Market Hackではこれまでにニューヨークやサンフランシスコの都市としてのおいたちを紹介してきました。ニューヨークはオランダ西インド会社により、最初から金儲けを目的とした都市づくりがなされたことを説明しました。サンフランシスコはゴールドラッシュによって急ごしらえで作られた町であることを紹介しました。つまりどちらの都市も宗教や伝統とは無関係だったのです。

その点、エルサレムはこれらの都市とは対極に位置します。エルサレムは常に宗教と伝統に支配され、何重にも歴史が上塗りされ、その過去のレイヤーの積み上がりが、かけがいのない価値を持つと同時に、エルサレムという街の重荷になっているのです。

エルサレムは4000年にも及ぶ歴史を持っています。その間、ユダヤ教徒、キリスト教徒、回教徒などの間で、少なくとも14回、宗教上の支配者(政権は、もちろんもっと頻繁)が変わっています。その歴史の長さを考えた時、1967年の6日戦争以降続いている、現在のイスラエルによる治世は、流れ星の閃きのような一瞬に過ぎません。つまり現在の状況が、未来も永遠に続く保証は全く無いのです。

エルサレムはニューヨークやロンドンのような大都市ではありません。だから経済的重要性は低いです。しかし宗教的、政治的にはとても重要なので、エルサレムの歴史を知らずして国際政治は到底理解できません。

紀元前(BC)1900年頃、エルサレムはエジプトのファラオによって支配される、ケーナンと呼ばれる「飛び地」として治められていました。この小さな集落が維持できた理由は、オフェルの丘の近くに泉が湧いていたからです。

紀元前1200年頃、エジプトでファラオの下に抑圧されていたヘブライ人がモーゼをリーダーとしてエジプトを出て、約束の地を求めて彷徨います。その究極の行き先が、今のエルサレムだと考えられていたわけです。

ダビデ王(キング・デイビッド)は政治的に割拠するイスラエルとジュダを統合し、エルサレムをその二つの地域の中立の場所として新しい首都にしました。

紀元前1000年頃、ダビデ王の息子、ソロモン王がエルサレム神殿を作ります。これは最初のユダヤ教の神殿です。

king solomon's temple

40年の治世の後、ソロモン王が死ぬと、北部はイスラエルとして分離し、エルサレムは南部のジュダの首都となりました。ユダヤ人の勢力がこのように2つに分かれたので、外部の攻撃から脆くなりました。紀元前800年頃、アッシリア(こんにちのイラン)が勢力を拡大し、侵入してきました。

ジュダ王ハザキアは預言者イザヤから「メサイアだけがこの町を守れる」という警告を受けました。この警告で、理想化された、和を持って治められる未来の国が定義されたのです。

紀元前701年になると実際にアッシリアが攻めて来ました。ムナサが王になると彼は邪宗を持ち込み、子供を生きたまま焼きました。

紀元前586年、バビロンが拡大し、エルサレムへ迫ります。攻囲戦となり、エルサレム市民の初めての流民化が起こりました。故郷を追われる流民の現象は、その後、エルサレムで色々な宗教を信ずる庶民にたびたび降りかかる災禍として繰り返されます。これがいわゆる「嘆き」の始まりと言えます。エルサレムは「最後のアポカリプス」の場所としてユダヤ教徒、キリスト教徒の両方に理解されていますが、その起源はこの事件に求める事が出来ます。


エルサレムを追われた市民たちは、50年間もバビロン(いまのイラク)に幽閉されました。

Tissot_The_Flight_of_the_Prisoners

その後キュロス二世(サイラス)がバビロンを解放しユダヤ人はエルサレムに帰ることを許されます。

紀元前336年になるとマケドニアのアレキサンダー大王がエルサレムに来て支配します。

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このときギリシャ文明がエルサレムに初めて入ってきました。

次にアンティオカという狂った王がエルサレムを攻撃、ユダヤ教を弾圧します。アンティオカは「自分を拝め」と強要し、ユダヤ人はヤーウェーを信じていたので、このときユダヤ教徒が、殉死という概念を初めて作りだします。これが宗教的反抗の始まりです。

その後、ジュダがアンティオカのギリシャ人に対して反撃しエルサレム奪還に成功します。これが最初の聖戦だと言われています。

紀元後(AD)にローマ人がエルサレムに進出してきます。イエス・キリストはユダヤ教徒だったので神殿は信仰の場としてとても神聖だと考えていました。イエス・キリストはローマ化し、堕落したその当時のユダヤ教をせせら笑います。とりわけ神殿の敷地内で牧師がパスオーバーの祭りの際に使ういろいろな動物の肉を販売し、金儲けに精を出していることをとがめ、両替商の屋台を打ち壊します。

これを当時のユダヤ教の指導者たちはエスタブリッシュメントに対するあからさまな挑戦と受け止め、イエス・キリストは逮捕され、エルサレムの行政官ポンティウス・ピラトゥスの前に引き摺り出されます。

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そして当時のきまりに基づいて処刑されます。イエス・キリストはその3日後に復活します。

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それを見たユダヤ教徒のなかにはイエス・キリストのフォロワーが増えて、彼らはイエス・キリストを崇拝しはじめるわけです。このグループをナザレ人といいます。

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