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2015年12月17日放送 19:30 - 19:55 NHK総合
にっぽん紀行
出演者

(オープニング)
オープニング

案内人を務める石橋蓮司は東京・四谷の荒木町を訪れ、ある居酒屋に今となっては珍しい職業の人が歌本を携えて毎日やってくると語った。その人は日本最年長の流しで、戦後を孤独に生きてきた御仁。

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荒木町(東京)

流しひとすじ 戦後70年目の師走~東京 四谷荒木町~
流しひとすじ 戦後70年目の師走 東京 四谷荒木町

明治時代から芸者が行き交う街として栄えた東京・荒木町ではビルの谷間に小料理屋、スナックなどが立ち並ぶ。そんな街をギターを手に街を歩くのが荒木新太郎さんで、全国で最年長の流しと言われている。飛び込みで店を訪れて客の要望に応じて歌を唄うのが仕事で、選曲は昭和40年代の懐かしき歌謡曲。荒木さんは毎夜、20軒近くの店を回り、リクエストをするのは昭和の知る中高年のサラリーマンなど。お心づけは最低1000円で、それ以上は客次第だという。荒木さんに同行するのは3年前に弟子入りした宮本千愛さんで、マネージャーも兼務している。久しぶりに披露する曲は宮本さんのサポートが必要で、荒木さんは年で歌詞を忘れてしまうと語る。

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宮本千愛

常連客の中には荒木さんの伴奏で歌いたいという客もいて、どんなに遅れても即興でリズムを合わせている。

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宮本千愛

流しひとすじ 戦後70年目の師走~東京 四谷荒木町~
流しの新ちゃんの足跡

荒木新太郎さんは荒木町で一人暮らしをしていて、結婚歴はない。昭和16年に生まれ、昼時には古い蓄音機がある喫茶店でコーヒーを飲むのが日課となっている。荒木さんは戦争で父を亡くし、終戦直後には東京で母とはぐれた。わずか4歳で孤児となり、スリをして捕まるなど生きるためには何でもしたという。15歳の時に出会った会社の社長から流しになることを勧められ、荒木さんはギターを習得し曲の譜面を必死に覚えた。当時、流しの人数は荒木さんの周囲で300人を超え、仕事を求めて全国をさすらった。だが昭和40年代にカラオケが勃興すると仕事が激減し、仲間は他の仕事に移っていった。だが荒木さんにとっては流しの仕事が全てだった。

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流し荒木町(東京)

荒木町では荒木さんの流しの仕事が認められていて、料理屋を営む奈美さん(平方尚子)とは12年来の親交がある。奈美さんは元芸者で、街が培ってきた芸者や流しの文化を残したいと考えている。終戦直後には2歳で両親と死別し、芸の世界で研鑽を積んできた。そのため荒木さんの境遇と似通った点があり、深いところで通じあっている。そんな荒木さんは毎晩、「荒木町の新太郎」という曲を歌っている。

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流し荒木町の新太郎荒木町(東京)

流しひとすじ 戦後70年目の師走~東京 四谷荒木町~
戦後70年目の師走 四谷荒木町

12月は荒木さんの誕生月だが、子供の頃から祝ってもらった思い出がなく月日が近づくにつれて憂鬱になるという。荒木さんは19歳の時に生き別れた母を探し出したが、ともに暮らす男性がいた。母から邪魔者扱いされたこともあったが、晩年に1人になった母を近くの施設に呼び寄せて最後まで看取ることができた。また荒木さんの歌は同世代の人から支持され、75歳の中島三雄さんはその一人。中島さんは中学卒業後に親と別れ、集団就職で上京した。仕事に忙殺されて帰省もままならず、母の死に目にあえなかった。荒木さんは中島さんと再会し、2人にとって思い入れ深い「おやこ愛」を披露した。

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流しひとすじ 戦後70年目の師走~東京 四谷荒木町~
四谷荒木町 12月 74回目の誕生日

師走となった東京・荒木町では普段見かけない客が増え、流しの仕事はやりにくくなるという。74歳の誕生日、荒木新太郎さんはいつものように奈美さんの店を訪れた。2人の男性客と談笑していると奈美さんはささやかな誕生日のお祝いとして鯛の刺身を出し、荒木さんはいつもの曲を披露。荒木さんは愛弟子と店を辞去すると、馴染みの女性から誕生日プレゼントをもらい笑顔を浮かべた。

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