【広島】新井、入団当時は低評価…プロ18年目努力でつかんだ金字塔

2016年4月27日6時0分  スポーツ報知
  • 通算2000安打を達成した新井は、記念のレリーフを高々と掲げた
  • 頭を下げる新井(右)に向かって大歓声を上げる左翼スタンドの広島ファン

 ◆ヤクルト3―11広島(26日・神宮)

 広島・新井貴浩内野手(39)が、プロ野球通算47人目の通算2000安打を達成した。ヤクルト戦の3回無死二塁で、成瀬から適時二塁打を放った。7回には2001安打目もマーク。広島から阪神にFA移籍して自由契約となり、古巣に復帰してプロ18年目での大台達成となった。打線は2回の3者連続アーチを含む5本塁打、今季最多の17安打で11点を奪って祝福した。

 敵地とは思えないほど、赤く染まった神宮のスタンドが揺れた。3回無死二塁。新井は成瀬のスライダーを捉え、左翼線へ強烈なライナーを運んだ。2000安打は、適時二塁打で決めた。初打席から7966打席目。花束を受け取った二塁ベース上から、敵味方関係なく大歓声を送ってくれたスタンドへ、5度頭を下げた。「達成感も、安堵(あんど)感もないですよ。ただ勝ちゲームで達成させてもらったのがうれしい。たくさんのファンが喜んでいる姿がうれしかった」。ほんの少しだけ目を潤ませながら、喜びをかみしめた。

 入団時の評価は「打撃は中の下、守備は下の下」。「あのへたくそだった自分がここまで…。幸せな選手だと思います」。自らそう振り返るほど。ただ誰もが認める体の強さと、努力できる才能があった。駒大の先輩でもある大下ヘッドコーチ(当時)からの「空振りでも、倒れるくらい強く振れ」という指導のもと、とにかくバットを振った。アニキと尊敬する金本、前田智らストイックに練習に取り組む先輩たちに食らいつこうと、泥だらけでボールを追い続けた。

 05年に本塁打王に輝くなど、広島の顔になった。野球人生をカープで終えるつもりだったが、「優勝がしたい」と07年、悩みに悩んだ末に阪神へのFA移籍を決断。その翌年だ。絶対に忘れられない試合がある。4月1日、阪神移籍後、広島市民球場での初の広島戦だった。打席に入った新井に、大ブーイングが飛んだ。「死ね!」、「裏切り者」。耳を覆いたくなるような罵声に、初めて三塁側のベンチ上で観戦した両親、家族が涙した。

 元々が生粋のカープファン。「ファンの気持ちは分かる」。悔しさよりも、申し訳なさで胸が痛んだ。もう広島には戻れない―。そんな思いを強くした。14年、阪神での出場機会が激減。「勝負できる」新たな環境を求め、退団を決意した。「獲ってくれるなら、DHのあるパ・リーグ。オリックスじゃろうか。カープは絶対に獲ってくれんじゃろうな」。まさか、すぐに広島が手を上げてくれるとは思わなかった。8年ぶりに復帰してのマツダでの初打席、ブーイングは大歓声に変わっていた。

 「阪神なら記録は達成できなかった。普通に考えればそうでしょう」。7回1死一、二塁の第4打席でも中前へ2001本目を放って好機を広げ、追加点を演出。頑丈な体もさすがに満身創痍(そうい)だが、それでも持ち前の明るさで、10歳以上も年下の若手からいじられる。“偉大なムードメーカー”に残された仕事は一つだけだ。「明日に備えて準備したい。大きいことを言うとロクなことないんで」と苦笑いするが、描く未来は秋。勲章を胸に25年ぶりのリーグ頂点へ。新井はまだまだ安打を重ねていく。(角野 敬介)

 ◆新井 貴浩(あらい・たかひろ)1977年1月30日、広島県出身。39歳。広島工から駒大を経て98年ドラフト6位で広島入り。05年に初の本塁打王。06年の第1回WBC日本代表。07年オフにFA宣言して阪神入り。08年は北京五輪の日本代表。11年に打点王を獲得。14年オフ、阪神に自由契約を申し入れ、広島復帰。08年から労組プロ野球選手会会長も務めた。189センチ、96キロ、右投右打。年俸6000万円。

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