シリーズ「等身大のアフリカ/最前線のアフリカ」では、マスメディアが伝えてこなかったアフリカ、とくに等身大の日常生活や最前線の現地情報を気鋭の研究者、 熟練のフィールドワーカーがお伝えします。今月は「等身大のアフリカ」(協力:NPO法人アフリック・アフリカ)です。
はじめに
マサイ・オリンピック。それはキリマンジャロ山の眺めとアフリカゾウをはじめとする野生動物で有名な、ケニア南部のアンボセリ地域で開催されている陸上競技大会だ。選手として出場するのは地元のマサイの戦士たち。記念すべき第1回大会は2012年12月22日に開かれ、第2回大会は2014年12月13日に開催、第3回大会は2016年12月に予定されている。その目的を端的に言うならば、マサイの戦士に新しい生き方を示すことである。
第2回マサイ・オリンピックに出場したマサイの戦士たち。右端は本文で後述する戦士たちのリーダーである。
各地で開発が急速に進行しているアフリカであるけれども、そうした中でもマサイは今なお伝統的な暮らしを続けている人々と思われがちだ。そんなマサイに向けて、国際的な支援と注目を集めて開かれているマサイ・オリンピックはどのような道を示しているのだろうか? 本稿では、その概要を説明した上で、マサイの戦士がマサイ・オリンピックとそれが提示する生き方とを、どのように受け止めているのかを考えていきたい。
そもそもマサイ・オリンピックとは?
まず、マサイ・オリンピックの基本的な内容から説明しよう。マサイ・オリンピックに出場する戦士たちは、出身地にもとづいて4つのチームに分けられる。わたしが観察した第2回大会には、各チーム40人、合計160人の戦士が選手として出場していた。そして、彼らは200メートル走、800メートル走、5000メートル走、槍投げ、棍棒投げ、高跳びの6つの種目で競い合う。このうち最初の4種目は、一般的な陸上競技のそれと変わらない。一方、最後の2種目は、マサイ・オリンピック独自の競技だ。棍棒投げは10メートルほど離れた的に向けて、戦士が普段から持ち歩いている棍棒を投げるというもの。高跳びは頭上に張られて少しずつ高さが上げられていく紐に、その場で跳躍して頭で触れるというものだ。
800メートル走で、チームごとに色分けされたユニフォームを着て走り出す選手たち。
高跳びの様子。多くの選手はビーズアクセサリーを着けたまま競技に臨んでおり、中にはこの選手のように杖を手に持ったままの者もいた。
各種目で1位から3位の選手には、それぞれ金・銀・銅のメダルが賞金とともに与えられる。そして、800メートル走と5000メートル走で1位となった選手は、翌年に開催されるニューヨークシティマラソンに招待される。また、1位から3位の選手が所属するチームには3点、2点、1点が与えられる。6種目の合計点数がもっとも多いチームが総合優勝となり、優勝トロフィーと副賞の改良品種の種牛を獲得する。
会場には選手として選ばれた戦士だけでなく、その仲間の戦士や家族、友人、それに他地域から観戦に来たマサイを始めとするケニア人や外国人、国内外のメディア関係者などが集まっていた。最終的な来場者は600人を超えていたと思う。観客が写真を撮ったりして楽しむかたわらで、地元の人たちは競技者に声援を送っていた。そして、自分が所属・応援しているチームの選手が1位になると喜びを爆発させ、係員の制止を振り切って競技場になだれ込んで行進を始めていた。それぞれの人がそれぞれのやり方で、マサイ・オリンピックを楽しんでいたと言えるだろう。
5000メートル走での優勝を祝って行進をする選手・関係者と、その様子を写真に撮ろうとする外国人やメディア関係者
そしてわたしが確認できた限りでは、ロイター通信、AP通信、フランス通信社(AFP)、共同通信がニュースを配信し、CNN、英国放送協会(BBC)、中国中央電子台(CCTV)、朝日新聞、毎日新聞が取材にもとづく報道をしていた。世界各地でマサイ・オリンピックがニュースとなっていたのは間違いのない事実だ。とはいえ、じつはマサイ・オリンピックは、国際オリンピック委員会によって認められた正式な大会(オリンピック)ではない。それではいったい、誰がどんな目的で開催しているのだろうか?
