『レヴェナント:蘇えりし者』 - ヴァルハラ・マラソン
レヴェナント:蘇えりし者
THE REVENANT
2016(2015)/アメリカ/R15+ 監督/アレハンドロ・G・イニャリトゥ 撮影/エマニュエル・ルベツキ 音楽/坂本龍一/カーステン・ニコライ 出演/レオナルド・ディカプリオ/トム・ハーディ/ドーナル・グリーソン/ウィル・ポールター/フォレスト・グッドラッグ/他 原作/マイケル・パンク
復讐の先に、何があるのか。
『レヴェナント:蘇えりし者』を観てきました。デカプーがやっとこさアカデミー賞主演男優賞を受賞したとかで映画ヲタクがSNS限定で発狂してたあの映画ですね。怖いですね。近寄らんとこ。と最初は思っていたのですが、“REVENANT”といえば何かのゲームで(確かサガ2秘宝伝説)高位のアンデッドだったなぁ、ははは。なんてな事を思っているうちに、何故か映画館に向かってピンク色のママチャリを漕いでいる自分が居たのでありました。怖いですね。ことさらに権威主義を標榜するつもりではないのですが、シネコンで大々的にかかっているアカデミー賞三部門受賞作さらにデカプー主演でランタイム2時間30分と来れば映画の王様であろうことは論を俟たない上、漏れ聞こえていた撮影苦労話やトムハがイニャリトゥを縊り殺しそうになったというエピソードが面白かったので、マッ観てみよう、こやつめにかかればその辺の多少暇潰しになる映画など大自然とちっぽけな人間を比較するようなものだろう、想像してみてほしい、豪雪地帯を闊歩する人間を。と、まあ、他人に想像力の喚起を要求する前におのれの勝手な妄想をどうにかしろ、つて、脳内の小人さんに怒られつ、豪雪地帯を闊歩、一回してみてえなあ、なんて思っていたら、映画が始まるとデカプーたちが未開の雪地を闊歩していたので爆笑しました。が、そこそこ客が入っているハコで一人で爆笑していると、笑い屋と思われるというか、頭が気の毒な人に違いないと決めつけられて下手すると官憲を呼ばれるので、気を取り直しメガネをガリベニックにクイッとやると、「寒そうだなあ」「ややっ、原住民が襲ってきたぞ、大変だ」「それにしても寒そうだなあ」と、極めて知的に、140文字以内で如何に自分を上級映画ヲタクに見せるかというゲームに興じていたりしたのですが、デカプーが案内するむさくるしい髭面の一行よりも、マジックアワーに撮られた雪景色の方が目の保養になるなあ、早くこいつらみんな非業の死を遂げねえかなあと思ってしまったのが運の尽き、140文字以内で如何に自分を上級映画ヲタクに見せるかというゲームにもそろそろ飽きたというか、映画自体に飽きてくるという未曾有の危機に瀕してしまいました。水と炎をちらちらさせ、教会なんぞも登場させてタルコフスキーに色目を使うのもいいのですが、常にゼーハーゼーハーしていて時にはヒグゥ、ヒギィなんて絶叫をかますデカプーがタルコの“間”や特有の時間のたゆたいを踏襲できるはずもなく、瀕死の人間は観念(妄想とも言う)に逃避するっつうところで、肝心なその観念の演出そのものが凡庸に見えたのも徒になっていると思います。本作は実話ベースとの事ですが、そんなどこの誰とも判らん(演じているのがデカプーなのは判っているのですが)人間の家族愛を強調されるよりも、序盤のグリズリーに襲われるシーンを延々と観ていたかったですね。可愛さと獰猛さを併せ持つクマさんにデカプーが嬲られるその様子は、厳寒に困り果てた製作秘話なんかよりよっぽど自然の厳しさを体現していました。ところで大自然にセイクリッドを求める映画には、どうぶつの死や死体を以てイコンとする法則があるように思えるのですが、これは私の気のせいでしょうか。ナマで魚をむさぼり食い、防寒のため馬の内蔵を取り出して中に入る。これらは生きるための手段であり、また生きるための方便です。「ホラー映画を好んで観るのは自分が生きている実感を際立たせるため」とかいう言説の相似形ですね。そしてやっと繋ぎ留めた生命を復讐に費やす事の是非を説くよりも、生命を繋ぎ止める事それ自体の是非を説く方が、本作のマインドマップを全面に押し出せて良かったのではないのでしょうか。
| レヴェナント 蘇えりし者 (ハヤカワ文庫NV) マイケル・パンク 漆原敦子 by G-Tools |
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20160426 │ 映画 │ コメント : 0 │ トラックバック : 0 │ Edit