いまの中学生とかって、みんな何が好きなの?
年齢がばれないような気がしないでもないですが、わたしは中学時代から高校前半をまるまる嵐担として過ごした世代です。いわゆる「花男出」がちょこちょこ嵐のことチェックするようになった時期にちょうど「魔王」「うたおに」「流星の絆」「クイズショウ」「マイガール」とかのドラマラッシュがおきて、大量に嵐担が発生して、そこからの流れで2010年前後にはすでに身の回りが嵐担だらけ、学校のあっちでもこっちでも嵐の話ばっかりしてた。
なんだろう、あの頃の空気感……。すごくわくわくしてたな。
「最後の約束」というドラマがありました。デビュー直後「Vの嵐」以来フジテレビで10年ぶりの5人ドラマという触れ込みで、2010年のお正月あたりに放送されてた。東京の地下鉄の駅構内にロープでぐるぐる巻きにされた半裸の嵐のポスターが掲示されて、うろたえながらもオタクがみんな観にいってたんだよね……。
2時間ドラマなのに各メンバーにけっこう細かい設定が与えられてて、コーヒーショップ店員の相葉くんとか、バイク便ライダーの松潤とか、前評判はよかったのにオチのつけ方がクソで大炎上してたの懐かしい。なにあれ!あのオチは本当にない!DVD買う気失せたもん! イギータ!って、一時期はやったよね。
いま比べるものが男性アイドルジャンルにはないのでうまく表現できないのですが、AKBが2010年ごろからシングルでばんばんミリオン連発するようになる前って嵐がCDを売りまくってて、しかも種類出しても初回限定盤と通常版だけ。当時はDVDつきの初回限定盤とカップリング曲増量した通常版に分けて売るなんて卑怯だ!って論調があったけど、最近のジャニーズのミュージックカード商法とかすごいしいまではあの頃の嵐はすごいマトモみたいな風潮になってない……?いや、気のせいだったらごめん……。レコード会社違うからなんともいえないですけどね。
2009年度のオリコン年間シングルランキングの1位が「Believe/曇りのち、快晴」2位が「明日の記憶/Crazy Moon~キミ・ハ・ムテキ~」3位が「マイガール」。
すごい時代ですよ。オタクひとりあたり2枚くらいしか買ってないのに。しかもタイアップついてた作品が特別面白いわけじゃなかった。Believeとか、さんざんクソ映画って叩かれてた実写版「ヤッターマン」の主題歌だったわけですよ。タツノコプロと謎にコラボしてアニメ版PVとかあったよね……。
Monsterあたりまでは初回限定盤にPVメイキングがついてたけどたしか突如としてなくなったんですよね。わたしが降りたあとに復活したみたいな話を聞いたけどよくわかんない……マイガールのPV設定こってて好きだったなあ。舞駕家ってめっちゃ流行ったよね。PVの外ロケを以後しばらくしなくなったんだっけ?Everythingとかは屋外で撮ってたよね……。
クイズショウもマイガールも、面白かったけれど視聴率的にテレビ局の人をすごく満足させられるような結果ではなかった、とどこかで聞いた。それでもあれだけCDが売れまくって、みんな嵐のバラエティを観ていて、周りみんなドラマ観てて、クイズショウの横山裕の真似して「かぁぁぁぁみやまぁぁぁ~~!!」とか言えてたのは、なぜか「そういう空気感だった」としか言いようがないんだ…。
嵐担の時代って、そういう時代だった。2000年代のアイドルだから、たとえば昔の光GENJIみたいに全部のジャンルで突出した数字なんて出ないけれど、なぜかみんな嵐のこと普通に好きだったの。
携帯、みんなけっこうau使ってたよね。@ezweb.ne.jpの多さよ。
