幸運だったとしか思えない――。2011年3月の東京電力福島第一原発の事故対応に追われた菅直人元首相が、朝日新聞記者のインタビューに応じた。1986年に起きた旧ソ連・チェルノブイリ原発事故の惨状を思いつつ、首都圏住民が避難する事態になることを恐れ、自衛隊の注水作業を祈りながら見守ったことなど、事故発生当時の心境を語った。過酷事故に対する備えがなく、必要な情報が迅速に報告されないなか、官邸が対応に苦しんだ状況も明らかにした。「東京の住民まで避難せずにすんだのは、神様のおかげと感じざるをえない」とも述べた。
■最悪シナリオ
――事故が拡大するなかで、東京の住民避難も考えたそうですね。
「福島には、第一原発に6基、第二原発に4基と、計10基の原子炉があります。事故の当初から、チェルノブイリ原発の事故は1基だけで、あれだけ放射性物質が飛び散ったのだから、もし、福島の原子炉のすべてが制御できなくなったら、チェルノブイリの何十倍もの放射性物質が放出されるだろうと。実は早い段階で、頭の中では、放射性物質が東京まで来るのか、来たらどうするか、と考えていました。しかし、口に出せない。対策がないのに来るかもしれないなんて言えば、それこそ大ごとですから」
「それに近いことを言ったのは、3月15日です。東電の清水正孝社長(肩書はいずれも当時)を官邸に呼び出すにあたって、周囲に、東電が原発から撤退したら、東京が全部ダメになるぞ、という言い方で初めて口にしたんです。そうして、細野豪志補佐官を通じ、原子力委員会の近藤駿介委員長に、最悪のシナリオをシミュレーションしてほしいと頼んだのです」
――その結果は後に報道されますが、事故が拡大すれば東京都を含む半径250キロ圏内の住民が避難対象になるというものでした。
「はい。やはり、東京も入っていたので、それほどの大事故なんだ、と改めて確認しました。居住する約5千万人が避難するとなると、地獄絵です」
■神のご加護
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朝日新聞社会部
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