挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
エデン 作者:川津 流一

第三章

12/17

8.黄金の獅子

 俺たちはその後も和やかに歓談を続けていた。
 アリスの結界魔術のおかげか、モンスターの襲撃も無いため久しぶりに気を抜いて雑談に花を咲かせる。
 しかし、そんな束の間の平穏は突如破られた。

 グォォォォ……ォォォ……。

 森中に響くような低い咆哮が聞こえてくる。一拍を置いて木々から鳥たちが飛び立った。無数の枝が揺れ、葉が擦れて森全体が不気味に唸っているようだ。
 声の出所を察するに、距離はかなり遠いと思われる。だが、ざわつく周囲の森の様子に自然と俺の警戒心は高鳴った。
 今まで雑談を重ねていたミストとアリスへと視線を向ければ、二人とも厳しい表情を浮かべている。
 恐らく危険なモンスターが出現したのだと思うが、俺にはこのエリアの情報がまるで無いので詳細がわからない。

「まさか、もう!? ……何故こんなに早く……」

 ミストが森の奥を見つめながら、小声で何かを呟いているのが聞こえた。このエリアの経験者らしい彼ならば、先ほどの声についても知っているかもしれない。

「あの声が何なのか知っているのですか?」

 俺の声に反応して、ミストがこちらへと向く。

「ああ、師範代さんはここは初めてでしたね。あれは恐らく『キングレオ』の咆哮でしょう」

「キングレオ?」

「はい。このエリアに今の時期だけ出現する隠れボスのようなモンスターです」

「なっ!? ボスモンスター!?」

 突然告げられた情報に、俺は思わず声をあげていた。
 そんな俺の様子を見て深く頷きながらも、ミストの説明は続く。

「厄介なことに、あいつは通常のボスモンスターのような行動制限を持ちません。このエリアにランダムに出現し、その上エリア内を自由に動き回るのです」

「そんな……」

 ここは視界も悪い森の中だ。そこをボス級のモンスターが彷徨いている。いつそいつと出くわすかわからないわけだ。
 準備もなく、いきなりボス戦は厳しい。特に、他のモンスターとの戦闘中に割り込まれて来ると目も当てられない。これから強いられるプレッシャーは相当なものだろう。
 美味しい狩場だと思っていたが、こんな落とし穴があるとは……美味い話には裏がある、というわけか。
 俺は思わず唇を噛む。
 一応、数はともかくここに来た目的である肉の入手には成功しているので、最悪これ以上モンスターと戦う必要もないのだ。無理はせずにここらで撤退するべきかもしれない。

「しかし、今回は随分と出現タイミングが早い……キングレオはゴールデンボアの肉が好物らしく、私たちプレイヤーにゴールデンボアが狩られ過ぎると怒って現れるという話なのです。おそらくはゴールデンボアを一定数以上狩ることが出現条件になるモンスターなのでしょう。これまでの経験から考えると、あいつが出てくるまでにはまだもう少し猶予があったと思っていたのですが……」

 俺が今後の展開を考えている横で、ミストは怪訝そうに首を捻っていた。アリスもまた不思議そうに首を傾げている。
 『ゴールデンボアの肉』か……。
 俺はふと思い立って、腰のポーチからカードの束を抜き出す。

「う〜ん、とりあえずこれだけあればブラートも満足するかな?」

 【気配察知】で見つけたら手当たり次第に倒していて、数はろくに数えてなかったのだが意外とたくさん倒していたようだ。手元の束はかなり分厚い。
 俺がダラスで待つ親友を思い浮かべながらカードの束を眺めていると、強い視線を感じた。ミストとアリスの二人が、驚いたように俺の手元を見ている。

「し、師範代さん……そのアイテムカードの束はもしかして、全て『ゴールデンボアの肉』ですか? まさか、お一人でそれを?」

 恐る恐るといった感じで、ミストが俺に尋ねてきた。そんな彼の様子に俺は若干戸惑う。

「え、ええ。そうですけど……それが何か?」

「なんと!? 本当にお一人でそれだけの数を!?」

 なにやら盛大に驚いているようだ。アリスも目を見開いて硬直しているように見える。
 しかし、そんなに驚くようなことなのだろうか。
 【気配察知】で探りながら歩けばいくらでもゴールデンボアに出会えるのだ。手当たり次第に乱獲すれば、すぐにこれくらいはアイテムを貯められると思うのだが。
 俺がそんな疑問を口にすると、ミストは苦笑しながら大きく首を横に振った。