私の気のせいかもしれないけど、なんでヲタクってみんなこれ使ってたの?! 担当カラーのこれにコムのHONEY BEEが定番だった気がする……。CMの「もし僕らが嵐でなかったら」シリーズはヲタクの間で二次創作とかめっちゃ流行ってたな~~コンビニ店員のにのみやくんめちゃめちゃ好きだったよ……。
10分ごとにかけなおしてくるんだよね、コム使ってる子って……。いまみたいにLINEとかないから、PC立ち上げてわざわざSkypeしたりしてた。
auのCMはいつの間にか終わってたな~。原宿の竹下通りを突き抜けたところにauのでっかいショールーム兼ビルみたいなところがあって、2階に嵐が使ってたセットが展示されるからみんなで見に行って「自担の念を感じたい・・・」とかやってた。もし僕が……シリーズ終わったあとにも、なんかいろいろやってた気がするんだけどな~あんまり覚えてないや。
ガラケーのプリ画像全盛期だったから、そこで加工画とか歌詞画とか拾ったりしてた。歌詞画っていうのはメンバーを加工したよくわかんない画像に歌詞がついてるイタいやつね。でもみんなけっこう待ち受けとかにしてたよね。
これな。これ。懐かしすぎて涙出そう、毎日必死にこれ集めてるとかどんだけ必死だったんだよ、ヲタク。もじまるとか流行ったよね!PC持ちのヲタクが画像透過します!!とかやってたりして……。
いまのプリ画像ってどうなってるのか見に行ったけど、加工が今の流行りになっただけで根本的にはあんまり変わってなかった。
いま流行ってるこういうfoxyの加工もたぶん3~4年後とかには廃れて、「あの頃のヲタクあるある」みたいな感じで語られだす日がくるんだよ……。予言しとく……。
ところでCMといえば、わたしはなぜか未だにスープdeおこげのCMが忘れられません。スープdeおこげ、もう売ってないんだよ。ヲタクが買わないからさぁ……。お米さっくさく~。
一時期ハウス食品と嵐との蜜月がものすごくて、ディズニーランドでイベントまでやったんだよね。嵐スペシャルナイトみたいなやつ。いま調べたら7000人に対して500万通の応募があったらしい!気が狂っている!! みんなものすごい数応募してたけどそれでも友達で行けてたの誰もいなかったな……あのイベント本当にあったの?
バーモントカレーのCMもやって、とんがりコーンのCMもやって。とんがりコーンかな?セグウェイにのってみんなでくるくる回ってるやつとかあったよね!すっまーいるさいこーのきみだけのすまーいるーでー!
これは今でもだと思うけど、バーコードをはがきに貼って応募すると抽選でけっこうな人数にクオカードが当たったりするものだから、二宮担がポッキーとチョコラで暮らしてたりとか、オイリオ家族ぐるみで買ってたりとか、櫻井担オロC飲みまくってたりとか、まーいろいろ大変だった気がする。
日産のCMも気付いたら終わってたなぁ……。いまだから書けるけど、二宮くん車で軽く事故ったのに車のCM出てたの本当に面白いよね。でかい外車乗ってたんだってさ。日産じゃないのかよ。
ちょうどヲタクが一番楽しい時期に、宿題くんが終わったりして。
ゲストによってはつまらないとか、お金がないスペシャルが一番面白いとか言われていたけど後番組である嵐にしやがれがみんなの予想を上回るクソさだったので手のひらを返したように「宿題くんサイコー!!終わらないで!!」って言われてたりして。いや、宿題くんはそもそも放送中からサイコーって言われ続けてたな……汐留相葉ランド略してアイランドとか最高だったよね。ダイラタンシーの回あたりは有名だけど。スタジオにメイド連れてきたりとか、とにかく「なんかすごい番組」だったの。宿題くんって。
2008年あたりの嵐って、急にコンサート規模が2年そこらでドームクラスから国立競技場2daysとかになって、突如としてスターになった感ヤバくて、でも本人たちが相変わらず深夜番組出てグルメ食べたりしてるし、そのミスマッチさが好きだったのかな、とわたしはいま思い返して結論づいている。
