連日で小学1年の子供の学習ネタです。
明日は学校で「道徳」の授業があるようです。
よく道徳の時間にはテレビ見ましたよね。サンサンサンさわやか3組とか。
うちの子供から発せられた言葉は「どおとく」でした。
子供は言葉の意味もわからずに音で覚えてくるから、面白いですね。
今は集団登校集団下校なのですが、「げこーはん」という言葉が子供の口から出てきましたが、本人は意味をわかっていない様子でした。下校班です。
それでも音を記憶して発音しているから、本当に子供の能力の高さを感じます。
小さいうちに始めると良いってことでインターナショナルスクールに通わせるのも納得できます。
(うちは近隣の公立に通ってます)
道徳って聞いて何を思い浮かべますか?
この「道徳」という言葉を聞いたのは実に20年ぶりくらいじゃないかと思うくらい、懐かしいフレーズでした。
というか、むしろ一巡して新しい価値観ですよ。道徳。
この道徳という言葉を聞いて、「徳の道を示す授業」を意味しているのではないかと感じました。
実はこの「徳」という用語には私にとって深い意味があります。
徳を積んだ祖父
うちの祖父は13年前に他界しました。
83歳だったので寿命というか、全うした感があるので仕方がないことですが、お通夜の前に御霊前を持って来ていただいた方のお話を聞くと、生前の祖父がどんなことをしていたか、そこで初めて聞くこともあるんですね。
実はうちの祖父は小さな町の町内会長を長いことやっていて、人脈というか町内では名前が知れ渡っていた人物です。
そんな祖父が、町内の連絡看板とか壊れていると、誰にも言わずに直していたそうなんです。
しかも町内会費じゃなく、自費で。
普通に考えたら町内会費から徴収した保全費用とか当ててやるでしょ。
というか家族にそんなことを話したら普通は「何やってんの?なんで自分の金使うのさ」と言われたことでしょう。
ですが祖父は一切口にせず、勝手にやっていたようです。
そんな話を聞いて、まあ当然ながらその時に祖母や父や母に「え、本当なの?」なんて聞ける雰囲気でもなかったので確認していません。
死後2日とかなのでそんな心境じゃないですしね。
13年経って未だに真偽の程は確認していませんが、本当かどうかはこの際重要じゃないと思っています。
そういう人だと周りの人に思わせたうちのじいちゃんすげー、ってことです。
戒名
で、坊さんがつけた戒名に「徳」がついてました。
坊さんが周りの人の話を聞いて
「御本尊様は生前徳を積んでいらした」
というようなことから付けられたようです。
すごい腑に落ちた、というかリアルに徳を積んでいる人ってこの世にいるんだってことが驚き。
しかもそれが2親等の身内!!ということに畏敬の念を禁じえませんでした。
そして本人に確認しようとしても、他界済み。
ドラマかよ!!
「徳」の道
そんな徳が戒名についた祖父の一件があった時以降、今の今まで、道徳という用語に1回も触れたことはありませんでした。
もちろんその一件より前も日常生活で聞くことは皆無なので、自分が小学校時代に授業を受けた以降は一切聞いたことが無いです。
なので今まで「道徳」というフレーズが脳裏をすぎることは一瞬足りともありませんでした。
それが、娘から「明日は『どおとく』があるんだよ。」と言われて本当に20年以上ぶりに道徳の存在を思い出しました。
思い出させてもらいました。
道徳とは
道徳について調べてみました。
社会の成員によって承認され,かつ実現される倫理的諸価値ないし規範の総体。その原理は,主観的内面的規制原理として,主体のうちに現れる自然的本能,自己保全の欲求,名誉欲,権力欲,所有欲などの利己的,本能的欲求と正義,真理,愛,誠実,信頼,平等,国益などの普遍的ないし社会的諸価値の対立あるいは現実と理想の相克を調整し,社会的成員にふさわしい行為を選択するようにしむける。
引用:コトバンク
この意味を見てゾクゾクしてしまいましたよ。
小学時代に意味不明だった道徳の時間が、「倫理的諸価値や規範の総体」だったなんて。
英語で「moral」です。モラル。
モラルって読むと普通ですが、社会的成員にふさわしい行為の選択を学ぶって言葉のほうがずっと重みがあります。
それを小学1年生から義務教育に取り入れているというのが、すごいなと。
論語は日本人の心だということを齋藤孝さんの書籍で読みましたが、もしかするとこううところに宿っているのかも。
今この歳になって道徳の授業受けたら、意識高い系になれそうな気がしてしょうがないです。
授業で徳の道を教われるとは思いませんが
漢字2文字で心を揺さぶられる体験をしたわけですが、実際のところは授業では国語の延長みたいな朗読だったり、さわやか3組のテレビを見るくらいでしょうか。
(今の道徳の時間に見る代表的な教育テレビ番組は何でしょうか?)
とても徳の道、徳を積むにはどうしたらよいかという生き方を論じる授業じゃないことは私が子供の頃の体験からは想像できるのですが、それにしても授業に「道徳」と名前をつけた昔の人には恐れいりました。
まとめ
齋藤孝さんの書籍「古典が最強のビジネスエリートをつくる」を読んでから、古典系とか論語イズム(と私が勝手に解釈した)が私の意識下に芽生えてきています。
パラパラめくって書き下し文は敷居が高すぎるので、「声に出して読みたい論語」から始めようと思っていますが、手付かず。
いつかそのうち、読みます。いつか・・・。