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【球界ここだけの話(524)】山本功児さん、落合氏も認めた打撃センス「ロッテで一緒にやろうよ」

【球界ここだけの話(524)】

山本功児さん、落合氏も認めた打撃センス「ロッテで一緒にやろうよ」

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サンスポ記者の球界ここだけの話
1978年、巨人時代の山本氏。勝負強い打撃で多くのファンに愛された

1978年、巨人時代の山本氏。勝負強い打撃で多くのファンに愛された【拡大】

 巨人、ロッテで活躍した山本功児さんが23日に64歳で亡くなり、横浜・江田で葬儀、告別式が営まれた。

 斎場には供花の名札が多く並んでいたが、一番目立つ右上にあったのが「中日ドラゴンズ 落合博満」。功児さんから、こんな話を聞いたことがある。

 「巨人のときに落合が『功児さん、ロッテで一緒にやろうよ。俺、一塁空けるから』と声をかけてきたんだよ」

 すると、そのオフ(1983年)本当にロッテへのトレードが実現。2年連続三冠王を獲得した落合さんが、一塁から三塁に回り、ミスターロッテの有藤道世さんが外野にコンバートされた。大物ふたりを動かしたのだから、いかに期待が大きかったかわかる。

 「落合とはいつも一緒にいて。キャンプでは昼過ぎには宿舎に戻ってビールを飲んで…。それじゃうまくならないって!」

 もっとも、これは話半分だと思う。ロッテに移籍した功児さんは落合さんと3、4番を組み、打率・301、10本塁打。翌85年は・293,10本塁打。落合さんの見込みどおりの活躍で、ロッテを2年連続で2位に押し上げたのだから、裏ではちゃんと練習していたはずだ。

 遺影に使用されたのは、最後のユニホームとなった巨人コーチ時代(2004、05年)のものだった。

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