写真広場
写真部のカメラマンが撮影した数々のカットから、お薦めのもう1枚を紹介します
トップ > 社会 > 紙面から > 4月の記事一覧 > 記事
【社会】「娘がやっと生まれたよう」 東京五輪エンブレム作者・野老朝雄さん二〇二〇年東京五輪・パラリンピックの新エンブレムをデザインした野老(ところ)朝雄さん(46)が共同通信のインタビューに応じ、作品に込めた思いや、自身の歩みを語った。 −決定を知った時は。 「やっぱり、うれしかった」 −江戸時代に広まったチェック柄の「市松模様」と伝統色の藍色で粋な日本らしさを描いた。 「わび、さびというか、カラフルさを捨てることで積極的にシンプルさを得ている。単色で十分に表現が成り立っている江戸小紋は素晴らしく、その現代版を作れればと。抽象度が高いので、歯車のようだとか人によってさまざまな形に見える。単調な四角いピースの集まりだが、動画も含めて応用例は無限にある。それが幾何学模様のいいところ」 −白紙撤回となった旧エンブレムの作者は批判を浴びた。応募することに恐怖心はなかったか。 「ありました。今も怖い。ただ怖かろうが、生むと決めた。僕のような無名の人間を、この作品で知ってくれる人は今までと全然違う数になる。ずっとおなかの中で育ててきた双子の娘が、やっと生まれたような気分」 −最終候補四点の公開後、世間の反応は。 「実は結構気にしていた。娘のことを地味だと言われると悲しいだろうという単純な感情。パパが守ってやれなくてごめんねというか。自分にも娘がいるので」 −東京造形大では建築を専攻した。
「父は建築、母はインテリア関係で共働きだったので、“門前の小僧”というか本棚の前に放っておかれて自然と建築を勉強していた。紋様に特化してデザインを始めたのは〇一年の9・11(米中枢同時テロ)が契機。つながりをテーマに、建築を学んだ自分がコンパスと三角定規を使ってできることは何か考えた。つながる紋様はライフワークとしてずっと続けていく」 −スポーツと接点は。 「もう二十年くらいやっていないが、小石川高(東京=現小石川中教校)ではスキー部だった。映像を見てアスリート、特にパラリンピックはすごいと思う。今度は生で見たい。(追加種目候補の)スケートボードやスポーツクライミングをどうやるのかも興味がある。これまでは漠然とした楽しみ、憧れで五輪を見ていたが、今はものすごく興味がある」 −四年後へ。 「これからの四年間で技術もどんどん進歩する。デジタルサイネージ(電子看板)も一六年リオ、一八年平昌(ピョンチャン)五輪より東京五輪は(近未来を描いたSF映画の)ブレードランナーみたいな世界に近づくのかなと思う。(エンブレムに)ポテンシャルがあるし、いろいろな表現ができると思う」 <野老朝雄さんの代表作> 何通りもの組み合わせを楽しめる幾何学模様のマグネットは、2006年に「新日本様式100選」に選ばれた。11年に仙台市「FRP Ftownビル」の外装デザインで日本建築仕上学会の学会賞を受賞。名古屋駅前の「大名古屋ビルヂング」の外装や、大阪市の複合高層ビル「ブリーゼタワー」の地下通路の床面のデザインも手掛けた。 PR情報
|