「いやいや、普通はそんなことできません。ゴールデンボアを仕留めるのはパーティでも中々苦労するのですよ。防御力が高い上に、あの突進は止めるのが難しいですからね」

「麻痺毒を使えば?」

「毒を使う手もありますが、あれを動けなくするようなものは相当高価なものを使わなければなりませんから採算が取れません」

 そういえば俺が使った毒は、最近の懐具合の暖かさに調子に乗ってかなり高価なものを仕入れたんだった。
 まあ、別に俺は換金目的で狙ってたわけではないから良いのだけど。

「こちらがやられるような敵ではありませんが、短時間で次々と倒すというのは厳しいです。更にあのモンスターはリンクしますから、慎重に隔離して戦う必要もあります」

 理由を聞いて、俺は唸った。
 確かにあの突進攻撃は脅威だ。俺でも受け止めた時はかなりの衝撃を感じた。それに硬質な毛皮による防御力も侮れない。
 それにリンクまでするとは……サクッと倒してきたので、気付いていなかった。上手く回避できていて良かったと思う。
 しかし、美味しいモンスターだと思っていたのだが、意外と強敵だったのか……?
 俺は先刻までのゴールデンボアとの戦闘を思い出しながら首を捻った。

「しかし、それで納得できました。今日はあまり他のプレイヤーも見かけなかったので、それほどゴールデンボアは狩られないと思っていたのですが、師範代さんのおかげで一気に上限までいってしまったようですね」

「なんだか申し訳ない」

「いえいえ、師範代さんが謝るだなんてとんでもない。別に狩る数を調整しなきゃいけないだなんてルールはありませんからね。それに、もう数日の間にはキングレオは出現していたはずです。少し予定が早まっただけですよ」

 恐縮する俺に対し、ミストは優しく微笑む。
 確かに彼の言う通り、気にする必要はないはずだ。しかし、暗黙のルールを知らずに破ってしまったというような気まずい気持ちが湧いていた。
 それでも、彼のおかげでその気持ちも薄らぐ。彼の持つ雰囲気が影響していると思うが、これも年の功というやつだろうか。
 俺がそんなことを考えている間にミストは慌ただしく片づけを始めた。アリスもそれを手伝う。

「店仕舞いですか?」

「ええ。さすがにボス級のモンスターを相手にするのは無謀ですからね。見つからないうちに帰ります」

 ボスモンスター相手では結界魔術でモンスター避けをしても効果はない。護衛が魔術士のアリス一人では、キングレオとやらと遭遇すると全滅は必至かもしれない。撤退は当然だろう。
 俺も目的は達しているので、一緒に撤退するのが良さそうだ。

「良ければご一緒しても?」

「良いのですか? ゴールデンボアをそれだけ狩れる師範代さんと一緒なら心強い……前衛が私一人では中々辛いので、助かります」

 俺が同行を願い出ると、ミストは嬉しそうに快諾してくれた。
 しかし、彼が前衛? アリスが魔術士で後衛になるので、必然的に相方であるミストが前衛となるのかもしれないが、彼は調理士で生産系プレイヤーだ。
 またもや俺が首を捻っていると、片付けはすっかり終わってしまったようだった。
 ミストはカード化した数々の設備を懐にしまいこむ。アリスも杖を抱えており、準備は万端のようだ。
 俺も万一に備えて、耐久度に心配のある『迅剣テュルウィンド』をカード化してポーチに仕舞い込む。
 代替品として取り出したのは、先日手に入れた長剣『緋影剣』。赤く透き通るような剣身が特徴的な直剣だ。ユニークアイテムでこそないが、アイテムランクは歴としたAランクで武器の格としては申し分ない。
 そして、一応保険として『龍剣ヴァリトール』をすぐに取り出せるように準備はしておく。

