「女子会」とか「○○女子」とかいう言葉をよく耳にします。
「婦人会」とか「○○女」という言葉よりは、耳にかわいく響きます。
でも、いい年した女が「女子」を自称するのはいかがなものか、という批判もよく耳にします。
「女」の同義語を調べてみると、「女性」「婦人」「レディ」「ウーマン」「婦女」「おなご」そして「女子」と、さまざまな語が出てきます。
「女子」は「少女」や「ガール」と入れ替え可能な気がしますが、「少女」や「ガール」と「婦人」や「婦女」が同義かというとどうも違うような気がします。
「女子」とは何なのか?
そんな日頃の疑問が解決できるのかできないのか、以前から気になっていた「女子」というタイトルのついた本2冊を続けて読んでみました。
【私たちは「女子」という墨を体に入れている。自ら彫った記憶はないけれど、気づいたら彫られていた「女子」の文字。見せる相手や場所を限定すれば、その刺青は自己を表現する大事なファクターになります。
しかし、TPOをわきまえずにそれをひけらかすと、たちまち周囲に不協和音を生む。
(ジェーン・スー『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』幻冬舎文庫)】
こちらの本の中では、「女子」という呼称を使うのはスピリッツ(精神)の問題なのだと言及されています。「女子」とは、「幼少から死ぬまで女の心に宿る嗜好性、指向性、志向性などのスピリッツ」なのだと。
でも、「女子」という「少女性」とか「かわいい女」とかのイメージに自分がそぐわないという思いもあるわけです。「ピンクと和解せよ。」という章は、「そうだ、そうなんだ!」と激しく相槌を打ちながら読みました。
【「かわいい女」や「キレイな女」じゃない自分が「女」であることの意味が見いだせなかった。かといって「男になりたい」わけでもないし、どうやって自分のキャラクターや、生きていく方向性を見つければいいのか、全然わからずに途方に暮れていました。
こちらの本は、著者の経験談の中に自分と重なる部分がいくつかあって、身につまされすぎて心がひりひりしました。
「女」にとって容姿が全てとは言いませんが、容姿の美醜が影響する比重はかなり大きいと思います。容姿に関わりのないところでこつこつと積み上げてきた自信が、「ブス!」という一言で一気に揺らいでしまうというか…。
昔、さっさとおばあちゃんになりたいと思っていたことを思い出しました。
(これからの時代、おばあちゃんになっても容姿の美醜からは逃れることはできなさそうな気もしますが。)
とはいえ、「美」と「醜」のどちらがよいかといえば「美」のほうがよいので、「女子」の精神を宿す者として、素材はいまいちながらもなるべく見てくれには気をつけたいとは思っています。
今度こそ、ダイエット成功させよう…。