マサイ・オリンピックが目指すもの
何世紀にもわたって、マサイはライオンを狩り殺すという伝統的な通過儀礼を実践してきた。/今ではたくさんの人間とわずかなライオンしかいない。物事は変わらなければいけない。そのためにわれわれは、マサイ・オリンピックを含めた革新的な保全の方策を編み出した。/これはライオンではなくメダルのハント(狩猟)だ。
これはマサイ・オリンピックの公式ウェブ・サイトのトップページに書かれている文章だ(和訳は筆者による。以下同様)。ここから分かるように、マサイ・オリンピックの目的とは、マサイの戦士が伝統的に行なってきたライオンの狩猟を止めさせることである。
地域の集会に集まった戦士たち。現在のケニアでは狩猟が法律で禁止されているが、多くの戦士はこのように槍を持っている。
公式ウェブ・サイトでは、マサイ・オリンピックを通じてマサイの戦士たちに教育すべき内容が2つ挙げられている。それはつまり、「ライオン狩猟は今日ではもはや受け入れられない文化であり、ゾウやその他の野生動物を殺すことと同じように、ただちに止めなくてはいけない」ということと、「『保全の道』に従わず、それが生み出す経済的な便益に与れないならば、マサイの未来は持続不可能なものとなるだろう」ということだ。
絶滅が危惧される貴重な生物種であるのと同時に、経済的に高い価値を有する観光資源でもある野生動物。それを破壊するような伝統文化を放棄し、代わりにそれを保護することで経済的な利益を得ていくことこそが、マサイの戦士がこれから進むべき道、すなわち「保全の道」ということになる。
保護区の中で獲物をくわえたライオンの写真を間近から撮ろうと近寄る観光客の車。野生動物を目当てとする観光業は、ケニアの重要な産業である。
こうした考えが受け入れられていることを示すかのように、公式ウェブ・サイトには、大会に出場した戦士の以下のような言葉が紹介されてもいる。
このプログラムはとても成功していて、わたしたちは今では名誉あることをしている。昔はマサイであればライオンを狩猟するものだったけれど、このプログラムはそれよりもよい行ないを示している。
しかし、マサイ・オリンピックの主催組織がヨーロッパ人によって設立されたNGOであり、それによって公式ウェブ・サイトが管理されている時、そこにおける説明が本当に地域社会や戦士の意見を反映しているとは限らない点に注意する必要がある。
「コミュニティ主体」のレトリック
マサイ・オリンピックを主催しているのは、アンボセリ地域で高級ロッジを経営しているヨーロッパ人が設立した動物保護NGOの「ビッグ・ライフ・ファウンデーション」だ。現在、政府機関がアンボセリ地域に配備しているゲーム・レンジャーが約50人であるのに対して、ビッグ・ライフ・ファウンデーションは300人以上の地元のマサイをゲーム・レンジャーとして雇用している。その上、予算不足が理由で政府も行なえていない、野生動物による家畜被害の補償も実施している。ビッグ・ライフ・ファウンデーションが政府以上に多様で充実した活動を展開できているのは、それだけの寄付を欧米の富裕層から集めているからである。
政府機関のゲーム・レンジャー。密猟者の捜索や逮捕、密猟者が設置した罠の撤去、負傷した野生動物の救護などが主な仕事である。
ところで、1990年代以降のアフリカでは、野生動物の保全活動は「コミュニティ主体(community-based)」で取り組まれるべきだと考えられている。地域社会や住民を敵視して排除したり処罰したりするのではなく、その知識や能力を評価し、文化や権利を認め、主体的な参加を促すべきだと考えられるようになったのだ。そうした中でビッグ・ライフ・ファウンデーションは、マサイ・オリンピックのアイデアは地域社会の中から出てきたと説明する。実際は住民とビッグ・ライフ・ファウンデーションとが話し合う中で浮上したアイデアなのに、住民が発案し地元が主導するプロジェクトであるかのように説明するのは、その方が国際的な支持と支援を得やすいと考えているからだと思われる。
というのも、もし、ライオン狩猟を行なってきたマサイの戦士それ自体を「受け入れられない文化」と見なすなら、彼らは支援すべき対象というよりも厳しく取り締まるべき対象、環境教育を施すべき対象となる。それとは対照的に、マサイの戦士は伝統文化であるライオン狩猟を自ら捨て去り、野生動物を保護するためにマサイ・オリンピックを企画・実践しているということになれば、その行動は「コミュニティ主体」の理想的な試みということになり、彼らは積極的に支援されるべき対象となる。それは同時に、マサイの戦士を支援するビッグ・ライフ・ファウンデーションが、より多くの活動資金を獲得できる可能性が高まることを意味してもいる。【次ページにつづく】
主催組織が会場に設置した幕と観客。幕にはマサイの言葉(マー語)と英語で、「わたしたちは、わたしたちの資源をとても大切に思っている」と書かれている。
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