「さあ、急ぎま……」

 ミストがそう言い掛けた時だった。


「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 遠くから突然の悲鳴が周囲に木霊する。
 近くで発せられたものではないとわかっているものの、俺たちはギョッとなってお互いの顔を見合わせた。
 そしてその直後、俺は【気配察知】の感知範囲ぎりぎりに一つのモンスター反応が現れたのに気付く。
 その反応は、一拍を置いて猛烈な速度で移動を開始した。その向かう先は、【気配察知】による簡易レーダーの中心部……つまり俺たちだ。
 一瞬、ゴールデンボアかとも思ったが、あいつらはこんな遠距離からプレイヤーを補足して攻撃を仕掛けてくるような敵ではない。
 そうすると、この状況で考えられる答えは一つだろう。
 このモンスターの移動速度を見る限り、今から逃げても逃げ切ることはできそうにない。下手に逃げて背中を強襲されるよりは真正面から戦った方がマシだ。
 それに、俺もこれまで幾度となくダンジョンをクリアしてきたのだ。今回は敵の情報が不足しているとはいえ、俺に勝ち目がないわけではない。
 最悪の事態を想定しつつも、己を奮い立たせた俺は、自然と剣を抜き放ち敵が迫り来る方角へと向く。俺と同じく逃げ切れないと判断したのか、ミストとアリスも静かに身構えた。ここで俺を見捨てて逃げない辺り、二人の人柄が見て取れるが、さすがに表情は強張っている。
 二人の様子をチラリと窺うと、アリスは例の大きな杖を構えており、ミストはまるで小太刀のような長い包丁二本を両手それぞれに持って構えていた。
 調理士の彼らしい武器ではあるが、はたしてあれで戦えるのだろうか。
 俺がそんな疑問を抱いたのも束の間、やがてガサガサと茂みをかき分ける音が近付いてくる。
 俺は即座に余計な思考をかき消し、目の前の状況に集中した。

「……来ます!」

 俺の放つ警告の声で、その場に緊張が走る。
 そして、俺たちが警戒する茂みから一つの大きな影が飛び出してきた。

 ドンッと地響きをたてて、四つ脚で地面に降り立ったのは見上げるような巨体である。
 最初に目に入ったのは、輝くような黄金色。全身を彩る金糸が、あたかも黄金で作られた彫像のようにそれを見せた。
 しかし、彫像などでは決して無い。爛々と輝く大きな瞳、そして口元から伸びる鋭い牙と垂れる涎。呼吸に合わせて大きく膨らむ身体は、満ち溢れる生命力を感じさせる。
 俺たちの眼前でゆっくりと上体を起こし、こちらを睥睨したのは輝く身体を持つ巨大な獅子のようなモンスターだった。

「フシュルルルルル……」

 不気味な吐息を響かせて、そいつはニヤリと笑った。新たな獲物を目にして歓喜している、といったところだろう。
 それは次の行動でも示された。
 奴は無造作に顎に力を入れ、口に咥えていたある物を噛み千切ったのだ。

「た、助け……ゴブァ……」

 くぐもった断末魔の悲鳴が聞こえてくる。そして、ドサリと地面に落ちるバラバラの身体。
 キングレオは血にまみれた口周りをぺろりと一舐めし、付着した欠片を嚥下する。

「……ぅ」

 凄惨な光景に、アリスの微かな呻き声が聞こえた。俺とて化け物にプレイヤーが食われる場面など見たくはない。しかし、これに耐えきれず目を逸らせば、奴はすぐにでも襲いかかってくるだろう。
 咥えられていたのは一人のプレイヤーだった。
 おそらくは先ほどの悲鳴の主なのだろう。運悪くこいつと遭遇し、やられてしまったというところか。
 他にパーティメンバーがいたのかどうか気になるところだが、それを確認している暇はない。
 プレイヤーを悠々と咥え、噛み千切る巨体である。あの凶悪な顎だけでなく、全身が強力なパワーを宿しているに違いなかった。
 それにゴールデンボアのような黄金の毛皮、あれはもしかして……。

「グオオオオオォォォォォ!!」

 突如、上体を反らしたキングレオが途轍もない咆哮をあげた。ビリビリと大気が震え、衝撃が俺たちを突き抜ける。
 だが、奴の咆哮はそれで終わらなかった。
 ズンと重い振動が足下を走る。同時に俺の視界には、周囲の地面を埋め尽くす赤い輝きが現れた。スキル【見切り】によって感知された敵からの攻撃予測だ。
 思わず一瞬注意を下へと向けると、地面には無数のひび割れが生まれている。

