「新自由主義」の妖怪 稲葉振一郎

2016.4.26

08「産業社会論」再考(1)

 

 前回までで言いたかったことを乱暴にまとめますと、「俗に『新自由主義 Neo- Liberalism』と呼ばれているものの内実は実は結構多様であるのに、往々にしてそれは見過ごされている」ということです。具体的にはそこには、フリードマンのようにマクロ経済政策については否定的ではなく、自由な市場がその本来の機能を発揮するための大前提として必要性を認めながらも、ミクロ的な市場介入政策に対しては否定的である立場も、またオーストリア学派のように、マクロもミクロもひっくるめて市場への政策的介入に否定的な立場も含まれてしまう、ということです。ここに更にずいぶん前に論及した(旧西)ドイツのオルド自由主義のように、ミクロ的介入については謙抑的ではあれそれほど否定的ではないが、マクロ的介入に対しては否定的、という立場まで入ってくると更にわかりにくくなります。
 ちなみに日本での80年代以降の行政改革、規制緩和、「失われた20年」における「構造改革」のバックボーンは一見したところ「マクロもミクロもひっくるめて市場への政策的介入に否定的な立場」に見えがちですが、よくよく見るとミクロレベルでは成長セクターを戦略的に支援しようというミクロ的介入論が混じっていることがあります。またこうした路線への左派からの批判においても、マクロ的介入についての積極論があまり目立たないのがここしばらくの特徴です。
 ですから、マルクス主義的に「資本主義の新たな発展段階」としてはもちろんのこと、体系的な世界観であるとか、積極的な政策構想として「新自由主義」を理解しようとすると混乱のもとです。この連載の最初にも申しました通り、私自身はこのような理解の仕方を放棄してもうずいぶんになります。ただ他方で人々が「新自由主義」というレッテルをそれでもつい使いたくなってしまう理由もわからないではありません。すなわち、これらの諸潮流が共通の批判対象としていたものがあるのだとすれば、このレッテルが便利に用いられてしまう――それどころかレッテルを貼られた当事者たちでさえ、別段それに異を唱えず、場合によっては呉越同舟も辞さずに進んで「新自由主義者」を自任していた可能性さえあります。
 ではその批判対象とは何でしょうか? むろんマルクス主義をはじめとした社会主義は当然、これらの諸潮流にとっては批判、否定の対象です。しかしながらマルクス主義、社会主義が批判、否定の対象であるのは言うまでもなく当たり前のことで、今更強調することでもありません。そうではなく批判の焦点は、社会主義の中でもソ連東欧の一党独裁・計画経済体制にではなく、「西側」の議会制をとる社会民主主義、修正資本主義、ケインズ主義的福祉国家の方にあったわけです。すなわち、マクロ・ミクロ両面における介入主義的社会経済政策を批判する諸潮流が、ひとからげに「新自由主義」と呼ばれる、あるいはそう自認する――といった状況にあったのです。
 つまり、オーストリア学派風にマクロ政策ミクロ政策をまとめて否定する立場も、フリードマン流の、ミクロ政策にのみ否定的な立場も、ひょっとしたらマクロ政策を否定しつつ、ミクロ的介入にはそうでもない立場(オルド自由主義がそうか、と言われると実際にはかなり微妙な問題が残ります――フリードマン風マネタリズムの、特に禁欲的なバージョンくらいに理解しておいた方が安全かもしれません)も、とりあえずはみんなケインズ主義的福祉国家への批判では轡を並べている、というわけです。
 しかしここで注意すべきは、その担い手が労働組合などを支持基盤とし、社会民主主義を標榜する左派政党であろうと、あるいはどちらかというと保守主義を標榜していようと、第二次世界大戦後の高度成長の下、社会保障を充実させていったケインズ主義的福祉国家体制は、その支持者の間では、それもまたマルクス主義的な社会主義体制に対するオルタナティブ、アンチテーゼであったはずだ、ということです。「新自由主義者」は往々にしてケインズ主義的福祉国家を、本格的な社会主義への「滑りやすい坂」の上にある、と一緒くたに批判していましたが、他方で保守陣営に属する福祉国家支持者の方は、福祉国家体制を「反共防波堤」と捉え、ケインズ主義的福祉国家を自由主義的市場経済体制への「修正」ではあっても「否定」ではない、と捉えていたのです。すなわち、「石油ショック」以降、スタグフレーション以降の1970年代の経験を経てほとんど忘れ去られてしまっていることですが、かつてケインズ主義的福祉国家へのコミットメントは、まさに「保守本流」の思想でありえたのです。

 このかつての「保守本流」の社会科学的な表現が、いわゆる「産業社会論」です。「産業社会」という言葉自体は何となく普通の日常語として定着し、高校の科目名「産業社会と人間」にも入り込んでいますが、社会科学、社会思想上の術語としての「産業社会industrial society」はかつての存在感を失っています。そしてそれを支える「産業社会論」「産業社会の理論」もまたすっかり過去のものとなった感があります。  そこで我々はまずは、この「産業社会論」とは何であったのか、を思い出してみるとしましょう。

