【コラム】韓国よりも軍隊式、結束力が毒になった三菱自動車

【コラム】韓国よりも軍隊式、結束力が毒になった三菱自動車

 62万台の燃費を水増ししていた三菱自動車の後遺症は深刻だ。3日で株価が半分になった。2000年と04年にもリコール隠しで問題を起こした前歴があるため、消費者の怒りはなおさらだった。三菱自動車が今回の燃費不正以外に、数十種類の車種で過去10年以上にわたり、政府基準に合わない燃費測定方法を用いてきたとの報道も飛び出した。三菱車全体の販売中止につながりかねない深刻な問題だ。

 こうした状況で日本メディアが「危機に陥った三菱自をもう一度復活させられるか」と注目している会合がある。「金曜会」だ。三菱グループ29社の社長・会長らは毎月第2金曜日に開く昼食懇談会で、1954年から開かれている。普段はグループ系列企業同士の親睦会という性格だが、グループに危機が生じると互いに結束して支援を行う役割を果たす。

 相次ぐリコール隠しで三菱自が経営危機に陥った05年にも三菱重工、三菱商事、三菱東京UFJ銀行が軸となり、三菱自に5400億円を支援した。グループ従業員57万人も内外で不人気の三菱車を購入して助けた。結局三菱自はグループ全体による支援と最近の円安のおかげで復活を遂げた。

 果たして今回も金曜会が三菱自を再建できるのだろうか。そうはならないように思う。むしろ三菱自が過去2回の危機を教訓とせず、過ちを繰り返した間接要因が金曜会にあるのではないかと思う。

 三菱自は1970年に三菱重工の自動車事業部が分離して誕生した。当時三菱自の技術力は日本で最高レベルだった。第2次世界大戦前半に米国の戦闘機を圧倒した零式戦闘機を開発した三菱重工の技術力が自動車にまで受け継がれた。人材も最高だった。トヨタは大半が地方大学の出身だったが、三菱自は一流大学出身者が多かった。1970-80年代には現代自動車の「先生」も三菱自だった。

 一方で、三菱自の文化は韓国よりも軍隊式だった。上司の命令に従うことが最高の美徳だった。70年代の三菱自社長は社内会合で帝国主義時代の軍歌を歌うほどだった。そして、日本最大の巨大グループがバックとなり支えた。恐れるものはなかった。

 そんな三菱自は今ではどうか。世界市場で存在感はないに等しい。日本国内でも大したことはない会社だという認識が強い。今回の燃費不正が明らかになった後、日本の消費者の反応も「また三菱自か」だった。

 誰のせいなのか。良い車を作ったが、消費者が理解できなかったわけではない。政府の政策的支援が不足していたわけでもない。為替が不利だったからでもない。結局全ての過ちは三菱自社内にあった。今回の燃費不正事件も企業文化を改革せず、無理な目標を立て、達成を共用する過去の悪習を捨てられずに起きた。金曜会はそういう意味で三菱自復活にとっては「毒」だ。

崔元碩(チェ・ウォンソク)国際部次長
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