「なっ!?」

 俺の背筋に悪寒が走るのと同時に、グラリと地面が揺れた。咄嗟に飛び退こうとするが、遅かった。
 地面が突然崩壊し、足がズブリと埋まる。慌てて移動しようとするが、足が取られて上手くいかない。

「くそっ」

 そんな俺の無様な様子を満足そうに眺めたキングレオは、攻撃を開始した。
 緩んだ地面など意に介さず、地を蹴って巨体が加速する。しなやかな筋肉が躍動し、黄金の獅子は一瞬でトップスピードへと到達した。
 ヌラリと光る口腔を剥き出しにして、死の顎が迫る。

「アリス」

「……うん」

 傍らに立つ二人組の声が聞こえたのは、その時だった。
 見れば、足を埋もれさせながらもミストは落ち着いており、アリスの足下にはいつの間に描いたのか魔術の紋章が輝いている。
 そして、アリスが杖の石突でトンと軽く紋章を小突いた。
 途端に紋章が強く発光し、瞬く間に周囲へと広がる。紋章の光が通り抜けた後には、崩壊する前の正常な地面が現れた。
 俺たちの足下も元に戻り、しっかりとした足場を感じられる。

「おおぉぉ!」

 地形の回復を待って、ミストが吼えた。と、同時に前方へと駆け出す。
 アリスのおかげで足下はどうにかなったが、前方には依然キングレオが迫ってきているのだ。
 高速で襲いかかる巨体に対して、立ち向かうミストの姿はあまりに矮小に見えた。

「ミストさん!?」

 無惨な結果を想像し、俺は思わず声をあげる。
 しかし俺の予想を裏切り、彼は想像以上に軽やかに舞った。
 キングレオから繰り出される爪撃を紙一重で掻い潜り、黄金の巨体の表面を滑るようにすれ違う。
 その途中、ミストが両手に持つ刃は幾度か鋭い銀光を走らせた。
 彼が通り過ぎた後に、返り血らしきものがパッと宙を舞う。キングレオは突然の苦痛に喘ぎ、突進の足を止めた。
 そこへ今度は、水の弾丸が飛沫を散らしながら撃ち込まれる。アリスの魔術によるものだった。
 キングレオを指した杖の先端に輝く小さな紋章が浮いており、そこから次々と弾丸が放たれている。
 しかし敵もさる者、数発の弾丸が黄金の肉体を穿つもまるで問題ないように残りの弾丸を回避し、後方へと飛び退く。
 その頃には再びミストが俺たちの傍らへと戻っていた。
 キングレオは、こちらが一筋縄ではいかない相手だと認識したようで、睨むように警戒している。

「良い当たりだと思ったのですが、さすがに堅い……思ったより刃が通りませんでした。あの毛皮、ゴールデンボアのそれよりも強固な防具です。攻撃するときは、気をつけてください」

 キングレオへの注意を逸らさず、ミストが俺へと忠告する。

「わかりました。それにしても素晴らしい動きですね。とても生産系には見えません」

「はは。こんな場所まで来るには、それなりに戦えないといけませんからね」

 微笑を浮かべる彼を横目に、俺はふと以前耳にしたある噂を思い出していた。
 曰く、華麗な包丁捌きで調理はおろか戦闘すらこなし、ダンジョンの最奥で極上の料理を提供する戦闘系調理術の使い手。
 本当に実在していたとは思わなかった。

「まさか、噂になっていた戦闘系調理術の使い手って……」

「ああ、いつの間にかそんな話が出回っているみたいですね。あまりに誇張されていて、私としては恥ずかしい限りなのですが」

「おぉ……」

 噂のプレイヤーに会えたことで、今の状況も忘れ俺はちょっとした感動を受ける。そこへ、突如俺とミストの身体を淡い輝きが包んだ。

「無駄話は後……あのモンスターは、【地】属性の特殊攻撃を使う。一応こちらも【地】属性を付与した。これでダメージは軽減できるはず」

 淡々とアリスが説明をしてくれる。
 先ほどのキングレオの攻撃は、【地】属性の特殊攻撃だったようだ。

「特殊攻撃の他のバリエーションは?」

「確認されているのは【地】属性のみ。先ほどの地形変化攻撃の他に、岩石の杭を撃ちだして攻撃するパターンや、プレイヤーの足下に岩石の槍を生成して刺突を行うパターンもある。しかし、元々このモンスターの出現条件は特殊で討伐実績も少ない。なので検証は十分だとは言えず、未知の攻撃の可能性にも警戒は必要」

