沼化の様相を呈し、混沌とした状況にあった。強いアメリカを志向する国家の意思に対し、武器を持たぬ若者たちは、長髪にギターを抱え、ロックや フォークソングに平和への願いを込めて、多くの曲を作った。 「ホテル・カリフォルニア」は、反戦の歌ではない。しかしどこか戦争の臭いが感じられる歌だ。アメリカの中にあって、温暖な地中海気候の西海岸にある「ホ テル・カリフォルニア」は、オアシスのような夢の場所だ。 歌は、夜の砂漠のハイウェイを走っていると、幽かなホテルの明かりを見つけるとこ
ろから始まる。それでも、男は、それが天国なのか、地獄なのか半信半疑で、このように呟く。
This could be Heaven or this could be Hell (これは天国かも知れないが、地獄かもしれないぞ) それほど当時の若者の心は傷つき生きる目標を失っていたのである。この辺りの若者の心を良く捉えている映画に、フランシス・コッポラ監督の「地獄の黙示 録」(1979)がある。ベトナム戦争の中の狂気を描いた大作で、名優マーロン・ブランド扮するカーツ大佐が激しい戦争の中で狂気となり、ベトナムの奥地 で王国を築き上げ、これをCIAの命令に特殊工作員らが暗殺に向かうというストーリーだった。ラストシーンでは、ベトナムのジャングルでナパーム弾が炸裂 し、音が消えて、ドアーズの「ジ・エンド」という静かな曲が流れ渡るシーンは、未だに眼に焼き付いていて離れない。吐き気を催すような戦争の現実を見せつ けられる強烈な映画だった。ベトナム戦争の現実の一端が、間違いなくそこにはあったと思う・・・。 まさに「これは天国かも知れないが、地獄かもしれないぞ」というフレーズは、疑い深くなったアメリカの当時の若者の心情を代弁する言葉だったのである。 ホテルに宿泊した若者も、もしかするとここは、天国のように見えるが地獄ではないかと思い始める。 20世紀初頭、アメリカはヨーロッパ人から「新世界」と呼ばれるようになった。そして文化の中心地は、フランスのパリからアメリカのニューヨークへと、い つの間にか遷都されてしまったかのような動きが起きる。 世界中の富者と知者と芸術家が、この国に集まり、砂漠の中には、オアシスならぬ「ホテル・カリフォルニア」を建てることが簡単にできた。ハリウッドは、砂 漠の中にできた映画という人口世界を生み出すメッカだ。 しかしアメリカに慢心という暗雲が忍び寄る。力への過信だ。ベトナムへの軍事介入は、アメリカという国家の限界を露呈させた事件だった。特に1968年2 月、世界最強のアメリカ軍が、テト攻勢と呼ばれる北ベトナム軍と解放戦線により、戦争の主導権を奪われたことは、アメリカ政府だけではなく、アメリカの国 民を大いなるショックを受けた。 アメリカ国内でも、反戦活動が盛んになり、日本でも故小田実氏らがべ平連活動を行い、アメリカの力の政策を批判した。1968年以降、パリではじめられた ベトナム和平会談は、長い紆余曲折を経て、ついに1973年、合意され、死傷者のべ227万人のベトナム戦争はアメリカの敗北で終結となった。アメリカ は、軍事力という力に頼った外交の限界を嫌と言うほど味わわされたにもかかわらず、古くなった軍事力を一定期間償却ごとく、ベトナム戦争終結後も湾岸戦争 (1991)、今回のアフガニスタン介入・イラク戦争(2001)と、ほぼ10年毎に、戦争を開始するという結果になっているのである。 イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」には、ベトナム戦争後のアメリカ社会の喪失感と期待と不安の入り交じったような複雑な思いが鏤められている。それ が多くの人の心を打ったものと思われる。 「ホテル・カリフォルニア」の歌詞に、男が、ベル・キャプテンに「ワインを持ってきて」と頼むと、「1969年以降、そのサービスはなくなりました」と告 げられるシーンがある。現実だろう。この頃、若者の間には、強い厭戦気分が蔓延していた。「ヒッピー」と呼ばれる呼ばれる世の中をドロップアウトして、勝 手気ままに生きる若者が現れたのも、この時代である。彼らは必ずしも反戦思想を持っている訳ではないが、ドラッグなどを常用し、言ってみれば従順でもない が、反抗的でもない若者たちを指す言葉だった。「イージーライダー」(1969)という映画は、このような若者の生態を、ロックの強烈なビートに乗せて 撮った作品で、アメリカンニューシネマの代表作とも呼ばれる。 この頃のアメリカの若者たちは、日本の団塊の世代と同じ意味で、「ベビー・ブーマー」と呼ばれた。第二次大戦が終了した1940年代後半に生まれた世代で ある。イーグルスのメンバーは、丁度この世代に当たる。中心メンバーの、ドン・ヘンリーは1947年生まれ。グレン・フライは1948年の生まれだ。 さて「ホテル・カリフォルニア」という歌が佳境となる。 天国と思われた場所が突然一変する。 ここからは、ベットに入って見た夢のエピソードだ。 「Bring your