どんどん彼らが身分相応に、スターらしくなっていくにつれて、あの適当な楽しさは薄まっていって、「ちゃんとする」ことが多くなり、紅白の司会めっちゃやったりとか、ヲタクがその「ちゃんと感」についていけなかったの、嵐担が流出してしまった一因なのかな、とも思ってる。
そう、嵐担ってなぜかみんな散逸しちゃってるんだよね……。あのころ友達だった子たちはいまごろ何してるんだろう。何人かは俳優界でばったり遭遇して、おまえ俳優ヲタクなの!?とかはあったけど。
今でこそ本気で好きなら全然会う方法はいくらでもあるだろとか思うけど、当時の一般的なヲタクにとって嵐に会うハードルはめちゃめちゃ高かった。わたしが思うに、嵐担が大量に流出してしまった原因ってあまりにも嵐が「会えなさすぎ」て、たとえば嵐担がほかのジャニーズや俳優とかのファンをするときに無条件で「めちゃめちゃ簡単じゃん!!なにこれ!?」ってなってしまう、ということにあると思う。一般人からみればそこそこ会うのが大変なイケメンでも、嵐担からしたらめっちゃイージーなのだ。
たとえば。番協=番組協力、つまり嵐の出るバラエティの観覧。まず番協を斡旋している会社に登録しなきゃいけないんだけど、そこに登録したあとに嵐の番協に行くためにはまず全然関係ないバラエティとかを観にいかなきゃいけない。何観にいかされるのか覚えてないけど。どうぶつ奇想天外とか?(適当)Rの法則の番協に行かされるのは有名だよね。わたしも行ったよ。
その番協に行くと、やっとそこで嵐の観覧に申し込める紙がもらえる。そこからがスタートラインなのだ。要するに、斡旋会社は嵐ヲタを使って人数の足りない番組の穴埋めをしている。それに従わざるを得ない。わたしたちはアプ○ーズやクラ○プアンドウ○ークの奴隷だったのだ。
そういうカオスな世界からちょっと外に飛び出してきた嵐担は、たいていのコンテンツに対して「めっちゃ楽じゃね!?」と思ってしまうようになった。
嵐がとった戦略としていけなかったのは、そういうとこかもしれない。(ただ、母数が多いから大量にヲタクが散逸したところで正直どうでもよかったんだろうなとは思う。いま残っているヲタクの人たちも人が減ったのを有り難がっているはずだ)
確かにたのしかったんだけどね。嵐担。できることならずっとあのままぬるく嵐担でいたかったな、とは思うけど、どうも彼らの引力は弱まってしまっていた。
嵐担でいたときには、とにかく周りの友達が面白くて面白くて。二宮くんのプラチナデータ、壁一面にフライヤー貼ってる画像は当時の友達だし、「土下座事件」もいまだから言えるけどあれわたしの友達グループの仕業なんです。まさかあんなに広まるとは思わなくてみんなで笑ったけどな。
悪意はなくて、ただとりあえず面白いことやろう!「嵐」をハブにして、いかにファンキーでクレイジーなことができるか競おう!っていう謎の原動力でみんなが生きてた。いやだって本人たちに会えないから「対本人たち」のベクトルでそもそも競えないんだもん俳優オタみたいに。俳優オタって認知とかプレとか貢ぎとか花で競うけどまず会うまでに至れないからオタク同士でやばいことやって競争原理を働かせるっていう意味不明な世界だった。
「キチガイあらしっく」の絶頂期がちょうどわたしがいた頃で、オブクラさんとかなんであんなに有名なのかちょっとよくわかんなかったけど、あとの有名どころはもうわかんないなあ……どぅるるるる!みたいなのとか、超はやったよね。ゆき宮ちゃんとわたしの確執についていろいろ噂されていたようですが、弁明すると今も昔もゆき宮ちゃんとわたしの間に面識はありません。インターネットの人が勝手に祀り上げただけ。改名してたのはびっくりしたけど。