「わかった。ありがとう」

 俺の質問に対し、打てば響くように回答が返ってくる。
 俺とは違ってしっかり下調べは済んでいるようだ。

「私は砲台となる。師範代はミストと共にモンスターに接近して注意を引き、時間とチャンスを作って欲しい」

 アリスにそう告げられ、俺はチラリとミストを見る。彼は自信満々で頷いてくれた。と、そこで彼は驚いたように急に目を丸くして俺を見る。彼の様子に、俺も今更ながら自分の状態に気付いた。
 そういえば戦闘状態に入ってしまったので【竜眼】が発現しているはずだ。彼らの人柄から考えて、しつこく問い詰めてきたり、【竜眼】のことを好き勝手に吹聴するようなプレイヤーではないとは思う。それでも、ある程度簡単な説明は必要かもしれない。
 しかし、今はそんなことをしている暇はない。今の状況を切り抜けてからするとして、ここはあえて無視することにする。
 それにしても、アリスが示した情報と分析力、そして作戦。メインは生産系であるミストと違って、彼女が戦闘面のリーダーであるらしい。
 彼女の作戦内容は元より、俺は近付かないと無力な前衛プレイヤーだ。どっちにしろやることは変わらない。

「了解!」

 俺の返答に、ミストとアリスも覚悟を決めた顔で頷いた。

「グルルル……」

 キングレオの唸り声が聞こえる。奴もそろそろ痺れを切らせたようだ。
 こちらも腹は決まっている。

「師範代さん、行きますよ!」

「おう!」

「グオオォォ!!」

 咆哮をあげるキングレオに向かって、俺とミストはそれぞれの刃を構えて疾走した。


 俺の視界に、力強く輝く赤い軌跡が表示される。
 キングレオの逞しい前脚が振りかぶられていた。咄嗟に前方へと踏み込み、迎撃体勢を取る。
 横薙ぎに振るわれる爪撃。【思考加速】による緩慢な世界で、鋭く巨大な爪の先端が俺を切り裂くべく迫ってきた。まるで死神の鎌のようだ。
 俺は下段から『緋影剣』を閃かせ、キングレオの手首を狙う。あわよくば切り飛ばせないかと思ったが、そこはさすがボス級モンスター、刃が接触した腕からは硬質な感触が跳ね返ってきた。
 ミストからの警告もあったことで予測していた俺は、そのまま力任せに剣を跳ね上げて敵の攻撃を逸らす。
 寒気のするような風切音を残し、俺の頭上をキングレオの腕が通過した。

 ――思った以上にこいつの防御は堅い。これほど刃が通らないとは思わなかった。感覚的には、かつて戦ったボスモンスター、レッドホーンと同程度か。

 追撃のチャンスを伺いながら、俺は思考する。

 ――傷つけられないわけではないが、真正面から奴の肉体に刃を通すには少し気合いを入れねばならない。
 ――しかし、こいつはレッドホーンとは違って恐ろしく俊敏だ。素直に俺の力を込めた斬撃を受けてくれるとは思えない。

 爪撃を受け流した直後、目の前に晒された胴体へと上段から切り落としを放とうと力を込めた。しかし、俺の視界に新たな攻撃軌道が表示される。
 いち早く俺の攻撃動作に反応したキングレオが、牙を剥いて噛みつこうとしていたのだ。
 このまま相打ちは分が悪い。
 俺は即座に攻撃を断念し、目標をキングレオの口腔へと変更した。俺を噛み千切らんとする長い牙を迎撃する。
 『緋影剣』の赤い剣身と、キングレオの鋭い牙がガキリと火花を散らせて噛み合った。
 ギリギリと剣が軋む音をたてながら、俺と黄金の獅子が吐息のかかる距離で睨み合う。
 俺の剣は奴の牙に拘束されていた。このままでは、奴が再び放つ爪撃で大きなダメージを負うだろう。
 しかし俺の【心眼】視界では、そうはさせじと動く頼もしい仲間の姿が映っていた。
 俺の前で足を止めるキングレオの死角から、白い人影が躍り出る。
 恐ろしく軽やかな歩法で進んだ彼は、キングレオの無防備な背中に向かって刃を振るった。舞い踊るように剣閃が煌めく。
 自身の刃が深手を与えるには不足していると知っているためだろうか。ミストの握る長包丁は、キングレオが纏う毛皮の薄い箇所を抉るように刃を走らせ、肉をこそぎ落としていく。
 戦場とはいえ、その姿は調理を行う調理士のようだ。

