前回の記事のいいわけ
4月に入ってから良いペースで更新できているし、下書きにもまだまだ書きたいことが溜まっているので、ここらでちょっと愚痴めいたことを書いてもすぐに流れるなあなどと思い、えいやと書いてしまった前回の記事。結局10日も晒してしまっていたので、今更ながら非常に恥ずかしくなってきました。
早く読書感想文書こう。「知的複眼思考法*1」の感想文書いて賢いワタシアピールしようと思っていたのに!
ここにきてトピシュさんのブログで晒s...言及していただいてしまいました。
topisyu.hatenablog.com
さてはアクセス数は大変なことになっていると思って見てみたところ、
まだ影響が出ていないどころか、そもそも書いた当日のアクセス数が飛び抜けていて焦りました。
これはきっとトピシュさんがTwitterで言及していからなのでしょう。恐ろしい恐ろしい
どうやらわたしは、読んでくださる方の存在を強く意識しているようです。
日記も家計簿もろくに続かない自分が細々細々とブログを続けられているのは、自己顕示欲を少々満たしながら自分のための記録を残せているからです。
でもこの自己顕示欲はやっかいですぐに肥大してきます。だから自分への牽制のために、あえて実在のわたしを知っている人には積極的にブログやツイッターのアカウントを晒しています。旦那さんもその友人さんも兄夫婦も会社のメンバーもみんなこのブログの存在を知っています。完全匿名だと、おばかなわたしは書きたいことについてそれが書いていいことかどうか判断できないからです。アカウントを知っている人がこの記事を読んでも構わないか?が大事な基準になっています。
そのおかげで基本的にはいい子ちゃんでいる方向になっていて、それは自分で読み返した時の満足にもなります。(そのかわりはてブコメはわたしの本性がチラチラ出てしまっている)
ところがこと実母となるとどうせネットを見ていない家族ということで甘えが出てしまい、ムカついたことを書き散らしてしまいました。頃合いを見て前回の記事はこっそり削除しようと思っていたのですが、こうして言及していただいた以上それもできなくなりました(笑)
自分のブログの方針
長くブログを続けられているid:ytoさんが、以前、ご自身のブログを書くにあたっての心がけを書かれていました。(突然のIDコール失礼しました。)
これだという過去記事を見つけられなかったのですが、「炎上を狙ったりせず、こつこつと自分の記録をつけていく」というような内容だったと思います。
これにわたしは非常に共感し、見習おうと思い、今に至ります。
探した限り近い記事はこれかも?
chalow.net
でももっと以前に読んだ気がするのです。
今まで記事にしていないと思うのですが、わたしは自分のブログでは、以下のことを話題にしないようにと心がけてきました。
- 政治、宗教
- ニュース
- 人の悪口
- 人のプライバシー
- 自分の病気や障害
でもゆるくやっているわたしのこと、心がけてはいるもののなかなかうまくいきません。
上の2つはかなり守れていると思いますが、3つ目は母の愚痴を書いている時点でちょっと崩れてきました。書いても許してくれるであろう人と思っての甘えだということは上に書いた通り。こういうところから崩れてくるのだなあと実感しています。
次の「プライバシー」はだいぶ微妙になってきています。一人暮らしの時なら簡単でしたが、家族ができると切り分けが難しい場合もあります。
旦那さんが病気療養中であることは旦那さんのプライバシーに他ならないのに、わたしはすでに書いてしまっています。さらに、食事作りで気をつけていることやそのささやかなフィードバック、民間療法の話題などを記事にしたいと、ぼんやりと思いはじめています。これを書くとどうしても病気のことにも触れてしまうので、やはりまだ書かないままでいようと思います。
最後の自分のことについてはもうこれはいいやと思っていくつか記事にしてしまいました。これを書かないでいようと思った理由は、ワタシカワイソウなブログにしたくなかったからなのですが、残念ながら?よほど狙わない限りそんな記事にはならないようです。
自己完結から発信の場へ(無理)
何年も読者の存在をあまり意識せずに続けてきたブログですが、ここ数年強く意識し始めました。最初のきっかけは、wattoさんからコンスタントに星をいただくようになってからです。その後2記事ほどホットエントリー入りしたこともあり、何人もの方に読者登録をしていただくようになりました。
自分のために自分の記録を残しつつ、ひと様に読んでいただけているというなんともいえない快感。だからといって特にサービスをこころがけるでもなく相変わらず書きたい時に書いていますし、これからもだらだらと続けたいと思っています。
というか、今日は特に、「役立つ情報の発信」とかわたしには無理なんだなあとよくわかりました。
先のトピシュさんの記事は「さいたま市祖父母手帳」の紹介と、世代間ギャップの対処法を寄稿した話ではありますが、わたしは2月上旬に、このパンフレットのことはすでに知っていたのです。子育てについて世代間ギャップがあることはこうして知られているのだから、わたしの不満は正当なのだという謎の後ろ盾を感じて、母にイライラしたりそれを記事にしたりしたのだと思います。
自分の経験を冷静に交えつつ件のパンフレットを紹介するような、情報発信的な記事にすれば良かったのか!
今日、トピ主さんの記事を見ながらなら思いました。
現実は発想として「わたし知ってる!だから母にイライラしたの!」から、実際の記事は「イライラ!」で終わりという体たらく。
これが、自己満足で終わる人と情報として発信できる人の違いなのでしょう。
イライラさせてしまうのはお互い様だった
唐突に先の記事の続きですが、旦那さん入院中に子を預ける先は、おかげさまで決まりそうです。母に頼んだところで1泊程度しかできないので、どうしても入院中継続して預かってもらえるところが必要なのです。結局母の好意は遠慮できたので、ひねくれた悩みを抱えることはなくなりました。
預ける先が決まりそうなので、お母さんが来なくても大丈夫と電話しました。「そんなよくわからないところに預けるのなんかやめなさい」と言われる想定を若干していたところ、すんなりと「良かったね、心配してたのよ」という答え。預け先の説明したり入院までの話をした後、母がこんなことを言いました。
- 母
- 「◯◯(旦那)さんは偉いね、イライラするようなこと言われても怒らずにいつも穏やかで」
- わたし
- 「うん。って、イライラするようなこと、わたし、言ってる?」(ドキッ、しかし母にだけは言われたくない)
- 母
- 「言っていると思うよ、だってわたしもお父さんに(=母が母の夫である父に)言ってると思うもん」
最後の母の一言は話を軟着陸させるためのうまい機転をきかせてくれましたが、母が言いたかったのは「あんたイライラさせること言ってるよ」というまさにわたしが母に対して思っていたこと(そして旦那さんにもしてるでしょうという指摘)だとわかりました。
トピシュさんの寄稿でもあったとおり、親しき中にも礼儀あり。感謝の気持ちを忘れずに。
耳が痛いです。
でも謝るのとか嫌です(笑)