男装文化、顔真似文化、コスプレ文化。参戦服とか、もう完全に自己満足のためにみんなはしゃいで選んでたよね。コンサートはお祭りみたいですごく楽しかった。年に数回、全国各地から同じものを信仰している人たちが集まっていろんな衣装着て写真撮りまくるのってそれは宗教の現象だよ。
それでもみんなで楽しくやばいことやろー!って期間もそう長くはなくて、2013年の秋くらいに徐々に周辺に溝ができてきて、ヤラカシになる人とか出始めた。ここらへんからはもうわたしはじわじわヲタ卒してたからよくわかんないんだけど、みんな大人になるにつれて「楽しい」だけじゃファンができないことを徐々に認め始めて、その「楽しい」でもたない子たちがどんどん消えていくか、降りていくかしていった。
それがわたしのまわりで起きていた局地的な現象でした。
そういえば、迷走に迷走を重ねた謎番組「ひみつの嵐ちゃん!」も終わったときはなかなかショックだった……全国紙ででかい広告出して「社会科ナゾ解明TV」とかいうわけわからん鳴り物入りでスタートしたけど、いまひとつ企画が安定せず。マネキンファイブもどうして長続きしなかったのかわからない……すごい面白かったのに! 一時期はYouTubeを見るだけのクソ番組に成り下がり、その後VIP ROOM企画ではなかなかヲタからの評判がよかったんだけどメンバーが忙しくなりすぎて毎回フルメンバーをそろえられなくなって、VIPリムジンが週替わりでメンバー違うのとか今思うと異常だったし、あそこまでして冠番組を維持しなければならなかったのにはわたしたちの想像も至らないほどの大人の事情があったんだろうな、と思うけれど。
嵐シェアハウスの頃にはやっと、みんな「嵐ちゃんはこういう番組なんだろうな」「こういうテンションでだらだら続いてくのかな」という雰囲気になっていたので、終わると聞いたときには、ああ終わるんだ……という当たり前かのような空気と本当に終わるの?という疑心暗鬼な空気が共存していて、そのよくわかんない空気は最終回の日まで続き、本当に終わってしまったときはこれまでさんざん文句言ってたけど、結局みんな好きだった番組だから見てたわけで、TLが虚無ってたのは、確かに覚えてる。最後のVTR、めっちゃサイコーだった。
ただ、未だに根に持ってること言わせて!!!メンバーがメンバーにおもてなし企画!!!!!は!!!!!!なぜ櫻井相葉だけで終わってしまったの!?!?!?TBSはクソ!!!!!でもあの企画を放送してくれたTBSは神!!!!!どうしよう!!!!!!
言い訳するとね。
嵐担といわずジャニオタのあいだで流行ってるじゃん担降りブログって。いろんな人にあれ書いてって言われた。倉橋さんの二宮くんに対する気持ちの整理のつけ方をちゃんと残してって言われたけど、結局それは書きませんでした。書けなかった。
わたしの中で二宮くんとは何者だったのかが未だによくわかっていないし、気持ちの整理とかいうけど未だについてないんですよ気持ちの整理。だからね~嵐のこと考えると胸の中がすごくもやもやするし考えないようにしてるのもあるしこの記事を書くにあたって嵐のこと本当に久しぶりに考えたんです。リアルに二年ぶりくらいに。こんなにみっちり、嵐のこと考えたのはね。
いま呑気に俳優オタやってますが、それを批判する人もいっぱいいると思います。いや~だってあんなににのみやくんにのみやくん言ってたのに急にどろんしたらお前はにのみやくんを裏切ったの?ってなっても仕方ないじゃん。でもわたしの中でなにかがあって、にのみやくんのことは好きだけど、決別しよう、という気持ちになって決別してみたら、案外ちゃんと決別できた。ので結果として、降りてる。
それだけの話です。
嵐っていったい、二宮くんっていったい何者だったんだろう?