「グギィァァ!?」

 突然の激痛に、たまらず黄金の獅子は状態を反らして悲鳴をあげた。おかげで俺の剣の拘束も解かれる。
 今度こそ、無防備に晒す獅子の胴体へと俺は斬撃を放った。
 力を込めて振り下ろされた『緋影剣』が、黄金の毛皮を割って胴体を抉る。
 同時に、後方より飛来した水の巨大な塊がキングレオの顔面を襲った。
 まるで砲弾のようなそれは、ズドンッととても水だとは思えないような衝撃音を響かせて着弾する。

「――――――ッ!?」

 声無き悲鳴をあげたキングレオが着弾の勢いで吹き飛んだ。
 俺は無理に追わず、剣を構えて様子を見る。【心眼】で見れば、アリスは再び攻撃魔術の準備のために紋章を描き始めている。
 倒れていたキングレオが身を起こす。
 先程の攻撃は、かなり良い手応えがあったと思ったのだが、まだまだ致命傷には遠いようだ。
 低い唸り声をあげながら、獅子の瞳が俺たちを睨みつける。
 やがて、その瞳が紋章を描くアリスへと向く。その瞬間、キングレオは猛烈な勢いで駆け出した。
 一瞬で巨体をトップスピードに乗せる凄まじい加速力。
 先に非力で邪魔な魔術士を片付けようという考えだろうか。しかし、その進行方向に俺が割り込む。
 黄金の獅子は俺という障害物を見ても、一向に速度を緩めない。そのまま弾き飛ばすつもりなのだろう。
 力比べというわけだ。俺は深く腰を落とし、剣を構えながら全身に力を込めてその時に備える。

 そして、激突。

 弾丸の如き勢いで突き進むキングレオを受け止める。ガツンッと凄まじい衝撃が俺の身体を突き抜け、思わず息が詰まった。勢いを受け止めた俺の足下が、爆発するように捲れ上がる。
 だが、耐えた。
 膨張する俺の筋肉に押されて、ミシミシと『ブレイブシリーズ』の蒼い装甲が軋みをあげる。
 前方に構えた『緋影剣』が黄金の身体に食い込んでいるが、奴はまるで気にしてないようだ。憎悪の炎を瞳にたぎらせて、前へ前へともがいている。
 しかし俺に阻まれ、それは適わない。

「ふんっ!」

 そして、掛け声と共に俺はさらに一歩前へと踏み出した。同時に、渾身の力をもってキングレオを弾き飛ばす。
 俺の膂力に負けた巨体が、仰け反って後退した。奴の身体に付けられた傷から、返り血が舞う。
 そんな無防備状態を後方のアリスは見逃さなかった。
 再び水の砲弾が発射され、キングレオの胴体を直撃する。

「ギャフ!?」

 無様な悲鳴を残し、今度は大きくキングレオが吹き飛んだ。
 それを目にして、俺は一息つくと共に体勢を立て直す。

「いやはや、あれを真正面から受け止めるとは……素晴らしいパワーですね」

 ミストは今の攻防の間に俺の傍らに戻ってきていた。
 未だ倒れ伏すキングレオを見ながら、感嘆の声をもらしている。

「ちょっと筋力ステータスには自信がありまして」

「これはもっと自慢できますよ……こんな芸当ができるプレイヤーなんて、現時点でもはたして何人いることやら」

 そんな軽口を叩いている間に、キングレオが起き上がった。
 最初に比べ、かなり傷付きはしたものの、その瞳からは戦意は失われていない。
 むしろますます俺たちに対する憎悪を燃え上がらせているようだ。

