熊本城修復、いばらの道 期間10年超、費用最大200億円か [熊本県]

大きく崩落した熊本城の石垣=熊本市中央区
大きく崩落した熊本城の石垣=熊本市中央区
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比較的被害が少なかった国指定重要文化財の宇土櫓(中央)=熊本市中央区
比較的被害が少なかった国指定重要文化財の宇土櫓(中央)=熊本市中央区
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 城作りの名手として知られる戦国武将、加藤清正(1562~1611)が築城した熊本市の熊本城。熊本県民の精神的な支えとなってきた城は、熊本地震によって、天守閣は損傷し、「武者返し」と呼ばれる曲線美を持つ石垣も崩壊、復旧には10年以上の歳月が必要とみられている。県民は損壊を嘆く一方、「修復を進め、復興のシンボルになってほしい」と願っている。

 熊本城は7年間かけて1607年に完成したとされる。天守閣は西南戦争(1877年)時に全焼。1960年に鉄筋コンクリート造りで再建した。国指定の重要文化財が13施設あり、中でも「宇土櫓(うとやぐら)」は、西南戦争や1889年の熊本地震、先の大戦でも被害を免れ、今回の地震後も建立当時の姿をほぼ残す。

 熊本市熊本城総合事務所によると、今回の地震ですべての重要文化財に何らかの被害があった。長塀(ながべい)(全長242メートル)は約100メートルにわたって倒れ、東十八間櫓(ひがしじゅうはちけんやぐら)や五間櫓(ごけんやぐら)、不開門(あかずのもん)などが倒壊。宇土櫓も本体部分は大きな損傷がなかったが、続櫓(つづきやぐら)が倒壊した。石垣の崩壊は20カ所以上で確認された。

 22日に現地を視察した文化庁の担当者が、「過去最大規模の修理になる」と分析した甚大な損壊をどう修復するのか。城に詳しい佐賀大の宮武正登教授(城郭史)によると、重要文化財の指定を維持するためには、元の柱などの再利用が必要。崩れた建物から使える材料を選定し、造り直す作業になるとみられる。宮武教授は「地盤や建物の構造など壊れた原因を調査しないと、同じ被害を繰り返す」と指摘する。

 さらに大変なのは石垣だ。熊本城の石垣は、安土城などの建築にも携わった近畿の石工集団「穴太衆(あのうしゅう)」が築いた。裾の傾斜は緩やかで上部で強く反る「武者返し」には高い技術力が必要で、穴太衆の子孫で第15代石匠の粟田純徳さん(大津市)は「この反りを出すには以前とまったく同じように石を積まなければならない。崩れて石が割れたりしている状況では相当難しいと思う」と話す。

 広島大の三浦正幸教授(城郭史)は、修復には10年以上、修復費は天守閣を含めれば200億円以上、天守閣を除いても20億~30億円かかるとみる。日本財団がすでに30億円を寄付する方針を表明するなど修復へ向けた動きが出始めている。

 大西一史熊本市長は、23日に市内で安倍晋三首相との会談時に「熊本城を修理していくことが、県民が元気になる源になる」と修復の重要性を強調した。

=2016/04/25付 西日本新聞夕刊=

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