「人権の砦(とりで)」たる最高裁として、これで問題が決着したといえるのだろうか。

 ハンセン病患者の裁判がかつて、隔離された「特別法廷」で開かれていたことをめぐり、最高裁はきのう、元患者らに「患者の人格と尊厳を傷つけたことを深く反省し、お詫(わ)びする」と謝罪した。

 裁判を隔離した判断のあり方は差別的だった疑いが強く、裁判所法に違反すると認めた。最高裁が司法手続き上の判断の誤りを認めて謝罪するのは極めて異例であり、検証作業をしたこと自体は評価できるだろう。

 だが、注目された違憲性の判断に関しては、憲法上の「裁判の公開」の原則には反しない、と結論づけた。

 果たしてハンセン病への差別や偏見に苦しめられてきた元患者や家族に受け入れられる判断だろうか。

 同時に公表された最高裁の有識者委員会の意見は、憲法上の二つの点で疑問を突きつけている。まず、法の下の平等に照らして特別法廷は「違反していたといわざるを得ない」と断じている。さらに裁判の公開原則についても「違憲の疑いは、なおぬぐいきれない」とした。

 すでに05年、厚生労働省が設けた検証会議も、同様の憲法上の問題点を指摘していた。それを長く放置してきた最高裁が出した今回の判断は、たび重なる指摘に正面から答えたとは言いがたい。

 検証会議はこの時、ハンセン病患者とされた熊本県の男性が殺人罪に問われ、無実を訴えながら死刑執行された「菊池事件」にも言及していた。男性が裁かれた特別法廷について、「いわば『非公開』の状態で進行した」と指摘していた。

 事件の再審を求める弁護団や元患者らが、特別法廷の正当性の検討を最高裁に求めて始まったのが今回の検証だった。それだけに元患者団体は「自らの誤りを真摯(しんし)に認めることを強く求める」と、違憲性を認めなかったことに反発している。

 今回の最高裁の検証では、「裁判官の独立」を理由に、個別の事件の判断は避けられた。だが、手続きに問題があれば、裁判そのものに疑いが生じかねない。本来なら個別事件も検証し、被害救済や名誉回復まで考慮すべきだろう。今後、再審請求があれば、裁判所は真剣に対応すべきだ。

 差別や偏見のない社会に少しでも近づけるために、今回の検証をどう役立てるのか。謝罪を超え、最高裁はさらにその責任を負い続けなくてはならない。