「しかし、これなら何とかなりそうですね」

「ええ。このまま深追いせずに、手堅く削っていきましょう。我々三人だけでは、誰かが倒れると一気に壊滅に追い込まれてしまいますし」

「了解です」

 頷き合った俺たちは、剣を構えて仕切り直す。


 それからは最初の攻防の繰り返しだった。
 俺が受け止め、ミストが削り、アリスが魔術を叩き込む。
 キングレオも物理攻撃だけでなく、【地】属性を伴う特殊攻撃を繰り出してくるも、事前情報とアリスの援護、それに俺の身体を張った防御のおかげで誰も大きなダメージを負うことはなかった。
 お互いがしっかりと役割分担をこなせていたことで、危なげなくキングレオにダメージを蓄積していく。
 やがて黄金の獅子の見事な毛並みは、傷と流血でボロボロになり、動きにも精彩を欠くようになっていた。

 ――そろそろか。

 戦闘の終結を予期して、俺は思わず剣を強く握る。
 さすがに三人しかいないこともあって、一人にかかる負担も大きく、ミストとアリスには疲労の色も見えていた。
 こちらとしても、そろそろ仕留めねば今のチームワークが崩れるかもしれない。
 俺がそんなことを考えていると、キングレオが動いた。
 ボロボロの肉体を鞭打ち、走り出す。向かう先は、またもやアリスだ。
 突進を止めるべく俺が動く。これまで何度も繰り返したパターンだ。
 そのパターンに知らずうちに慣らされていたのだろう。

 俺たちは、キングレオの突然の動きの変化に反応できなかった。

「グオオオォォォ!!」

 走り出したキングレオが、突然凄まじい咆哮をあげる。
 これまでと違う行動パターンに、俺は思わず足を止めそうになった。
 そんな俺の周囲に攻撃を予知する赤い輝きが現れる。

「なっ!?」

 俺が驚きの声をあげる一瞬の間に、俺を中心として四方八方から分厚い岩石の壁が飛び出し、花が閉じるように俺を包み込む。
 迎撃に向かう途中だったせいもあって、回避する間もなかった。
 気付けば閉じこめられた俺は、完全に密閉されて真っ暗な視界の中で脱出しようと足掻く。
 壁を破壊してやろうと、剣や拳を振るうも効果は薄い。僅かに表面を削れるだけだ。
 アリスによる属性付与を受けてから、既にかなりの時間が経過している。もう効果が切れかかっているのかもしれない。
 しかし、ここで俺が戦線離脱するのは非常にまずい。

 【心眼】で外の様子を見ると、俺の行動不能状態に慌ててミストがキングレオに立ち向かっていた。
 しかし、彼の軽い攻撃など意に介さず、キングレオは真っ直ぐにアリスへと突進する。敵も満身創痍で、なりふり構っていられないようだ。
 アリスは俺を救うために新たな紋章を描き始めていたが、敵の接近を察知して魔術行使を断念する。
 なんとかキングレオの突進を回避するも、彼女はあまり動くのが得意ではないようでなんとも危なっかしい。
 これでは、そう何度も回避を行うのは難しいだろう。
 ミストが懸命に攻撃を重ね、キングレオの注意を引こうとするが効果が薄い。時折五月蠅げにミストへ攻撃を振るいながらも、執拗にアリスへの攻撃を諦めようとしない。
 これまでの戦闘で、アリスが最も大きなダメージを敵に与えている。おかげでキングレオは、彼女を一番の脅威と判断しているようだ。
 彼女は魔術を使うタイミングを得られず、必死になって逃げ回っている。
 ミストも前衛としての動きは申し分なく、通常のモンスター相手では彼一人でも十分だっただろう。しかし、今回のようなボスモンスターの突進を止めるには役不足だった。
 このままでは、間もなくアリスはやられる。そして、魔術士の援護のないミスト一人ではキングレオの対処は厳しい。
 いや、彼ならばその前にアリスを庇って倒れることだろう。

 俺の脳裏に、パーティ壊滅の文字が過ぎる。

 ――この状況を覆すには、あれを使うしかない。

 逡巡は一瞬だった。
 臨時とはいえ、仲間を犠牲にしてまで秘密を守ろうとは思わない。

 俺は『緋影剣』をカード化してポーチに仕舞い込む。そして、代わりに一枚のアイテムカードを抜き出した。
 仮初めの牢獄の暗闇の中で、具現化の輝きが溢れる。
 現れたのは、巨龍の名を冠する漆黒の魔剣。
 柄を握ると、待ちくたびれたとでも言うかのようにドクリと脈動を感じた。
 俺の意志を汲み取って、剣身に淡い輝きが灯る。
 そして、俺は動き出した。
cont_access.php?citi_cont_id=742020085&s
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