東京五輪エンブレム OBの野老朝雄氏のデザインに「我が子のような作品」
2020年東京五輪・パラリンピックの公式エンブレムが4月25日発表になり、東京造形大学出身のアーティスト、野老朝雄(ところ・あさお)さんの作品「組市松紋(くみいちまつもん)」が選ばれた。
「組市松紋」は江戸時代に「市松模様」として広まったチェッカーデザインを3種類の四角形で描き、多様性を表現している。
野老さんの公式ホームページによると、1969年、東京都生まれの野老さんは、92年に同大卒業後、英国で最も古い建築学校「AAスクール」(Architectural Association School of Architecture)で学ぶ。その後、AAスクールの教授でもある建築科・江頭慎氏の制作助手、ワークショップアシスタントとなり、2010〜12年、東京造形大学非常勤教員を務めた。現在、桑沢デザイン研究所非常勤教員、東京大学工学部建築学科非常勤講師。
主な作品は愛知万博(05年)トヨタグループパビリオン「VI」担当、イッセイミヤケのバッグ「BILBAO TOKOLOCOM pleats please」(07年)、工学院大学125周年記念総合教育棟(東京都八王子市)のファサードパターン(12年)、大名古屋ビルヂング下層部のファサードガラスパターン(13〜16年)など。全国各地で個展も開催している。
東京から世界「つなぐ」
東京都内で記者会見した野老さんは「我が子のような作品」と喜びを語り、「これからいろいろな形で広がって、つながっていくことを考えている」と顔を紅潮させた。
今回の応募について野老さんは会見で「(公募が)広く開かれていた。僕はアスリートになれないが、金メダルを作ることに関われる。五輪への憧れは子供の頃からあった」と語った。選ばれたデザインについては「大きな断絶に対して、くっつくということがあった」と独特の言い回しで説明した。
「つなげること」が野老さんのテーマという。今年2〜3月に青森市の国際芸術センター青森で開かれた野老さんの企画展を担当した金子由紀子学芸員(37)は「紋をつなげることで紋様になる作品。断絶されている紋をつなげることで、模様になることを伝えたかったのでは」と解説した。
両親がテレビを見せてくれず、子供の頃の野老さんにとって五輪は身近でなかった。ただ、「幼稚園とかで金メダルを作る時は、きっちり作りたいと思っていた」という。野老さんは会見で「頭が真っ白。とても長く時間をかけたので、我が子のような作品」と感極まった様子だった。【飯山太郎、岸達也】
紋様、契機は「9・11」
野老さんは2001年9月11日の米同時多発テロを契機に、紋様の制作を始めた。今年2〜3月に青森で、津軽地方に伝わる刺し子「こぎん刺し」などと自身の作品を組み合わせた企画展「個と群」を開催。この際、野老さんは紋様を制作する理由を「(テロの惨状をテレビで見ながら)何とかしなきゃと。紙と鉛筆とコンピューターはある。3カ月で1000個ぐらい作った」と語っていた。