 こんにちのいわゆる「新自由主義」と呼ばれる諸潮流の社会科学的なバックボーンが新古典派経済学だとすれば、「産業社会論」のそれはあえて言えば社会学です。そしてまたそれは、マルクス主義を主たる仮想敵とする思想体系です。「新自由主義」、ないしはそれが復権しようとする19世紀的な自由主義については、それほど意に介してはいません。「19世紀的な自由主義」、と乱暴に片づけましたが、ここでは「小さな政府」論くらいに思っておいてください。
 簡単に言うと、「産業社会論」の主導者の多くは20世紀後半、冷戦時代における西側の保守主義に対して、きちんとした社会科学的な裏付けを与えようとした人々です。代表的な論客としては、例えばフランスでは社会学者であり、保守論客として鳴らしたレイモン・アロンを、またアメリカでは旧制度派経済学の流れをくむ労使関係研究者で、大学行政マンとしても著名なクラーク・カーの名を挙げることができます。大体において彼ら彼女らは、マルクス主義の挑戦に対して西側の自由主義、つまりは自由市場体制、資本主義と議会制民主主義を守ろうとした人々です。その意味では、政治的、イデオロギー的にはマルクス主義的左翼よりは新自由主義者たちに近いということになる。しかしながら産業社会論にコミットした人々は、マルクス主義と戦う道具としては、新自由主義者たちの社会科学的道具立ては貧困である、と考えた。乱暴に言えば、それは19世紀的で時代遅れであり、マルスクス主義社会科学の包括性に対して劣っている、と評価していたわけです。産業社会論とは、マルクス主義に匹敵する別の総合的社会科学の体系を作ろうという試みです。それは新自由主義が頼みとする経済学を否定するわけではない。しかしそれでは不十分だ、と考える。
 「産業社会industrial society」という言葉はここではマルクス主義的な意味での「資本主義(社会)」という言葉に対するカウンターとして用いられています。「産業社会」の概念は「資本主義(社会)」の概念を否定し、それにとって代わるものではありません。あえて言えばそれはその上位概念です。「資本主義社会」と「社会主義社会」の両方を包括する上位概念として「産業社会」は捉えられています。それに伴って「産業主義industrialism」という言葉も登場してきます。当然ながらマルクス主義の歴史観では「社会主義」は「資本主義」の次に来る歴史的発展段階ですが、産業社会論はそうした歴史認識への批判でもあります。産業社会論によれば、資本主義と社会主義は産業社会の二つのバリエーション、産業化のための二通りの道、というわけです。
 あるいはここでむしろ「近代化(理論)modernization (theory)」の語を呼び出した方がよいかもしれません。「産業社会」「産業主義」といった術語がすっかり古びてしまったのに比べると、「近代化」の方は日常語としても社会科学用語としてもまだ現役ですが、幾分意味合いは変わってきています。
 そこで極力この時代の「近代化(理論)」の語感を復元してみましょう。そうするとやはりこれはマルクス主義の批判、そのオルタナティブを眼目としていることがわかります。
 マルクス主義の歴史観は「唯物史観」ともいうとおり、歴史の原動力を経済、それも富の生産としており、生産技術の在り方が、社会の中の富の配分、所有構造、経済体制を決め、それが更に政治権力、支配体制を決め、文化のありようを決め――という風に考えます。産業革命以降の資本主義の発展も、この法則から逃れるものではありません。資本主義から社会主義への移行という未来予測も、これに則っていますし、資本主義段階の中でのより細かな段階区分、資本主義経済の発展段階も、基本的には生産技術の変化、それに基づく市場経済のありようの変化、として理解されます。つまりそれは、(1)社会を多面的で複雑なシステムとして捉えたうえで、(2)そのメカニズムを根底的なレベルとしての経済、生産技術によって決定されるものと説明しようとしました。つまり多面性を一元論的に捉えようとしたのです。
 それに対して「産業社会論」を踏まえた「近代化論」は、マルクス主義と同じく(1)社会を多面的で複雑なシステムとして捉えたうえで、(2)そのメカニズムを経済、生産技術というレベルへの還元によって説明することを避け、経済、政治、文化、それぞれのレベルはある程度自律的に運動する、と捉えていました。つまり「近代化」という大きな流れは、マルクス主義的には(厳密に言えば、そこではあまり「近代化」という言い方はされませんが)、生産技術、経済のレベルの変化が、更に政治や文化の変化をもたらす、というプロセスとして描かれるのに対して、近代化論の枠組みでは、それぞれある程度自律的に進行するいくつもの近代化プロセス――「経済的近代化(その中核が「産業化」)」、「政治的近代化」、「文化的近代化」等々――の並行として理解されたのです。

 では次回は、もう少し焦点を絞ったうえで、この「産業社会論」「近代化論」の基本的な発想についてみていきましょう。とりわけ、日本におけるその代表者ともいうべき、村上泰亮の仕事について細かく論じていきたいと思います。

 

 

(第8回・了)

 

この連載は月1更新でお届けします。
次回2016年5月24日(火)掲載