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LIFE IS HAPPY!!!

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皆はちゃんとやってるのに、自分は何してるんだろう

と思うことがよくある。同年代の人たちが働いて仕事をこなし、恋愛や結婚をして、家族を持っていく一方で、自分は一人で毎日家に引きこもっている。こんなこと考えても何の得にもならないし、只々憂鬱になるだけなのに。他人が色々悩みながらも様々な問題に立ち向かっていく姿を見て、凄いと尊敬すると同時に、それらのあらゆる問題からとにかく逃げようとしている自分の姿勢にも気づいてしまって嫌気がさす。何かの裏にはそういう生みの苦労があるのだろうけど、それらを想像する度に、自分の今の状況と苦労や苦しみに対峙できる人たちを比較してしまって嫌になる。何でこんなことを考えてしまうのだろう。

レールに乗れていないから

大学を出るくらいの年齢になれば働きもするし、恋人の一人や二人も作る。30近くなれば結婚や出産も視野に入る。そんな感じのよくある人生設計というか理想みたいなのが、頭のなかに刷り込まれている。今の自分はそのレールから思いっきり脱線して車両基地に突っ込んで自爆してる、みたいな感じだ。そういう理想的なものから一番遠いところにいるような気がする。ただ、結婚したいとか家族がほしい願望というのはあまりない。少なくとも意識している中では。無意識ではそういう理想があるのかもしれない。働きたいという願望もあるといえばあるけど、無いといえば無い。働きたいのはお金が欲しいからだ。やりがいとか何とかとか、そういうものが欲しかったりするわけでもない。じゃあ、ベーシックインカムみたいな、月々不自由なく不労所得が入ってくると仮定したら、そんな理想と今の自分のギャップを考えることは無くなるのだろうかと思うと、そうでもない。まだ、何か足りないような気がする。

勝ち負けでしか物事を見れないから

勝ちとか負けなら、何事もシンプルに見える。勝ってるか負けてるかどっちかしかない。人生に勝ち負けなんてないけど、でも自然と何処かでその勝ち負けというかスコアを計算しているような感じがある。あの人は良い企業で働いてるので10ポイントプラス、あの人は超美人とかイケメンな恋人がいるから30ポイントプラス、アイツは引きこもりをしてる無職だから100ポイントマイナス、とかそういう今まで生きてきた中で自然と作り上げられた自分の中の価値観にもとづいて適当にポイント換算してそれを評価しているような。人生に勝ち負けなんて無い。そういう価値の付け方はネジ曲がっていて独断もいいところだけど、物凄く安易でわかりやすい。何となく自分の中で優先している物事を手に入れているかどうかを合計すれば、自分はいい位置につけているのかいないのかが分かるんだから。分かるというか自分の中での勝手な決め付けだけど。何にしても、そういう勝ちとか負けとかスコアで換算できるような簡単な代物ではない社会を、そういう世界観でしか捉えられない幼稚な人間だから、人と比較してどうこうとか考えてしまうのかもしれない。

今の自分を肯定したいから

その勝ち負けとかそういう考え方に加えて、今の自分に対する言い訳要素というか、今のままでいい一種の合理化というか肯定として考えてしまうというのもあるのかもしれない。「何度も」考えてしまうというのがポイントのような気がする。考えるにしたって、1度考えれば良い話だ。レールに乗れているか乗れていないか、他の誰かと勝ってるか負けてるか。1度考えれば分かる。けど、それを毎日のように考えてしまう。何度も考える必要もないのに、あるとしても1年に1度くらいでも十分なのに。何故何度も考えてしまうのか。今の自分でいいとは思っていないけど、今の自分を否定する勇気もない。だから検算の如く何度も考えてしまうのではないか。自分のスコアにプラスし忘れていたものがあると考えながら。他人のスコアにマイナスし忘れてしたものがあると考えながら。所詮そんなスコア計算は自分の中の勝手な価値観だし、主観と独断と偏見で算出されるものだ。結婚していることは10ポイントプラスだけど、配偶者がブサイクなので5ポイントマイナスとか、バリバリ仕事してるので10ポイントプラスだけどあまり役に立たなそうな仕事をしているように見えるから10ポイントマイナスとか、ブログのPV数とか読者数は凄いから5ポイントプラスだけど月に一回は炎上してるから5000ポイントマイナスとか。シンプルだったスコア計算も次第に例外や追加ルールが増えていって訳の分からない事になっていって、自分や他人の行為の捉え方も訳が分からなくなっていってスコア計算が変動しやすくなる。適当な理由をあとづけすれば物事はどうとでも解釈できる。その解釈が日ごとに変わるから、そんな事を毎日のように考えるのかもしれない。もしかしたらちゃんと考えてみれば、いや、相当偏見にまみれた捉え方をしているからちゃんとはしてないけど、とにかく解釈によっては自分のスコアは思っていたより高いんじゃないかと過大評価をしたいがために何度も考えるのかもしれない。そんな自分に有利な捉え方をすれば、自分をわざわざ変えなくてもいい。変えるのは不安で怖いし面倒だから。

結局どうしたいのか、どうすべきか

「自分は何やってるんだろう」と考えてしまうのは何故なのか、ということを考えるのはなぜか。「自分は何やってるんだろう」なんて考えても何も進まないし、辛いだけで時間の無駄だからだ。今の状況を打開するための現実的な策を考えるわけでもなく、今の状況に対してどうせ自分は何やってもダメだとかなんとかそんなことをグチグチ思って終わるだけだから、それを思うことが無駄で意味が無い。そんな無駄な習慣を辞めたいから、何故そんなことを考えるのかを考える。結局のところ、この考えが浮かんだ時にどうすればいいのか。もうそれについては一切考えないという他無いような気がする。理想と同じレールを走れているかどうかとか、自分のスコアはどれくらいなのかどうかとか、そういうことを何度も何度も確認してしまうから、逆に気になってしまう。家出るときにちゃんと鍵かけたっけ、ガスの元栓締めたっけ…と考え始めると逆に不安が増大していくような感じ。心気症のとか神経症のような感じなのかもしれない。理想と比較してどうなのか、他の人間とのスコアを比較してどうなのか、そういう安易な真偽値を求めるからこそ、逆にその真偽値への依存度が高くなるのかもしれない。考えが浮かんだ時点で、それ以上考えるのは辞めたほうがいいんだろう。

別の対処方法もあるのかもしれないけど、なんにしても何十年とそういう安易で偏った世界観に浸ってきたのだ。一切考えないにしても他の解決方法にしても一朝一夕でどうにかなるのではないのだろう。これもまた十年単位で矯正していかなければそんなクセはなくならないのだろうな…と思うと嫌になる。