alibis」(アリバイを持ってきてください)と声がする。
それは鏡の部屋の中にピンクのシャンパンを前にした女性の 声だった。 彼女は、「私たちは皆ここの囚人なのですよ」と囁く。 やがて会食が始まると、目の前には、次々と生きた獣がテー ブルに現れ、皆この獣にナイフを指すことをためらうのだ。 たまらず、男はドアを探して逃げだろうとする。 でも、慌てて逃げたためかドアが見あたらないのだ。 すると、後ろから「落ちついて」と夜警の男が呼び止める。 そしてこのように言うのだ。 「私たちはあなた方を収容するようにプログラムされている のです。だからあなた自身は好きな時にチェックアウトできますが、けっしてここを離れることはできませんよ」 夢とは言え、強烈な強迫観念が、この歌には潜在していることになる。美しいと思って停泊した「ホテル・カリフォルニア」が実は収容所だったというのは、ど こに行っても、逃げ切れないというベビー・ブーマー世代の当時の追い詰められた心が、この歌の中心に存在することになる。 同時に、この「ホテル・カリフォルニア」という言葉に象徴されているものは、アメリカそのものだということだ。 ハリウッドやラスベガス、ディズニーランドなど、アメリカの富は、人口的ながら、人間の一時的な目線を釘付けにするところがある。例えばあの中 国の文豪魯迅(1881ー1936)が、ウォルト・ディズニー(1901ー1966)の制作したアニメーション映画のファンだったというのは有名な話し だ。 映画ひとつをとっても、一度アメリカが制作を始めると、巨大な産業となって、圧倒的な物量と新技術を駆使し、世界中を席巻し、世界中の富をかき 集めるマシーンと化してしまうのである。最近の流行り言葉に「グローバリゼーション」がある。今や世界の映画市場は、アメリカ映画に市場を占有され、それ 以外の国の映画はほとんど窒息してしまいそうだ。まさに「グローバリゼーション」は「世界のアメリカ化」と言っても大げさではない。 だが冷静に考えてみれば、ハリウッド映画に登場する建築物はハリボテで、見かけの美しさはあるが、その本質は虚像であってホンモノ ではない。娯楽の都市ラスベガスでの饗宴ぶりは、一見旧約聖書の「ソドムとゴモラ」を思わせる。これを現代文明の象徴として考えれば、人間がエ デンの園から追放され、荒涼とした砂漠を旅した旧約聖書の頃とさほど変わらないということにもなる・・・。 結 語 ベビー・ブーマー世代から未来へ 「ホテル・カリフォルニア」のテーマは、アメリカが自信を喪失した時代、若者たち(ベビー・ブーマー)の自国アメリカへの不信感を歌った歌であったと言 えるだろう。 それに対し、「ロング・ロード・アウト・オブ・エデン」は、ベビー・ブーマーたちが、年齢を重ね、自身が社会の第一線を退く立場となった今、自 分が関わってきたアメリカ社会というものに、責任の一端を感じ、ローマ帝国を築いた「シーザーの亡霊」というフレーズに象徴されるように、知の使い方を考 えるようにと諭していると考えられる。 そのメッセージ性が、(アメリカに対し)力に頼る「帝国への道」を捨てて、「噛まれたリンゴ」の「カミ痕を見なさい」というフレーズに良く表れている。ま た「世界中の知恵も愚者には使えない」というのはアメリカの政治的リーダーたちへの強烈な皮肉(アイロニー)だ。 アメリカ人というより地球上に生きるすべての人間にとって、「エデンの園からの長い道」というテーマは、真の知を掴むための人類史そのものだったのであ る。 ”今こそ私たちは、エデン追放の時に、神によって与えられた「知」という宝物を見つめ直し、未来へ向かって、それを行使すべきではな いか!?” 私には、イーグルスの最新アルバムが、そんな声として深く心に響いてくるのである。 まさにこのアルバムは、ベビー・ブーマー世代が、アメリカの若者へ向けた「魂の叫び」ではないだろうか。もちろん同時に、全世界の未来を担う若者へのメッ セージなのは言うまでもない。(了) |
|||||