辺野古集中協議 政府に誠意がなかった
予想された展開とはいえ、政府に問題解決への真剣な姿勢が見られなかったのは残念だ。
政府と沖縄県が、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設をめぐって行った1カ月間の集中協議は、決裂した。政府は中断していた移設工事を来週にも再開する。翁長雄志(おながたけし)知事は埋め立て承認の取り消しを近く表明する見通しで、両者の対立が再び先鋭化するのは必至だ。
5回の協議を通じて、県側が強く問いかけたのは、沖縄の戦後史に対する政府の認識だった。
普天間は終戦直後、住民が収容所に入れられている間に米軍に強制接収されてできた基地なのに、危険な基地を返還させるのに、なぜまた辺野古という沖縄の土地を差し出さなければならないのか、と県側は重ねて訴えた。
政府側は、これには直接答えなかった。そして、日米の普天間返還合意以来の政府の基地負担軽減の取り組みを繰り返した。
普天間問題の「原点」として、県は1945年以降の米軍による土地の強制接収を強調し、政府は96年の普天間返還合意を語った。51年の開きは平行線のまま、埋まることはなかった。溝の大きさに、翁長氏は「お互い別々に70年間、生きてきたんですね。どうにもすれ違いですね」と菅義偉官房長官に告げたという。
菅氏は記者会見で、知事の主張に対して「賛同できない。戦後は日本全国、悲惨な中で皆が大変苦労して豊かで平和で自由な国を築き上げた」と語った。戦後は沖縄だけが苦労したわけではなく、歴史的経緯は移設反対の理由にならないと言っているように聞こえる。
寂しい反応だ。政府と一地方自治体がここまで冷たい関係に陥るのは、異常なことだ。
政府にとって今回の協議は、やはり、安全保障関連法案の審議と重なることで「二正面作戦」となるのを避けたり、政権の強硬姿勢を和らげて内閣支持率の低落を防いだりするのが狙いだったように見える。
議論を深めて理解を求めようとか、沖縄の思いに応えようという姿勢とはほど遠かった。一時的に政治休戦し、沖縄の声を聞いたという実績を作っただけではないか。
政府と県は、基地負担軽減策や振興策を話し合う新たな協議会を設けることでは合意した。翁長県政が始まって最初の数カ月間のように、話し合いもしない状態よりはましだ。それでも、政府が沖縄に誠意を示していることを見せる形式的な場に終わるという懸念はぬぐえない。
政府は、工事を再開してはならない。工事中断を継続し、今度こそ解決を目指して県と話し合うべきだ。