二宮くんを応援しているときのわたしは意外と冷静でした。いつ二宮くんをみても、執着する、というよりは好き好んでわたしは二宮くんをみたいときにふらっとみようという気持ちだった。それでもずっとわたしを引き寄せるものがあった。そこに論理的な、ロジックっぽいものが見出せなくて、ずっとずっと謎で、よくわからない気持ちのまま応援して、降りた。これが担降りから2年経ったわたしの結論です。よくわからなかった、ずっと好きだった人。つかめないまま終わってしまった。
簡単につかめなかったから長続きしたのかもしれません。
嵐には、文学性がありました。物語性があった。嵐ファンという居場所は、すごく良いところでした。でも嵐はすごくすごくメジャーになったので、コアなオタクに対する文学性を失った、というより自ら捨てた。
国立競技場がそういえば無くなったんだな、とこの前思いました。たまたま近くをタクシーで通ったら全然違う景色になっていてびっくりしたんだけれど……国立競技場といっしょに、00年代の嵐という文脈を追っかけたオタクたちはみんな死んでしまったのかもしれないなと思った。嵐から結局逃げるような形でオタクをやめたわたしですが、嵐は全然悪くないし、ときどき街中や、不意につけたテレビのCMで見るけれどやっぱりカリスマでスターだと思うし……ただ、そこに「ゆるっとした日常」「変わらないもの」を求めて勝手に自滅したのが、嵐から散逸していったおたくの子たちなのかな、と思います。
わたしはいまでも、わたしの基礎的な人格は二宮くんに形成してもらったと思っているくらいの二宮くん信者なので、いまの二宮くんがよくわからないことに対して不思議な気持ちです。
嵐担として過ごした日々は、めちゃくちゃ楽しかったよ。後悔してなかったし。
でも嵐に気付かせてもらったこととしては、趣味で繋がった友達っていうのはその趣味だけを共通点としてなんとかもっているから、その趣味がばらばらになってしまうと価値観の違う他人になってしまうということでした。だから人間関係についてドライになることも、皮肉ではあるけれど嵐に教わった。
It<一途>を久々に読み返したら、「うわぁやっぱこの人わたしの好きなタイプの人じゃん」ってなってすごく動揺した。
それでもわたしがあのユートピアに戻れることはもうないし、ハードルの低い「楽しい」に染まったおたくが嵐に戻ることは到底困難だ。
青い炎がね、本当に好きでね。
水槽に手をつく櫛森くん、エスカレーターのカット、海辺を走るロードレーサー、独白、ノートに描いたスケッチ、スーツの変装、握ってたバット、もうあの映画3年は観てないけどぜんぶ思い出せるんです。
最後にわたしが嵐関連の公式な場に足を運んだの、14年夏にTOKYO DOME CITY HALLでピカンチの続編が上映されてて、友達が観なよってチケットくれて行ってきたんですけど。二宮くんに対してすごく冷静に、落ち着いて見られるようになっていてびっくりした。子供10人くらいいたけど。笑。
わたしが大人になったのか……。
ちなみに嵐のワクワク学校って未だにやってるらしいじゃないですか。あれ知ってめっちゃびっくりした。震災後にBWツアーの東京ドーム代替として始まった企画だよね……?しかもなんかヘイセイジャンプまでついてきてるし……目的を見失ってないか?なんでだろう……リハ時間少なくてセット組まなくて特効使わなくても動員できるから楽だってことに事務所が気づいてしまったのかな……。
レポぐぐったら「アリーナで羊が放し飼いにされてた」って書いてあったし、ついてけねぇよやっぱ最近の嵐!! 一周まわってパンクだな!!!
二宮くんの冠番組、ずーっと続いててうれしいです。なにか書ける立場には一切ないんですけどね。昔好きだった人が冠番組ずーっとやってるからうれしいくらいは言わせて!
アカデミー賞をとったのは、今知りました。(久々にウィキった)このままもっと遠くへ遠くへ行ってください!教祖様!あなたはわたしの永遠のカリスマ!ありがとう。
あ、これが担降りブログってことでいいのかな。書くのに2年かかりました。
夢をありがとう。いつまでも健やかにお過ごしください。