【広島】新井入団時の監督・達川光男さん「思い出すのは…珍プレーばかり」
◆ヤクルト3―11広島(26日・神宮)
2000安打の金字塔を打ち立てた広島・新井貴浩内野手(39)を、1998年ドラフト6位で入団時に監督だった達川光男さん(60)=プロ野球評論家=がスポーツ報知に手記を寄せ、「あのときは、これほどの選手になると思わなかった」と謝った。
× × ×
新井に関わったほとんどの人が、信じられない思いでいると思う。新井よ、許してくれ。実はワシもそうじゃ。入団した当初を知っていれば、誰もがこれほどの選手になるとは思ってもいなかっただろう。
新人の年。無死満塁のピンチで、相手が投ゴロを打った。投―捕―一で併殺完成。だが、捕手からの送球を捕った一塁手は、何とボールを相手の一塁ベースコーチに投げた。3アウトと勘違いしたんよ。当然、そのコーチはよけた。ボールが転々とする間に2人の走者が生還した【※1】。
まだある。ホームランの打球を、捕球されたと勘違いして一塁に猛然と後戻り。打ったディアスに追い抜かれた【※2】。守ればアウトカウントを間違え、出塁すれば打球の行方を見失う。若い頃の新井で思い出すのは、そんな珍プレーばかり。それでも一生懸命やっていたから、怒るに怒れなかった。
現役時代、コーチから言われ続けた言葉がある。新井も聞いたことがあるだろう。「努力した人が成功するとは限らない。だが、成功した人は必ず努力している」。同期入団で高校出の東出輝裕(現広島打撃コーチ)が100回やればできたことを、新井は1000回やらないとできなかった。不器用なヤツだった。
しかし、新井はお立ち台でいつも言っていた「必死に食らいついていきました」という言葉通り、ボールに、指導者に、練習に、食らいついていった。お前ほど怒られながら練習をしていた選手は、後にも先にも見たことがない。だが、その努力で、来た球を打つだけだった選手が“読み”という最大の武器を手に入れた。まさに汗と泥で積み上げた2000本安打。新井よ、ほんまに偉かった。
もっと、もっと、書きたいことがあるが、このへんにしておく。これ以上、お前の若い頃のことを思い出していると、ワシも泣けてくるけえ。(1999~2000年広島監督=プロ野球評論家)
【※1】1999年9月21日中日戦(ナゴヤD)。新井のミスが響き、0―8で敗戦。
【※2】1999年9月14日ヤクルト戦(広島)6―7敗戦。ディアスの本塁打は取り消された(記録は安打)が、1死だったため新井の得点は認められた。